日々の暮らしに輝きを!

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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

横田滋さんご逝去

2020年06月09日 | つれづれ

横田滋さんがお亡くなりになりました。

横田滋さんは北朝鮮に拉致された娘のめぐみさんの救出活動を、半生をかけて続けて来られ、ついに力尽きてしまわれました。こんな残酷な話があるでしょうか? 

拉致問題を考えると怒りが込み上げて来ます。以前にもこのブログで書きましたが、私は高校時代(1966年前後)に社会科の先生が言われたことを忘れることが出来ません。


先生は「日本海側をドライブしていると、<不審な人を見かけたら届け出て下さい>という看板を見かけることがある。この不思議な看板の意味は、北朝鮮が日本人をさらって自国に引っ張って行っているらしい。その様な人(工作員)を見かけたら届け出て下さいという意味なのですよ」と話されました。当時は拉致という言葉は使われていなかったので、先生は人さらいという言葉を使われました。

こんな看板を出す位なので、日本政府は北朝鮮が日本人をさらっているのを警察を通して薄々分っていたと思われます。それなのに何の対策もしませんでした。この時、日本海側の海岸線のパトロールを強化するなど様々な対策を講じていれば、そのことは必ず北朝鮮上層部に伝わり、こんなに沢山の日本人が北朝鮮に拉致される様なことは起きなかったのでは、と思わずにはいられません。

拉致が頻発したのは1970~1980年ですが、その少し前の私の高校時代からもこの様なことが行われていたのですね。日本政府はどうして見て見ぬふりをしたのか、私にはその理由が分かりません。北朝鮮によって大勢の日本人が連れ去られたのは、日本政府の怠慢、無策が招いたとも言えるのではないでしょうか。

後に当時の首相の「確固たる証拠がないのに、その様なこと(海岸線のパトロール強化など)は出来ない」という談話を聞いたような気がしますが、この首相はその様なことをすることにより、北朝鮮を刺激するのが怖かったのでしょう。何と不甲斐ない日本政府かと思います。確固たる証拠がなく北朝鮮に抗議は出来なくとも、海岸線のパトロール強化などは日本の自由だからです。

北朝鮮に拉致され帰国できない日本人が沢山いるというのに、現在日本政府は拉致問題解決にむけて、何の努力もしていない様に感じますが、蓮池薫さんの横田滋さんを悼む言葉の中にある「日本政府は情勢の成り行きの中で解決すればいいという考え方を変えて、直接解決に向かう大胆な方策を、リスクを負ってでも実践していく姿勢を見せていただきたい」という思いに全く同感です。

そして、私達国民は拉致問題解決の為に、この問題に絶えず関心を寄せ続けていくことが重要だと思います。






薄暑の候

2020年06月06日 | つれづれ

普通の日常が少しづつ戻り始め、

新型コロナ禍も少し落ち着いて来た様に感じていましたが、

ここ数日、東京や北九州では感染者が増えている様で、不安も感じます。

言われている様に第2波なのでしょうか?

赤く染まったレインボーブリッジや都庁のTV画面を見ると、

九州に住んでいる私でさえ、何だか不安をかき立てられるので、

東京に住んでいらっしゃる方は、いかばかりでしょう。

本来ですと、今の時期はまだ梅雨前の気持ちの良い日々ですが、

新型コロナ禍が私達の心に影を落としている為か、

この素晴らしい季節を楽しむ、そんな気持ちには中々なれませんね。

そこで、俳人達はこの気持ちの良い季節をどんな風に詠っているのか、

ちょっと調べてみました。





夕風や 白薔薇の花 皆動く         正岡子規

軽ろやかに 提げて薄暑の 旅鞄       高浜虚子 

薄暑来ぬ 人美しく 装へば         星野立子

 蕗の葉に  日輪躍る  初夏は来ぬ                   三橋鷹女

 人々に 四つ角広き 薄暑かな        中村草田男

三日ほど 主婦を忘れて 初夏の旅      稲畑汀子 




どの句も爽やかな風が吹き渡る様な句ですね。

三句目の作者の星野立子さんは高浜虚子の次女で、

虚子が後援していた女性俳誌『玉藻』を主宰していました。

女性俳誌主宰者にふさわしいイメージの句ですね。

最後の句の稲畑汀子さんの主婦を忘れてというところ、いいですね~。

何だか私の胸にストンと落ちて来る句です。

稲畑汀子さんは高浜虚子の孫で、

一時期『ホトトギス』を主宰されていました。

現在こんな状態で、出掛ける気も起きず、

ブログ記事になるようなことに遭遇することも無く、

暇な時は時々俳句で遊んでいます(^-^)