私には 『 友人 』 と呼べる方が何人かいます。
今日はその 『 友人 』 について考えてみました。
出会いのキッカケはそれぞれ違いますが、初めは 『 知り合い ・顔見知り 』 程度、
そして、その中から価値観の合う者同志が 『 友人 』 となり、
その 『 友人 』 の中から、さらに信頼ができ心の許せる方が 『 親友 』 にまで発展します。
ずっと専業主婦だった私。
人と慣れるまでの時間はかかるものの、一度友人関係になるとどの方とも長く付き合えています。
そして、そんな 『 友人 』 がいてくれることをとても有り難く思っています。
“以心伝心”と言うのか、10を満点とした場合、
私が相手の方に対し8くらいだと思っていたら、相手の方も私に対し8くらいとだと思います。
友人関係においてたいていの場合は、お互いが“5対5”なんですよね。
私は『 友人 』だからといってもあまり深く入り込まず、お互いが悩みなどを話せたり、
いざという時に助け合える関係でいられるのがベストなのではと思っています。
近所で親しくしている4人グループの方達とは何日も会わないことがあるくらいですが、
その 『 友人 』たちも私にとって、とても大切な存在です。
そんな近所の 『 友人 』 たちとの間でたびたび話すことがあります。
「 今はそれぞれの友人達と遠くに遊びに行けるけれど、
もっと歳をとって遊びに行けなくなった時、この4人の家を交代で遊び場所にしようね。 」 と。
近所だと家に帰るのもすぐ近くだから心配いらないし、お互いの家族の顔も知っている、
それにこれから老いていく私達にとっては“遠くの親戚より近くの他人”という言葉があるように、
近くに助け合える方がいて、それが仲良しの 『 友人 』 だったらなおいいものですよね。
私にはこの『 友人 』たちとは別に、今『 親友 』と呼べる方が二人います。
一人は家から5分ほどの距離なので、日頃からお互い何かと支え合い助け合っています。
もう一人は遠方に住んでいますが、離れていてもとても信頼できる親友です。
今の私にとってこの二人の『 親友 』たちの存在は、とてもとても大きいです。
歳を重ねるにつれて特に、お互いのことを心から大切に思い合える
『 親友 』 がいることの有難さを感じるようになりました。
今親友は二人ですが、私には誰よりも信頼のでき何でも話せる 『 無二の親友 』 がいました。
ですが、その親友は3年前に病気が発覚し、それから半年後に別れるという辛い思いをしました。
親友を亡くしてからしばらくは立ち直れないほどショックを受け、
自分の中に占めていたこの親友の存在の大きさは計り知れないものだったのだと感じました。
けれど今もなお彼女の遺品が私の部屋に数点あり、私の心の中にずっと生き続けています。
シニア世代に入ってからは、特に 『 友人 』 は大切な位置を占めていると実感します。
そして沢山の 『 友人 』 に恵まれていることを本当に幸せだと思い感謝しています。
小学校を卒業時(5?年前)、校長先生がサイン張に「人徳の相あり」と書いて下さいました。
その言葉は子供ながら印象深くて、今となっては当たっているのかもしれないと嬉しく思っています。
人と人の関係は合わせ鏡のようなもの 信頼してくれる人を信頼し
好意をもってくれる人に好意をもつもの
愚痴の言える人 心を打ち明けられる人 逆に言えば 愚痴でも何でも
率直に話してくれる人とは 安心して友達になれる
何より何より率直悩みこそ人とつながる かけがえのない回路
(読売新聞朝刊 平成21年1月20日 人生案内回答者の言葉より)
おまけの写真は私の部屋の中で飾ってある物、置いてある物です
こちらは自作のタペストリー☆
こちらはお気に入りのタペストリー、庭の花をちょこっと挿してます☆
こちらは無二の親友の遺品。手作りのティシュペーパーケース☆
私の大切な友人たち、これからもお互い健康に気をつけて何時までも仲良くしましょうね