家の中のことをしていたらふっと頭の中に「宝珠」の画像が入ってきた
お~これは吉兆だぁ~と思った
「宝珠」というのは丸い玉の上にちょこんと角が生えているような玉のこと。
一瞬栗みたいな感じなんだけど。
大阪の人なら「清荒神さん」のところでよく見る風景。
玉が三つ。
上がとんがってる。
そうですね、身近なところならお寺とかの山門の手すりに玉が乗っかってる。
たまに道路にある。
清荒神さんのお参りの仕方は三回手をたたいて
「仏、法、僧(ぶっぽうそう)」
宝珠とは願いをかなえてくれる玉のこと。
たしか・・宝珠の正式名称は「如意輪宝珠」。
如意輪様って、色っぽい座り方をしているお方だけどむっちゃパワーです
西国三十三箇所をめぐったとき一箇所だけ「ここすごい~」と思った場所があった。
そして、如意輪様のご縁をいただいた
宝珠の形をしているのが必ず力があるのではない。
その人がもって初めて力を発揮するものもあれば、なくなるものもある。
そう、日本刀も同じで、実力のある人しか使えない。
実力のないものが持てば・・刀は折れる。
つまり出先がすばらしいところであってもその持ち主が違えば自らが壊れるすごいものなのだから
昔の中国のお話で、ある国の王が、お客さんに自分の持っている宝珠を自慢した。
それを見ていたお客さんは
「私の家臣はすばらしい」といって家臣の自慢をした。
そう、決して間違ってはいけない。
宝珠を持つことがすばらしいことではない。
何が本当の宝なのか知っていて、宝珠のような心を持つことがすばらしいのだ。
その人が何を自慢したのかでその人の本質を知ることができる
そしてその人がどんな生き方をしたのかで来世が決まる。
たとえ前世で何かをしていても今世、徳を積み、みんなに幸せを振りまいたら・・・
きっとあの世で仏様の宝珠をもらえるだろうと思う。
ものではなくて、魂の中に持っておける宝珠を