いよいよ久女の俳句人生にとって最大の事件、「同人除名事件」が起きた、昭和11(1936)年の久女について書くことになりました。
昭和11年の2月に久女の師、高浜虚子は欧州航路の箱根丸に乗り渡欧し、ベルギー、フランス、ドイツ、イギリスを旅しました。この虚子の渡欧は、今の時代とは違い大きなニュースになり新聞にも載ったようです。
2月16日に多くの弟子たちが見送る中、横浜港を出発、翌日名古屋港寄港、18日大阪港寄港。なんともゆったりした船旅ですね。その日のうちに神戸へ。神戸港には3日停泊して21日に日本最後の寄港地、門司港に着きました。
記録を読むと、各港で弟子たちの出迎え、見送りを受けていて、まさに俳壇の帝王という感じがします。虚子はこの欧州旅行中、ずっと羽織袴、草履という和服姿で通したそうです。
久女は門司港で師、虚子の乗った箱根丸を出迎え、見送りました。昭和7(1932)年頃からずっと句集出版の志を持ち、序文を虚子に懇願すれども、無視され相手にされず、2度の上京の際にも会おうともしなかった虚子を、彼女は野暮なまでの思いを込めて見送った様です。出迎えの一日目は美しい花籠を携えて、出港の二日目は虚子の誕生日のお祝いの赤飯と鯛を持参して。
久女の死後、高浜虚子が「墓に詣りたいと思ってをる」で、松本清張が「菊枕」で、この箱根丸見送りの時の久女の様子を書いています。もっとも、松本清張の「菊枕」は虚子の「墓に詣りたいと思ってをる」を参考にした様ですが...。両方とも事実を故意に捻じ曲げて書いており、非常に紛らわしいです。
この虚子の曲筆文「墓に詣りたいと思ってをる」については、後で触れることにして、箱根丸見送りの時の久女の様子を増田連著『杉田久女ノート』によって見てみたいと思います。<増田連著『杉田久女ノート>
この本は杉田久女研究書として、久女の長女、石昌子さんの書かれたものとともによくまとまった労作で、足を使って調査研究した本であるとの評価を、今日受けています。
長くなりますので、久女の箱根丸見送りシーンは次回に。
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