らんらんしましょ~心が楽になるために。

スピリチュアルセラピスト。チャネリング、タロット占い教室をしています。人の心に触れるたびに生きている意味を感じます。

またまたあっちの人が・・・

2010-11-07 21:21:39 | ちょっと驚き!
親戚のおじさん(ふるらんをとってもかわいがってくれた人)が出て、
「こっちだよ~」と言って丸太がたくさんつんであるところへ引っ張っていきました。

おじさんは「林野庁」というところで働いていて、(今あるのかな?)それでとってもやさしくて穏やかな人でした

三男なんだけどあまり発言することもなく、自分より年下のおじさん、おばさんが喧嘩したり、ふるらんをいじ○たのを知るとふるらんを慰めてくれるようなとてもやさしい人でした。

おじさんは作業服をきて、ふるらんをひっぱり、足元がぬかるんでいる木材置き場へひっぱり
「こっちだよ」と何回もいいます。

子供のときは
「ここは危ないから入ったらだめだよ」と言ってふるらんを呼ばなかったのに・・・

フェンスがあってその下がめくれていて・・
向こう側にフォークリフトがあって・・
丸太がたくさんつんであって・・・

めくれているフェンスの下をおじさんがくぐり、
「ここから入るんだよ」といい、おじさんが先にくぐりました。

そしてふるらんを呼ぶので・・
でもおかしい・・
なんかおかしい・・
いつものおじさんならふるらんをこんなところに呼ばない・・と思って。
おじさんはどんどん先に行ってしまいます。
丸太の陰になりそうなのでふるらんは
「おじさん、そっちにいったらだめだよ」といいました。
だって・・足元がぬかるんでるし、そっちは闇にしか見えないから。

でもおじさんはどんどんいっちゃうので
「おじさんそっちに行ったらだめだよ」と再度叫ぶとおじさんは
「こっちがおじさんのいる世界なんだよ」といいました。

おじさんの世界???
だってそんなに足がぬかるんで泥だらけで・・だってこんなに泥だらけなら・・前にすすめないじゃない・・
なんか違う、おじさん違う・・・

「この向こうに川があってね、その先に行くんだ」というので
え?だからここがぬかるんでるの?と思いました。

フェンスの向こうとこっちの世界・・
みれば数人の人がフェンスをくぐって泥だらけのぬかるんだところに入っていきます。

ふるらんは・・違う・・・
何かが違う・・・

まさか・・・と思った瞬間目が覚めました

体を起こして・・一息ついて・・・

あ・・・・・・・・・・・・・と。

今何月だったっけ????と思い出し・・・
そうよねぇ・・確かおじさんは10月か11月にあっちの世界へ行った人。

やっぱりさびしいのかな・・・
あ、もしかして・・・ふるらんの弟のところ(○感あるから)にも行ってるかも


アバター

2010-11-07 14:50:25 | 携帯からです。
いろんなことを考える時間ができたので考えてみた

人間ってなんなんだろう・・って
肉体は滅びるけど、期限があるから。
でも魂は何回も肉体に宿るし、記憶を重ねていくし。

ヒプノセラピーをしてもその話をきちんと思い出してくれる。

今愛がなくても、過去世で愛にあふれ、そして幸せだったことをたくさんふるらんに伝えてくれることもある。

「今起きていることがすべてではない。これからおきることもすべてではない。大切なのは永久に続く時の流れの中で起きていることを自分の糧として、栄養に変え、わが身と魂を成長させることだ」と守護○さんがいってくれています

で、人間って何?の質問での答え。

どうしても画像で映画のアバターが出てくるからなんか不思議だなぁ~と思って。
映画のアバターの話は確かに神に近い人たちの生活がでていたので。

で、アバターという単語はネットで「着せ替えられる自分」みたいなイメージがあって。

それでアバターという単語を調べてみた。
すると・・・

ウィキベディアより・・・

語源~サンスクリット語のアヴァターラ(avataara अवतार)は、インド神話や仏教説話の文脈で「(神や仏の)化身」の意味。アバター/アヴァターはその(もしくはヒンディー語形アヴタールを英語表記したavatarの)西洋風の読み方で、概念が似ていることからネットワーク用語として転用されたもの。


そっか~神や仏の化身なんだ~~と思って。
神や仏ではないけど、魂とか肉体とかいただいたものだもんね・・・
正確には「お借りしているもの」。

そうよね~
だからもともとはすごく神様や仏様に近いものなんだけど、自分本位になって、何か使い方や考え方を変えちゃって・・こんな風に‘してしまった’のかもねぇ・・・・

神や仏の化身って言ったらものすごく自分が神や仏みたいに思っちゃうけど、でも謙虚に考えたら・・ちょっと違うものね。
一部であって、すべてではない

私は神でもないし、仏でもないし。

だからここに存在しているし、こうやって普通の生活をしているし。

だから人間してるんだよね~とか思ったりして。

道端のお花も、コップの水もすべて神の化身。
流れる風も聞こえる音もすべて仏の化身。
飛んでいる鳥も、足元にいる虫も・・神や仏の化身・・・

(魂をのっとられたら○○の化身になってしまうだろうけど・・・)

「良いにしろ○いにしろ、おきる現況は自分が引き寄せることで、神や仏が決めることではない」といわれた事があったけど、物質と現象の違いのことについて昔よく悩んだっけ

だからほしいと思うのは・・モノや欲情ではなく、もっと高みの世界。

「もっと高い世界の目標を立てなさい」と聞こえない声で聞こえてきたときに
「欲は出してはいけないと思うんだけど」と思ったけど‘欲’の意味をきっと間違えて理解しているんだろうな~と思い直し・・そしてここまで来た。


「もっと泣きなさい、もっと笑いなさい、もっと苦しみなさい、そしてもっと人生を感じなさい・・そうしたら人の心の痛みを知り、もっと人間らしくなれるし、もっと神に近づけるから」

もっと・・なんて嫌だって思ったけど、‘もっと’しておいたらきっと早く楽になれるんだろう、と思ったときに楽になれた。
たしかに‘もっと’から逃げたい。
でも・・やったら・・終わるんだよね?と思って。

で、結局「修行?」

自分が神の化身なら・・次はどうする?

ある本に
「自分が神をどう思うかではなくて、神が自分をどう思ってるかが大切」と書いてあった。

うん、うん、なんかわかる。
神が自分になにをしてほしいか、と考えること。

生きているうちに何個それが理解できるか・・これからが勝負かもね。

あ、もう勝負に入ってるか