学生の頃、学校の勉強はあまり好きではありませんでしたが、
医学生や薬学生、社会福祉士などと医系学生セミナーを企画していました。
東大の医学生が委員長で、私は副委員長でした。
日野原先生をお呼びして、東大駒場で開催しました。
看護界や医学会、それぞれお呼びしました。
その時の私の看護観は、
「病気や事故などで何かしら日常生活の動作が難しくなったり
できなくなったことを、気持ちよくケアすること」でした。
病気になるだけで精神的にも辛くなりますが、どこかが動かないとか
不自由になることは大変なことです。
朝起きてから誰でもする、洗面や歯磨きさえできないのです。
うがいもできません。
排泄も、食事もです。
それらをその人の生活習慣に合わせた方法で、気持ちよくケアすることが
看護です。
自分がいつもやっているように行う、というのは個別性がないとされます。
入浴介助も、髪の毛から洗うのか、足から洗うのか、背中からなのか
人によって違います。
訪問看護をしているとよくわかります。
「先に頭を洗ってから、背中を洗って、それから足にして下さい。
じゃないとシャンプー剤が体に残りますでしょ」などです。
食事介助なども同様です。
骨折などで動かすことができない場合は、安静を保ちながら行います。
そして、医師は褥創ができたら治療するけれども
看護師は褥創ができないように予防することが仕事です。
しかしながら、予防してもお金にならないけれども、できて処置をしたら
お金になる時代でした。
(今は違います)
看護は、手を使ってケアすることです。
私達の手は温かいのです。
今も看護観は変わりません。
じっと手を添えるだけで、ほっとすることもあります。
ただそれだけで。
人気blogランキングへ
医学生や薬学生、社会福祉士などと医系学生セミナーを企画していました。
東大の医学生が委員長で、私は副委員長でした。
日野原先生をお呼びして、東大駒場で開催しました。
看護界や医学会、それぞれお呼びしました。
その時の私の看護観は、
「病気や事故などで何かしら日常生活の動作が難しくなったり
できなくなったことを、気持ちよくケアすること」でした。
病気になるだけで精神的にも辛くなりますが、どこかが動かないとか
不自由になることは大変なことです。
朝起きてから誰でもする、洗面や歯磨きさえできないのです。
うがいもできません。
排泄も、食事もです。
それらをその人の生活習慣に合わせた方法で、気持ちよくケアすることが
看護です。
自分がいつもやっているように行う、というのは個別性がないとされます。
入浴介助も、髪の毛から洗うのか、足から洗うのか、背中からなのか
人によって違います。
訪問看護をしているとよくわかります。
「先に頭を洗ってから、背中を洗って、それから足にして下さい。
じゃないとシャンプー剤が体に残りますでしょ」などです。
食事介助なども同様です。
骨折などで動かすことができない場合は、安静を保ちながら行います。
そして、医師は褥創ができたら治療するけれども
看護師は褥創ができないように予防することが仕事です。
しかしながら、予防してもお金にならないけれども、できて処置をしたら
お金になる時代でした。
(今は違います)
看護は、手を使ってケアすることです。
私達の手は温かいのです。
今も看護観は変わりません。
じっと手を添えるだけで、ほっとすることもあります。
ただそれだけで。
人気blogランキングへ