集まりの形を決める
まず、どんな集まりにしたいかを、子育てセミナーに一緒だったクミコさんユウコさんと具体的に考えました。いくつか集まりのイメージを出し合いました。その中で、迷ったのは次の二つでした。
ひとつは、ただ場を提供するだけにして、親子が自由に遊べる時間にする形。私がアメリカにいた時に毎週通っていた地元のグループがこれでした。時間と場所だけ決めて、あとはその時集まった方達でおしゃべりをしながら子供と過ごすものです。お菓子も持参でした。気軽に参加できるのと定期的に友人に会えるので、毎週通っていました。
もうひとつは、プログラムを決めてそれに沿って活動する形。クミコさんには、オーストラリアにいた時に教会で行なっていた婦人会のプログラムが頭にありました。クミコさんの行っていた教会の集まりは、婦人会の方が各部署で世話係をし、参加するおかあさんたちはその方を手伝いながら、参加者みんなで会を作り上げていくという形でした。私は、子供が就園前に行っていた児童館の集まりが頭にありました。児童館の先生が絵本を読んだり手遊びをしてくれたのが、とても楽しかった思い出がありました。
前者の自由に過ごせる時間は確かに魅力的で、主催者側としては負担は少ないです。その一方、おかあさんたちが好きな人同士でいつもくっつき、ただのおしゃべりの時間になり、子供のことそっちのけでそのおしゃべりに忙しいということになるおそれがありました。実際に、周りにはそういう集まりがありました。また、その形では、当時「公園デビュー」でおかあさんたちに与えたプレッシャーと同じものを与えてしまいかねません。仲間に入れるかどうか、友達ができるかどうかという不安です。
後者は確かに専門家ではない私達には、ハードルの高いものでした。幼稚園の先生でもしていたのでしたら、違っていたかもしれませんが。でも、オーストラリアの教会でクミコさんが経験したものは、参加する方にとってはとても良いものでした。初めて行った時にも、活動の何かに関わることで婦人会の方と話ができ、自然に集まりの中にとけ込むことができたそうです。手を動かしながら個人的な話をすることができるので、教会の話や信仰の話もできるのです。
会で大切にしたいものは?
ここで、私達はこの集まりをどのようなものにしたいのかをもう一度考えました。ただ楽しく遊ぶだけの集まりにしたいのではありませんでした。それぞれが心を通わすことのできるもの、個人的な悩みを話すことのできるような集まりがしたかったのです。
子育てセミナーで救われたのはユウコさんの友人でした。でもその方はご主人の反対があって日曜日に教会に来られません。でも、私達の会なら来られるというので、ユウコさんはこの会に期待をしていました。そういうことからも、個人的に関われる会として一人一人を大切にしたいとの思いがありました。
その結果、プログラムをもった集まりにすることに決めました。会の前半にみんなで輪になって手遊びや歌をして楽しみ、コーヒーブレイクをはさんで後半はその日の工作や遊びなどをするという、今の集まりの原型です。参加する皆さんにも、どこかの活動に関わっていただいて、手伝ってもらうのです。名前も、同じ「プレイグループ」という名前を使わせていただくことにしました。
教会へは当時の婦人会長の許可を得て婦人会の集まりの一つとして報告して、始めさせていただきました。といっても、平日はほとんど空いている教会を使うことに、文句を言う人はだれもいなかったので、勝手に始めてしまったというのが正しいかもしれません。
「ちゃんと祈ったの?」とその時、婦人会長に言われたことが、今でも忘れられません。まだ受洗して2年目、教会員になって1年目の私でしたが、そんな私を信頼して勝手にさせてくださった当時の婦人会長のアキコさんには、とても感謝しています。始めるにあたって、クレヨンを献品して、励ましてくださったのもうれしいことでした。
こうして、一ヶ月後の1996年11月、第一回目のプレイグループが教会のフェローシップルームで開かれました。
まず、どんな集まりにしたいかを、子育てセミナーに一緒だったクミコさんユウコさんと具体的に考えました。いくつか集まりのイメージを出し合いました。その中で、迷ったのは次の二つでした。
ひとつは、ただ場を提供するだけにして、親子が自由に遊べる時間にする形。私がアメリカにいた時に毎週通っていた地元のグループがこれでした。時間と場所だけ決めて、あとはその時集まった方達でおしゃべりをしながら子供と過ごすものです。お菓子も持参でした。気軽に参加できるのと定期的に友人に会えるので、毎週通っていました。
もうひとつは、プログラムを決めてそれに沿って活動する形。クミコさんには、オーストラリアにいた時に教会で行なっていた婦人会のプログラムが頭にありました。クミコさんの行っていた教会の集まりは、婦人会の方が各部署で世話係をし、参加するおかあさんたちはその方を手伝いながら、参加者みんなで会を作り上げていくという形でした。私は、子供が就園前に行っていた児童館の集まりが頭にありました。児童館の先生が絵本を読んだり手遊びをしてくれたのが、とても楽しかった思い出がありました。
前者の自由に過ごせる時間は確かに魅力的で、主催者側としては負担は少ないです。その一方、おかあさんたちが好きな人同士でいつもくっつき、ただのおしゃべりの時間になり、子供のことそっちのけでそのおしゃべりに忙しいということになるおそれがありました。実際に、周りにはそういう集まりがありました。また、その形では、当時「公園デビュー」でおかあさんたちに与えたプレッシャーと同じものを与えてしまいかねません。仲間に入れるかどうか、友達ができるかどうかという不安です。
後者は確かに専門家ではない私達には、ハードルの高いものでした。幼稚園の先生でもしていたのでしたら、違っていたかもしれませんが。でも、オーストラリアの教会でクミコさんが経験したものは、参加する方にとってはとても良いものでした。初めて行った時にも、活動の何かに関わることで婦人会の方と話ができ、自然に集まりの中にとけ込むことができたそうです。手を動かしながら個人的な話をすることができるので、教会の話や信仰の話もできるのです。
会で大切にしたいものは?
ここで、私達はこの集まりをどのようなものにしたいのかをもう一度考えました。ただ楽しく遊ぶだけの集まりにしたいのではありませんでした。それぞれが心を通わすことのできるもの、個人的な悩みを話すことのできるような集まりがしたかったのです。
子育てセミナーで救われたのはユウコさんの友人でした。でもその方はご主人の反対があって日曜日に教会に来られません。でも、私達の会なら来られるというので、ユウコさんはこの会に期待をしていました。そういうことからも、個人的に関われる会として一人一人を大切にしたいとの思いがありました。
その結果、プログラムをもった集まりにすることに決めました。会の前半にみんなで輪になって手遊びや歌をして楽しみ、コーヒーブレイクをはさんで後半はその日の工作や遊びなどをするという、今の集まりの原型です。参加する皆さんにも、どこかの活動に関わっていただいて、手伝ってもらうのです。名前も、同じ「プレイグループ」という名前を使わせていただくことにしました。
教会へは当時の婦人会長の許可を得て婦人会の集まりの一つとして報告して、始めさせていただきました。といっても、平日はほとんど空いている教会を使うことに、文句を言う人はだれもいなかったので、勝手に始めてしまったというのが正しいかもしれません。
「ちゃんと祈ったの?」とその時、婦人会長に言われたことが、今でも忘れられません。まだ受洗して2年目、教会員になって1年目の私でしたが、そんな私を信頼して勝手にさせてくださった当時の婦人会長のアキコさんには、とても感謝しています。始めるにあたって、クレヨンを献品して、励ましてくださったのもうれしいことでした。
こうして、一ヶ月後の1996年11月、第一回目のプレイグループが教会のフェローシップルームで開かれました。