トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

強制連行した。

2015-11-23 18:07:20 | 日記
今日のパムッカレ

11月の上旬だったか、義父母用に作った部屋を義父母に見せた。
義母は引っ越しに賛成だったものの、義父が難色を示していた。
義父はとにかく保守的な人で、多分環境など『変化』を好まない頑固爺さん。

例えば、夫と同じく、珍しもの大好きな義母は
日本食にも興味を示し、食べてくれたこともあった。
でも、義父は初物には一切手を出さないというタイプ。

義父はいつもベッドかソファの上。
その世話をするのは腰が曲がった義母。
私が自分たちの近くへ呼び寄せようとしたのは、義母を不憫に思ってのことだった。

で、騙し騙し、見るだけだから!と、義父母を部屋に連れて来ちゃったわけ。

そこから、義兄、義姉、オヤジスタッフ総出で、義父の説得に当たり、
義父から引っ越しは2,3日後にするという言葉を引き出すことに成功。

ところが、オヤジ(夫のこと)主導で、あれよあれよと、
義父のベッドを皮切りに絨毯、ソファー、ガステーブルなどが運ばれ
結局、見学だけと言い、連れて来たはずが、その夜から住んでもらうこととなった。

私の出鱈目トルコ語を理解してもらえたか不明だけれど、
しびれを切らした私は、

『別に隣町に行かされるわけでもなく、
ここだって、近所にいっぱい知り合いもいるし、
息子(次義兄)だって近くにいる、娘(義姉)だってすぐ来れる距離だし、
(歩けず)一人で生きていけないんだから、黙って言う通りにしてちょうだい。
もしくは、お義父さんは向こうに残って、お義母さんだけ来てもらうから』
と、義父に言った。

引っ越しから3週間ほど経った今、
前の家に比べれば、日当たりもいいし、アンテナの調子もいいから
大好きなテレビだって見放題。それに、毎日、身内、親戚や知り合いが訪れるから寂しくはないでしょ。
多分、今は住めば都となっているんじゃないかな。

自分たちで看ると決意したからには、長期戦を覚悟で、あまり一生懸命になり過ぎず、
義姉たちと協力しながら、介助をして行こうと思う。

私も日本では、祖母と一緒に暮らし、祖母は寝たきりになってから間もなく94歳間近で逝ってしまった。
叔父、伯母はいつも長男の嫁としての母に感謝の気持を忘れずにいてくれた。
昔は長男夫婦が親の面倒を看るのが当たり前の風習があったもんね。母も紆余曲折はあったはず。

祖父は60歳くらいで亡くなってしまったので、私には祖父の記憶はない。
祖母は子供や孫、ひ孫に囲まれ、幸せな余生だったと私は思っている。

夫が日本に挨拶に来て、一緒に沖縄に行っている間に祖母は息を引き取った。
葬式を済ませ、私たちはトルコへと渡った。祖母はまるで、私を心配させまいと
私が日本にいる間に天国へ旅立ったのだと勝手に解釈している。

私がカナダへ留学すると言ったときは行かないで―と反対した祖母が、
トルコに嫁に行くと言ったとき、大変喜んでくれた。
多分、自分の死期を悟っていたんでしょうね。
で、しかも、自宅に初めてやってきたガイジン(夫のこと)に
ニコニコと接してくれたのである。
夫に会って、びっくりして死期が早まったのではと言われている。


祖母は殆ど家族に迷惑をかけず、逝ってしまった。
私としては、自己満足なのはわかっているけれど、もうちょっと面倒を看たかった。
その悔いが残っているので、義父母を自分が後悔しないように
お世話をしたいのだ。

近所のトルコおばあちゃんたちに、トルコ人の嫁はここまでしない、
偉いぞとか言われて照れくさいけれど、
義父母の家は将来的に自分達用に使えるし、
食事は食堂スタッフが作ってくれるのを出しているだけ。
私はたまに掃除、ゴミ捨てするだけなんよ。

一番重要な暖房用のストーブの石炭、薪を毎日入れ替えているのはオヤジだから。




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