Potential of aromatherapy

aromatherapy and golf and movie

看護学生のときの看護観

2009年12月21日 | 雑記
学生の頃、学校の勉強はあまり好きではありませんでしたが、
医学生や薬学生、社会福祉士などと医系学生セミナーを企画していました。
東大の医学生が委員長で、私は副委員長でした。

日野原先生をお呼びして、東大駒場で開催しました。
看護界や医学会、それぞれお呼びしました。

その時の私の看護観は、

 「病気や事故などで何かしら日常生活の動作が難しくなったり
  できなくなったことを、気持ちよくケアすること」でした。

病気になるだけで精神的にも辛くなりますが、どこかが動かないとか
不自由になることは大変なことです。
朝起きてから誰でもする、洗面や歯磨きさえできないのです。
うがいもできません。
排泄も、食事もです。

それらをその人の生活習慣に合わせた方法で、気持ちよくケアすることが
看護です。
自分がいつもやっているように行う、というのは個別性がないとされます。

入浴介助も、髪の毛から洗うのか、足から洗うのか、背中からなのか
人によって違います。
訪問看護をしているとよくわかります。
「先に頭を洗ってから、背中を洗って、それから足にして下さい。
 じゃないとシャンプー剤が体に残りますでしょ」などです。

食事介助なども同様です。
骨折などで動かすことができない場合は、安静を保ちながら行います。

そして、医師は褥創ができたら治療するけれども
看護師は褥創ができないように予防することが仕事です。
しかしながら、予防してもお金にならないけれども、できて処置をしたら
お金になる時代でした。
 (今は違います)

看護は、手を使ってケアすることです。
私達の手は温かいのです。

今も看護観は変わりません。
じっと手を添えるだけで、ほっとすることもあります。
ただそれだけで。

  人気blogランキングへ