トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴っていました。

上書きされた悲嘆

2020-08-09 21:13:14 | 日記
皆さま、ケントと私へたくさんの温かいお言葉をいただきまして、
心から御礼申し上げます。

本来ならば、お一人お一人に返事をしたいところなのですが、
どうか、お許しください。

喪失感、虚脱感、後悔、自分への怒り、思慕が一気に
やって来ました。

近所の子供たちもお墓参りをしてくれ、号泣してくれました。
近所の人たちもケントは私を待っていたと。


友人がケントは食堂の看板犬だけではなく、
パムッカレの看板犬でもあったとメッセージを
寄せてくれ、感激しました。

ケントは村の人からも愛され、散歩に行くたびに
ケント、ケントと声をかけてもらいました。

13年間の犬生、世界中のツーリストから撫でてもらい、
可愛がってもらいました。
最期、辛い思いをさせてしまいましたが、
ケントは幸せな犬生だったと思っています。

いつものお散歩コース、人造池に私は一人で行ったことがありません。
そういえば、石灰棚もいつもケントと一緒でした。
なので、しばらく一人で行けそうにありません。

どこへ行くのも一緒。イズミル、フェティエ、カシュ、ファラリア、ボドゥルム、オリンポス、
カッパドキアも行きました。
ケント無の夏のバケーションは考えられず、ケント抜きのときは
100パーセント楽しむことが出来ませんでした。

日本への里帰りもいつも後ろ髪引かれ、断腸の思いでした。
ケントはお空に行ってしまったけれど、
今は私の心の中にいます。

夫が先日、珍しく夢に登場しました。
その晩、私は神様が夫、母、ケントのいずれかに
会わせてくれるなら、迷わずケントを選ぶと思ったからかな?
夫が嫉妬して出て来たのかも?

日本から帰国した私を見て、ケントは尻尾を振ってくれなかった。
私を忘れてしまったのか?意識が混沌としていたのか?
分からないけれど、あのいつもの笑顔を遂に見せてくれることは
無かった。

一瞬だけ、笑顔のようなケント

帰国した翌日から壮絶な闘病生活が待っているとは
夢にも思いませんでした。

13日間、私は尽くしたけれど、最期の日、私も力尽きてしまいました。
ケントの横に寝ないで、ソファベッドに横たわってしまい、
ケントの呻き声で目が覚め、最期に立ち会うことが出来たのは
本当に幸運だったけれど、ケントの傍で擦ってあげなかったことが
一生悔やまれます。


ただ、これは母のときも同じで、この苦しむ姿がいつまで続くのか
想像つかなかったし、たまたま、最期を見届けることが出来ました。
自分のシャワーもトイレも、まだ逝かないでくれと祈りながらの日々でしたから。

ケントの笑顔を見ることは叶いませんでしたが、
皆さんのおっしゃる通り、4か月、母ちゃんを待っていてくれたケントに
感謝し、供養して行こうと思います。

ケントの最期、4か月間、寂しい思いをさせ、全力で守ってあげられなかったけれど、
13年前、授かったときから、ずっと大切に大切に育てて来ました。
夫より大事にしていたと断言出来ます。

夫と共に生きた13年間、ケントとも13年間でした。
ケント、ありがとうね。
そして、ケントの成長記録を兼ね、ブログを始め、
多くの方と繋がることが出来たことを改めて感謝します。
ブログはまだ、不定期ですが、続けようと考えております。


この笑顔に会いたかった

母はイサに会ったら、殴ってやると言っていたので、
今頃、ケントがイサを殴ろうとする母を一生懸命に止めに入っているかな?
ケントの特技はゴミ拾いの他、喧嘩仲裁だったから。