一緒に遊ぼう プレイグループ

幼稚園に入る前のお子さんとお母さん(お父さんも歓迎)のための集まりを、教会で行っています。その活動報告です。

プレイグループ物語(2)

2011年01月11日 | プレイグループのあゆみ
集まりの形を決める
 まず、どんな集まりにしたいかを、子育てセミナーに一緒だったクミコさんユウコさんと具体的に考えました。いくつか集まりのイメージを出し合いました。その中で、迷ったのは次の二つでした。

ひとつは、ただ場を提供するだけにして、親子が自由に遊べる時間にする形。私がアメリカにいた時に毎週通っていた地元のグループがこれでした。時間と場所だけ決めて、あとはその時集まった方達でおしゃべりをしながら子供と過ごすものです。お菓子も持参でした。気軽に参加できるのと定期的に友人に会えるので、毎週通っていました。

もうひとつは、プログラムを決めてそれに沿って活動する形。クミコさんには、オーストラリアにいた時に教会で行なっていた婦人会のプログラムが頭にありました。クミコさんの行っていた教会の集まりは、婦人会の方が各部署で世話係をし、参加するおかあさんたちはその方を手伝いながら、参加者みんなで会を作り上げていくという形でした。私は、子供が就園前に行っていた児童館の集まりが頭にありました。児童館の先生が絵本を読んだり手遊びをしてくれたのが、とても楽しかった思い出がありました。

 前者の自由に過ごせる時間は確かに魅力的で、主催者側としては負担は少ないです。その一方、おかあさんたちが好きな人同士でいつもくっつき、ただのおしゃべりの時間になり、子供のことそっちのけでそのおしゃべりに忙しいということになるおそれがありました。実際に、周りにはそういう集まりがありました。また、その形では、当時「公園デビュー」でおかあさんたちに与えたプレッシャーと同じものを与えてしまいかねません。仲間に入れるかどうか、友達ができるかどうかという不安です。

 後者は確かに専門家ではない私達には、ハードルの高いものでした。幼稚園の先生でもしていたのでしたら、違っていたかもしれませんが。でも、オーストラリアの教会でクミコさんが経験したものは、参加する方にとってはとても良いものでした。初めて行った時にも、活動の何かに関わることで婦人会の方と話ができ、自然に集まりの中にとけ込むことができたそうです。手を動かしながら個人的な話をすることができるので、教会の話や信仰の話もできるのです。

会で大切にしたいものは?
 ここで、私達はこの集まりをどのようなものにしたいのかをもう一度考えました。ただ楽しく遊ぶだけの集まりにしたいのではありませんでした。それぞれが心を通わすことのできるもの、個人的な悩みを話すことのできるような集まりがしたかったのです。

 子育てセミナーで救われたのはユウコさんの友人でした。でもその方はご主人の反対があって日曜日に教会に来られません。でも、私達の会なら来られるというので、ユウコさんはこの会に期待をしていました。そういうことからも、個人的に関われる会として一人一人を大切にしたいとの思いがありました。

 その結果、プログラムをもった集まりにすることに決めました。会の前半にみんなで輪になって手遊びや歌をして楽しみ、コーヒーブレイクをはさんで後半はその日の工作や遊びなどをするという、今の集まりの原型です。参加する皆さんにも、どこかの活動に関わっていただいて、手伝ってもらうのです。名前も、同じ「プレイグループ」という名前を使わせていただくことにしました。

 教会へは当時の婦人会長の許可を得て婦人会の集まりの一つとして報告して、始めさせていただきました。といっても、平日はほとんど空いている教会を使うことに、文句を言う人はだれもいなかったので、勝手に始めてしまったというのが正しいかもしれません。

「ちゃんと祈ったの?」とその時、婦人会長に言われたことが、今でも忘れられません。まだ受洗して2年目、教会員になって1年目の私でしたが、そんな私を信頼して勝手にさせてくださった当時の婦人会長のアキコさんには、とても感謝しています。始めるにあたって、クレヨンを献品して、励ましてくださったのもうれしいことでした。

 こうして、一ヶ月後の1996年11月、第一回目のプレイグループが教会のフェローシップルームで開かれました。

プレイグループ物語(1)

2009年06月01日 | プレイグループのあゆみ
 はじまり
 私達の教会は、もともとは高田馬場にありました。文明堂の工場だった建物を買い取ってこの地に移ってきたのは、1995年のことです。当時、主任牧師だった尾山令仁先生が、子供をもつお母さんのために、月に一回「子育てセミナー」を行なっていました。その頃から、幼稚園に入る前のお子さんとお母さんのための集まりをしたいねという話が、セミナー出席者の私達の中では何度も出ては消えていました。

 私たちは、「子育てセミナー」の学びと交わりで自分の子育てが助けられているのを感じていました。お互いのつらさや悩みを話すことのできる集まり、聖書の子育ての知恵を分け合うことのできる集まり、そんなものがあれば、「公園デビュー」とか「母子カプセル」で悩んでいるお母さんたちの逃れ場になるのではという思いがありました。

神様からのゴーサイン
 ある日、子供を泣くまでたたかずにはいられなかったという方が、子育てセミナーで神様の愛に触れ立ち直ったという体験を目の当たりにしました。前から考えていた親子の会を必要としている人がまだいるだろうと思った時、私達は一歩を踏み出さずにはいられませんでした。

 何度も出ては立ち消えになっていた理由の一つが、日程の問題でした。教会の婦人会をしている金曜日と同じ曜日に行なえれば、婦人会の方とも交流ができ、また何かの時には助けてもらえるのではないかと考えたからです。でも、一番頼りにしていたクミコさんは、すでに毎週金曜日に予定が入っていたのです。

 どうしても、どうにかしたいとの思いから「ねえ、やっぱり、やろうよ」とクミコさんに電話したとき、彼女が驚きました。あとで言われた言葉によると「ぞくっとした」そうです。それは、今まで話をするたびにネックになっていた彼女の別の活動が、数日前に他の曜日に変更されたところだったからです。

「神様のゴーサインだね。」そういって、私達は、親と子の集まりを始めようと決意しました。