陽関はシルクロードの関所跡ですが、敦煌からバスで、ラクダ草が所々に生えているゴビ砂漠の中の一本道を、南西へ1時間半位走った所にあります。
ゴビ砂漠は砂というより石ころ交じりの平原といった感じです。途中土を盛った様な感じになっているところが何か所かありましたが、それはお墓なのだそうです。ただ土を盛っただけの様に見えましたが、誰のお墓かどうしてわかるのでしょうね~。不思議な気がしました。
陽関へ到着と言っても、このあたりの景色を見晴らす屋根付きの廊下状の建物(現代の建物)があるだけで、当時の建物は何も残っていません。ここから見えるのは、果てしなく続く砂漠の荒涼とした景色でした。そして今残るのは下の写真の様なのろし台だけで、この烽火台も風化が進み長い歴史を感じるものでした。
私達の世代は高校時代に漢文の授業で、王維の漢詩「送元二使安西」を習っているので、この陽関を身近に感じますね。この記事を書くためにネットで調べてみました。
「送元二使安西」 (元二の安西に使いするを送る)
渭城朝雨潤軽塵 (渭城の朝雨 軽塵を潤す)
客舎青青柳色新 (客舎 青青 柳色新たなり)
勧君更尽一杯酒 (君に勧む、更に尽くせ一杯の酒)
西出陽関無故人 (西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん)
50年位前のことでほとんど忘れていますが、最後の(西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん)だけは何となく記憶があるようにも。故人とは中国では友人を差すのだと教わったような...。
この漢詩で、この陽関の当たりが、シルクロードの時代、中国と西方の国々との分岐点だったと実感できます。陽関から西の砂漠はゴビ砂漠ではなくて、タクラマカン砂漠になるのだそうです。
6月初めに梅雨に入った当地は、雨が降り続いているわけではありませんが、毎日何だかはっきりしないお天気で、ブログ記事になる様な、何かをしたとか、どこかへ行ったという様な特別な事は何もないですね~(^-^) ネタ不足から14年前に友人達と行った、思い出深い敦煌、西安への旅を記事にしてみました。
この旅行の数年後に、同じ友人達と敦煌よりさらに西のウルムチ、トルファンへの旅を計画し、敦煌再訪を予定していたのですが、9.11が起こり計画は中止になりました。その時、敦煌までは行っててよかったな~と思いました。今は中国とは何かと問題が多く、敦煌の様な奥地までは行けないような気が致します。やはり海外旅行は思いついた時に行っておくべきですね。
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