日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

12月3日

2023-12-05 13:21:57 | 日記
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二日市教会主日礼拝説教 2023年12月3日(日)
待降節第1主日
「まだ時間が」とは思わない

白髭牧師、入院中の為昨年のアドベント第1主日の礼拝説教を
代議員さんが代読されました。

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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
先週の木曜の朝の松崎保育園で、子どもたちにお話を始めようとしたら、女の子が大あくびをしました。さては、この子は、昨夜、サッカーW杯のテレビ観戦をしていた親につきあって、ずっと目を覚ましていたに違いないと思いました。

さて、本日の福音はマタイによる福音書24章36節から44節までで、見出しは「目を覚ましていなさい」で、イエスによるたとえ話でした。ポイントは42節です。「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」。

こんな話があります。ある日サタンは、見習い中の悪魔たちに、人間をどのぐらいダメに出来るかという最終テストのため地上に派遣しました。さて、それが終わって帰ってきた悪魔たちにサタンは、お前たちはどんなことをしたのか聞きました。すると一番目の悪魔が言いました。「神はいないと教え込みました」。それを聞いたサタンは言いました。「それは成功しないかも。人は神を信じなくても、いつも意識はしているからだ」。二番目が言いました。「地獄は存在しないと吹聴しました」。するとサタンは言った。「それもどうかな。というのも、人は悪を重ねるたび地獄を見ているからだ」。さて、三番目が言いました。「私は人間に、大丈夫、時間はまだあると錯覚させる努力をしました」。するとサタンは言いました。「お前は合格だ」。

さてこれはイエスのたとえにも通じます。イエスも、時間はまだあると思っている人間へ警告をしていたからです。「だから、目を覚ましていなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」。イエスはその考えを愛の教えに適用しました。今愛さねばならないのに、「時間はある。あしたでも大丈夫」と思ってはならない。「明日では遅すぎる」というのが彼の教えの基本だからです。

ところで、私たちは本日から、クリスマスの準備をするアドベントの期間に入ります。なお、クリスマスは日本人の心には住み着いており、特定の宗教や団体だけのものではなくなっています。それにクリスマスにはさまざまなキャラクターもあり、それぞれがストーリーを持っていて想像力をかきたててくれます。ところで、クリスマスキャラクターなら代表格はマリアかもしれません。

話は変わりますが、20年前私は12月に、愛知県豊田市にいました。そこにあるルーテル教会の幼稚園がクリスマス劇のリハーサルをするというので見に行ったのでした。さて、ステージにはマリア役のとても可愛い女の子が夫のヨセフと共にいました。そこに三人の博士が登場して、それぞれが持参してきた品物を二人の前に順番に置いて行ったのでした。

ところが、おそらく博士の一人が言われた通りのことをしなかったのでしょう、怒った彼女は贈り物を蹴ったのでした。西暦2000年の12月でした。私は、「これが21世紀のマリア像だろうか」と思ってしまいました。
それはさておき、クリスマスのマリアは紀元一世紀の女性です。つまり、親からマリアという名前をもらった女の子でした。もちろん、女の子の名前はそれ以外にもありました。たとえば、サロメとかスザンナのように。聖書には、サラとかデボラとかナオミとかハンナのように色々出てきます。その中の一つがマリアでした。また、マリアはイエスの母の名前だけではありませんでした。福音書には、マグダラのマリアもべタニアのマリアもいますし、マルタという女性の妹もマリアです。だから、マリアと言うだけでは、どのマリアかわかりません。イエスの母マリアはナザレのマリアと呼ばれました。

しかし、それにしても、聖書にはマリアという名前がたくさん出てくるのは事実です。そこである学者が、イエスの時代にはマリアという名前の女性はどのくらいいたのかという調査をしました。この興味深い学術調査の結果判明したことは、当時の女性は4人に一人がマリアだったということでした。

なお、明治生命は、その年生まれた子供の名前を男女別に調査し、多い順でランキングを発表しています。それを見て分かることは、1960年代に一番多かった女の子の名前は「由美子」でした。そのあと70年代が「陽子」、80年代は「愛」と変化していました。要するに、時代ごとに人気の名前があったのでした。

さてそれは、聖書の土地のパレスチナも同じでした。だから、学術調査も示すように、イエス時代に一番人気なのはマリアだったのでした。日本の由美子、陽子、愛も人気の理由があるはずですが、マリアの人気も理由があるのでした。

ところで、イエスの生きた時期を含む当時のユダヤの国の最高権力者の名前はヘロデでした。しかし、ヘロデは政治的手腕はあったが残虐非道な人間で、家族すら容赦なく殺したので、国民で彼を愛する人は一人もいませんでした。ところが、彼の妃が対照的に国民から愛されていました。なお、ヘロデは外国人で、ユダヤ人の目からは異教徒でした。それに対して妃のほうは由緒正しいユダヤの王家の血筋を引く女性でした。そして、この王女の名前がマリアなのでした。

このためユダヤ人はヘロデを心の底から忌み嫌い、反対にマリア王妃を残されたユダヤ人のための唯一の希望として愛したのでした。ところが、ヘロデは結婚の8年目にこの妻を殺害したのでした。このため、国民はますますヘロデを憎み、ますますマリアという名を心に深く刻み付けるようになりました。そのため生まれた女の子にマリアと名付ける人もどんどん増えて、今の調査にも見るように、マリア人気が最高に高まっていた頃に、やはりマリアという名前の女性がイエスという子どもを産んでいたのでした。

しかし、これはヘロデによる恐怖政治が敷かれていた時代の話です。その時生まれた女の子にマリアの名を付けた人たちの思いには、平和への祈りがこめられていたのではと考えてみたいのであります。
本日からクリスマスまでの期間を黙想の内に過ごしてまいりたいものです。
コメント
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