久しぶりに北九州市戸畑区に行った一昨日、用事を済ませた後、午後から若松区の高塔山に行ってみました。
若戸大橋を渡り若松区に入ると正面に高塔山(130m)が見えてきます。頂上までは自動車道があり、山頂は高塔山公園になっていて、展望台、無料の駐車場、遊歩道などが整備されていました。
よいお天気に恵まれて、この展望台からの眺めは素晴らしいものでした。
真下に若松市街地と戸畑区を結んだ若戸大橋(手前が若松区、橋の向こうが戸畑区)、その下は洞海湾、その向こうに新日鉄の工場群、ずっと向こうの中央から左側に写っている遠くの山は山口県下関市です。
展望台の北側に見える海は響灘、そこに浮かんでいる小さな島は白島の石油備蓄基地、手前には響灘工業団地の埋立地も写っています。
この展望台がある高塔山公園は、桜、つつじ、紫陽花の名所としてよく知られていますが、残念ながら冬の今は何も咲いていません。でもここからの素晴らしい眺望に大満足しました。
若松が生んだ芥川賞作家、火野葦平の住居だった「河伯洞」にも寄りました。「河伯洞」はカッパの棲家という意味だそうで、それは高塔山の麓の山手通りにありました。私は火野葦平の作品を読んだことはありませんが、葦平は河童が好きで、よく作品の題材に取り上げ、河童の絵も多く描いているそうです。
この家は、葦平の父が葦平の小説の印税で、葦平が出征していた1937~39(昭和12~14)年の間に、葦平の住居として建てました。今でも玄関には葦平の本名の玉井勝則の表札が掛かっています。
玄関からお座敷への廊下には、大きなテーブル位の大きさの桜の一枚板が何枚も使われ、当時の流行作家としての葦平の財力を知ることが出来ました。
下の写真の右奥の洋風外観の部分が葦平の書斎で、中は完全な和風の造りでした。ここの2階の書斎で「花と龍」「革命前夜」等の名作が生まれたのだそうです。そして1960年(昭和35年)1月24日、ここで自らの命を絶ちました。
「河伯洞」は、今は葦平の三男夫妻が管理されていて、見学者も多いようです。そして定期的に映画が上映されたり、文学的な集まりになどに使われている様です。
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