高校生の時、修学旅行で初めて京都に行きました。
当時は北海道に住んでいましたから飛行機なんか高くて乗れないものでした。
だから、夜行列車で移動していたのです。
一晩列車に乗り、朝起きて、東京。
それから京都へ新幹線で向かったのです。
当時から不思議体質のふるらんでしたから、京都が近づく気配がすると鼻血が出てきて。ポタッポタッ・・・保健の先生を呼んで横になり、そして止まる、を繰り返していました。
そして京都に入ると鼻血が止まらない。
え~どこにもいけない状態。
これ以上の出血は病院行き、と先生に言われたては「止まれ~」と寝ながら祈っていました。
そしてとうとう、一日目は旅館で寝ていることになったのです。
で、そう、たとえ旅館にいてもあの音が聞こえます。
人の争う気配と馬のひずめの音。
ここ、京都って・・そういうところなんだと気がつきました。
画面がどんどん大きくなって、人が沢山死んでいくのです。
目から涙があふれてきていました。
鼻を冷やすのにタオルを載せていましたが、それをすり抜けて涙がこぼれました。
保健の先生が
「どうしたの?」と聞いたので
「先生・・・、人って空しいね。人って悲しいね・・沢山の人がここで死んでるんだもんね」と言いました。
旅館の中庭を見ながらタオルを鼻血で染めながら・・そして声を殺して泣いていました。
(きっと保健の先生はどうしていいのかわからなかったと思います)
この時、「レイゼイケ」というのが耳に響いていました。
(後日調べたら京都の由緒のあるお家だそうです)
次の日やっと鼻血が止まり、そして清水寺へ。
あ・・ここってにぎやかだけど、なんか違うわ~と判りました。

みんな辛い思いをしているけど、それでも観音さまに導かれてあの世に行く場なんだ・・と理解できました。
そして記念撮影。
それが終わるとある男性が「これ、あげます」と言って一枚の写真をくれました。
見ると同級生が写っているのですが、私にだけ不思議な現象が起きていました。
京都市内をバスで移動するたびに道路の気配が違う。
あの人はだれ?この人はなんのためにいるの?
あ、ここは世界の違うところ・・・
当時、知識のないものにとって、ここは陰陽師やある人たちがあることをしてるなんてまったく知らなかったし・・。
あの学生の時からかなりの時間が過ぎました。
私が始めてみた京都の「かけられている力」はかなり薄まりました(いろんなごちゃごちゃが混じった現代の人が壊したりしたので)が、でもその気配はまだまだあります。
ほんの一部になりましが。
少し“場”をはずすと普通の今の京都です。
大人になったふるらんはもう鼻血はでません。
これからも少しずつは薄くなるでしょう。
そして濃いところは濃いものが集まるでしょう。
清浄なところはいつまでも清浄でありますように、祈ることしかできないのが悲しいですね。
いろんな場所があります。
自分の気持ちの良いところへ行ってください。
歴史とはカタチをみるものでもありますが、その場を踏みます。
きちんと敬意をもって鑑賞させていただいてください。
観光とは遊びに行く意味ではなかったのです。
「昔の光を心で見る」という意味だそうです。

当時は北海道に住んでいましたから飛行機なんか高くて乗れないものでした。
だから、夜行列車で移動していたのです。
一晩列車に乗り、朝起きて、東京。
それから京都へ新幹線で向かったのです。
当時から不思議体質のふるらんでしたから、京都が近づく気配がすると鼻血が出てきて。ポタッポタッ・・・保健の先生を呼んで横になり、そして止まる、を繰り返していました。
そして京都に入ると鼻血が止まらない。

え~どこにもいけない状態。
これ以上の出血は病院行き、と先生に言われたては「止まれ~」と寝ながら祈っていました。
そしてとうとう、一日目は旅館で寝ていることになったのです。
で、そう、たとえ旅館にいてもあの音が聞こえます。
人の争う気配と馬のひずめの音。
ここ、京都って・・そういうところなんだと気がつきました。
画面がどんどん大きくなって、人が沢山死んでいくのです。
目から涙があふれてきていました。
鼻を冷やすのにタオルを載せていましたが、それをすり抜けて涙がこぼれました。
保健の先生が
「どうしたの?」と聞いたので
「先生・・・、人って空しいね。人って悲しいね・・沢山の人がここで死んでるんだもんね」と言いました。
旅館の中庭を見ながらタオルを鼻血で染めながら・・そして声を殺して泣いていました。
(きっと保健の先生はどうしていいのかわからなかったと思います)
この時、「レイゼイケ」というのが耳に響いていました。
(後日調べたら京都の由緒のあるお家だそうです)
次の日やっと鼻血が止まり、そして清水寺へ。
あ・・ここってにぎやかだけど、なんか違うわ~と判りました。


みんな辛い思いをしているけど、それでも観音さまに導かれてあの世に行く場なんだ・・と理解できました。
そして記念撮影。
それが終わるとある男性が「これ、あげます」と言って一枚の写真をくれました。
見ると同級生が写っているのですが、私にだけ不思議な現象が起きていました。
京都市内をバスで移動するたびに道路の気配が違う。
あの人はだれ?この人はなんのためにいるの?
あ、ここは世界の違うところ・・・
当時、知識のないものにとって、ここは陰陽師やある人たちがあることをしてるなんてまったく知らなかったし・・。

あの学生の時からかなりの時間が過ぎました。
私が始めてみた京都の「かけられている力」はかなり薄まりました(いろんなごちゃごちゃが混じった現代の人が壊したりしたので)が、でもその気配はまだまだあります。
ほんの一部になりましが。
少し“場”をはずすと普通の今の京都です。
大人になったふるらんはもう鼻血はでません。

これからも少しずつは薄くなるでしょう。
そして濃いところは濃いものが集まるでしょう。
清浄なところはいつまでも清浄でありますように、祈ることしかできないのが悲しいですね。
いろんな場所があります。
自分の気持ちの良いところへ行ってください。
歴史とはカタチをみるものでもありますが、その場を踏みます。
きちんと敬意をもって鑑賞させていただいてください。
観光とは遊びに行く意味ではなかったのです。
「昔の光を心で見る」という意味だそうです。
