今日、これから書く話題には乗り物のことも出てきませんし、いつもの緩い話題もありません。なので興味の無い方は読み飛ばしていただいて構いません。今日はきわめて私的な、TOKYO2020大会への私の思いです。私的な、ということですから組織委員会も、政府・東京都、アスリートを始めとする関係者の意見でもありませんので、あらかじめお断りした上で書いております。
まず、コロナ禍での開催というのは高度な政治的決断なので是非については書きません。もし、7月時点で11月程度の少ない感染者数なら有観客、お酒の提供ありで開催したのではと思います。こればかりは先を読むことができず、開催、中止どちらの選択でも大変な決断であったと思います。感染症が変異株との戦いであることはこれまでの人類の歴史で証明済みですので、これだけ拡大が早く、ワクチンの開発も時間がかかる中、コロナの収束には2年はかかると思っていたので、個人的には2年延期の方が良かったと思っていましたが、ワクチンは行き届かない、デルタ株は蔓延するといった、結果的に一番大変な時期に開催となった感があります。
コロナウイルスという想定外すぎる(これ以上に想定外のことは戦争や大災害くらいしか思い当たりません)ことを除いて、どうしても疑問に思っていたことがあります。IOCが開催時期をある程度限定しているからという理由だそうですが、そもそも7月下旬から8月にかけてという猛暑の季節にやるべきだったのかということです。7月下旬から8月上旬というのは、東京では梅雨も明け、最も気温が上がる季節です。気象庁のホームページに過去のデータが掲載されているので誰でも確認できますが、この30年の気温を見ても、この時期に開催するのが適切とはとても思えません。この30年で比較的涼しかったのは長雨でコメ不足になった1993年と2003年くらいです。高温、高湿度がアスリートや観客にとってベストなシーズンである、という理由を逆に説明してほしいです。
温暖化のみならず、都市化で気温は年々上昇しています。招致が決まった時点から急に暑くなったわけではありません。せめて8月下旬から9月頃に開幕すべきだったかと思います。世界的に温暖化が進んでいると言われる昨今、東京に限らずこの季節に開催できる、という都市は難しくなり、開催できるのは南半球や高緯度、標高の高いの都市になってしまうのではと思います。以前も書きましたが私は都市ボランティアとしての活動をしていましたが、その時のユニフォームも着用できるのは真夏限定、といった感があります。観客を入れての開催だったら熱中症への対策を相当厳重に行う必要があったと思います。この暑さ対策のため、陸上競技ひいては五輪の「象徴」でもあるマラソンを1000キロ近く離れた都市で実施など「ホストシティ軽視」としか思えませんでした。もっとも、これは冬と同様に二都市開催への既成事実かもしれないですね。ちなみに1991年に東京で開催された陸上の世界選手権は8月下旬開催で、マラソンは早朝スタートでした。
さて、今回の大会ですが、当初は個人的な理由として、招致そのものに疑問を感じていました。
もともと2016年の大会に向けて招致が行われていましたが、2016年も含めて、なんのためにという視点が今一つだったように思います。当初、招致を言い出したのは石原知事時代の話ですが、単に昭和の成功体験で思いついたのかとさえ思えました。知事本人の考えなのか、外部の方からの示唆かは分かりませんが、五輪の他にも都内企業によるジェット旅客機の開発といった政策もありましたので、余計にそのように感じたわけです。
前回の五輪どころか高度成長期以降に生まれ、バブルがはじけてから社会に出た世代が50代になっています。この人たち(私もそうですが)は、よく言えば成熟、悪く言えば収縮、閉塞していく日本の姿と共に社会に居続けています。もう昔のように若い国、都市ではなくなっただけに都市として成熟した姿を見せる五輪を見せ、それを目指すのかと思っていました(リオの閉会式ではそういう感じはしましたが)。五輪で景気浮揚させようとか、もう一度高度成長を、という年配の方のご意見を聴くと、私の世代であっても強い違和感を感じておりました。
なぜ、東京が、ということでは、そもそも90年代以降日本国内でも「東京外し」が進んでいたのは事実でした。2002年のサッカーW杯だって東京で試合は行われず、埼玉や横浜に競技場を作っていたくらいですから、あえて東京に集めない、という流れになっていたのが、急に東京が手を挙げたのが不思議な感じでした。
東京はかつてはNY、ロンドンと並ぶ金融都市、などと自負していましたが、バブル崩壊以降シンガポール、香港、上海にまで遅れをとり、うがった見方ですが都も、もしかしたら政府も東京の価値を高めるために躍起になっていたのではと思います。2000年代以降は23区内の大規模な再開発、観光の振興、外資の導入といったことに積極的ですが、五輪がその集大成にも感じました。招致に際して都民の関心は当初低かったのですが、正直に東京の価値を高めたい、と都民に説明しても良かったのではと都民の一人として思いました。
招致活動の中で東北の復興、という意味合いがあって、図らずも震災から10年に開催となりました。しかし何を以て復興なのか、というのは難しいと思っています。廃炉に目途が立ったからなのか、仮設住宅がなくなり、みんなが不自由なく暮らせるようになったからなのか、受け止め方はそこは人によって異なるでしょう(そんな中で福島で行われたソフトボールの試合で、海外の監督が「ここで試合ができて良かった」とコメントを残しているので、それが聞けて個人的には心を動かされました)。
震災に絡めて言いますと、東北の震災以降、首都直下型地震のリスクについても語られるようになり、30年以内に70%といった確率まで語られています。招致の際に開催やそれまでの準備のリスクとしてどれくらい考慮されていたのでしょうか。もし、開催直前又は開催中に発生したら、どうするつもりだったのか、マスコミも招致一色、開催一色(そのあとはコロナ一色でしたが)でしたので、大丈夫なのかという心配は常に(今もですが)ありました。
五輪、パラも含めるとはそもそも1か月ちょっとの「お祭り」であって、それによってみんなの懐が潤うわけではありません。空からお金が降ってくるわけではないですからね。もちろん、子供たちへのレガシーという以前に大人たちにも良い思い出という精神的な栄養となりましょう。そうは言っても準備には莫大な費用がかかります。大会の開催そのものを今どきの商業五輪で黒字にできても、開催後の施設の管理など、無駄な出費と批判されることもあります。30数年前のバブルでもないのにそのためにたくさんのお金を使う余裕がある、とは言い切れない感がずっとありました。
それでも自分が背を向けず、さらにボランティアというかたちで「参加」までしたのは
・上記のマイナス面を挙げても、五輪の持つ魅力には単純に抗えない。
・開催が決まった以上、その都市に住む人間として誠実にお迎えしたいという義務感
・前回大会に身内が関わっていた、ということから「お家の仕事」である
・私も含めスポーツ好きの日本人は全ての競技、種目(日本人が出てようがいまいが)に関心が高く、盛り上がらない理由は見当たらない。
という気持ちがあったからでした。
ちなみに、五輪を特別視するのは日本人だけ、という意見を耳にしますが、海外のニュースサイトを見れば、トップ(あるいはスポーツのトップ)に自国のメダル数を掲載している国も目立ちました。決して日本人だけが特別視しているわけではないと思いますが、どうでしょうか。
コロナに絡めての話として、開催していたから気が緩んで感染者が増えた、というのもどうなのかと思いました。政府、都はテレワークなどを奨励していましたが、電車の混み方はあまり変わらない感じがしました。例年の学校が夏休みになった8月と変わらなかった感があります。都はテレワークを奨励し、企業がテレワークのための規程を作ったり、設備を導入した場合にお金を出していたようですが、実際にどれだけの企業の何割の従業員がテレワークに参加していたのでしょうか。感染者が増えたのはワクチン接種が進まない中でデルタ株が急速に流行したことが大きな要因ではなかったのか?科学的な検証をしてほしいところです。
また、ボランティアについても五輪のためとは謳っていないにしても、都の場合ボランティア休暇を導入した企業にお金を支給していて、それらの企業は公表されています。果たしてこれらの企業からどれだけの人数が会場ボランティアや都市ボランティアに応募したのかも気になります。当初はボランティアが足りない、などと言われていましたし、観客を入れることを想定した時点でシフトの希望を聞かれたときには「土日は希望が集中するので平日に入れてほしい」といったことを言われています。ボランティア休暇があれば、平日でも支障なく参加できたのではと思います。ボランティア休暇導入のための都の補助金の 募集要項を見ますと、ボランティアを行った日の扱いについては給料を無給にしてもよいという規程でも許されていたようです。無給の上にボランティアだから当然お金も交通費程度しか出ない、となったら、その会社の社員はボランティアをするでしょうか?こういった規程を作って誰が得をするのでしょうか。代理申請も許されていたようですから、コンサルや士業といった企業の代理をした人たちなのでしょうか?
テレワークの実態やボランティアについて、我こそは、という気鋭のジャーナリストがいらっしゃれば、調査報道をしてみてはいかがでしょうか。
コロナが無く海外からの観客を入れて「完全な状態」でやっていたらどうだったでしょうか。そもそもテレワーク、在宅勤務はコロナでそうせざるを得なかったところから出発している企業も多かったのではないかと思います。テレワークも掛け声だけで十分に進まず、電車、商業地域、観光地は大変な混雑だったことが想像できます。コロナ以前も朝のラッシュ時に大荷物の外国人観光客が乗り合わせ、揺れたりするたびにワー、キャーとなって、あまりいい気分ではなかったことを覚えています。電車は遅れるし混むばかりで身動きもとれなくて五輪なんて迷惑、と思う人がいたかもしれません。
批判めいたことばかり書くのか、と言われそうですが、もっとこうすれば(無観客でも)良い大会になったのに、と思うことがあります。
既に書いていますが、個人的には開催時期はずらした方が良かったと思います。9月なら夜もだいぶ気温が下がりますし、あえて時期を早めて晴天の多い5月というのはどうでしょうか。もちろん、7月、8月がよく言われるアメリカのテレビ局に配慮した理由だからというのもありますし、欧州のサッカーもオフシーズンだったり、シーズン開幕直後というのもあるからでしょうが、選手のことを第一に考えれば、梅雨明けの暑さと湿度が厳しき折、というのが開催に適した季節とは到底言い切れません。これは観客、関係者にとっても同じことでしょう。気候変動を正面からとらえた上で、IOCが今後柔軟な対応をされることを期待したいです。
見たい競技が(テレビでも)被るのは避けたかったところです。初めて見る競技や四年に一度しか見る機会がない競技にも魅力はたくさんあります。球技と陸上が被るといったこともありました。特に開催国にとってはテレビであっても生で見ることに感動と喜びがあるわけで、各競技の日程も余裕をもってほしかったところです。この競技数だからこそ大会期間は3週間など、長めにせざるを得ないのではと思いました。そうなると開催国・都市の負担も相当なものになりますので、難しいのでしょうが。ちなみに私の家人は高飛び込みの中継を偶然通しで観てとても面白かったと言っておりました。今まで通して観たみたことが無かったので各選手の違い、競技の難しさがよく分かったと言っていました。こうして、新しいファンが生まれることだってあります。
おそらく私の現役世代中に東京(とその周辺)で五輪はないでしょうから、もうお手伝いする機会もないでしょう。TOKYO2020についてこのブログ上で何か書くこともないでしょうから、年が新しくなる前に自分の思いを書かせていただきました。やっぱり、満員のお客さんで試合を見たかったな&こんなことなら会場ボランティアにも応募しておけばよかったな、という思いはずっと消えずにおります。
次回以降は模型の話題です。
まず、コロナ禍での開催というのは高度な政治的決断なので是非については書きません。もし、7月時点で11月程度の少ない感染者数なら有観客、お酒の提供ありで開催したのではと思います。こればかりは先を読むことができず、開催、中止どちらの選択でも大変な決断であったと思います。感染症が変異株との戦いであることはこれまでの人類の歴史で証明済みですので、これだけ拡大が早く、ワクチンの開発も時間がかかる中、コロナの収束には2年はかかると思っていたので、個人的には2年延期の方が良かったと思っていましたが、ワクチンは行き届かない、デルタ株は蔓延するといった、結果的に一番大変な時期に開催となった感があります。
コロナウイルスという想定外すぎる(これ以上に想定外のことは戦争や大災害くらいしか思い当たりません)ことを除いて、どうしても疑問に思っていたことがあります。IOCが開催時期をある程度限定しているからという理由だそうですが、そもそも7月下旬から8月にかけてという猛暑の季節にやるべきだったのかということです。7月下旬から8月上旬というのは、東京では梅雨も明け、最も気温が上がる季節です。気象庁のホームページに過去のデータが掲載されているので誰でも確認できますが、この30年の気温を見ても、この時期に開催するのが適切とはとても思えません。この30年で比較的涼しかったのは長雨でコメ不足になった1993年と2003年くらいです。高温、高湿度がアスリートや観客にとってベストなシーズンである、という理由を逆に説明してほしいです。
温暖化のみならず、都市化で気温は年々上昇しています。招致が決まった時点から急に暑くなったわけではありません。せめて8月下旬から9月頃に開幕すべきだったかと思います。世界的に温暖化が進んでいると言われる昨今、東京に限らずこの季節に開催できる、という都市は難しくなり、開催できるのは南半球や高緯度、標高の高いの都市になってしまうのではと思います。以前も書きましたが私は都市ボランティアとしての活動をしていましたが、その時のユニフォームも着用できるのは真夏限定、といった感があります。観客を入れての開催だったら熱中症への対策を相当厳重に行う必要があったと思います。この暑さ対策のため、陸上競技ひいては五輪の「象徴」でもあるマラソンを1000キロ近く離れた都市で実施など「ホストシティ軽視」としか思えませんでした。もっとも、これは冬と同様に二都市開催への既成事実かもしれないですね。ちなみに1991年に東京で開催された陸上の世界選手権は8月下旬開催で、マラソンは早朝スタートでした。
さて、今回の大会ですが、当初は個人的な理由として、招致そのものに疑問を感じていました。
もともと2016年の大会に向けて招致が行われていましたが、2016年も含めて、なんのためにという視点が今一つだったように思います。当初、招致を言い出したのは石原知事時代の話ですが、単に昭和の成功体験で思いついたのかとさえ思えました。知事本人の考えなのか、外部の方からの示唆かは分かりませんが、五輪の他にも都内企業によるジェット旅客機の開発といった政策もありましたので、余計にそのように感じたわけです。
前回の五輪どころか高度成長期以降に生まれ、バブルがはじけてから社会に出た世代が50代になっています。この人たち(私もそうですが)は、よく言えば成熟、悪く言えば収縮、閉塞していく日本の姿と共に社会に居続けています。もう昔のように若い国、都市ではなくなっただけに都市として成熟した姿を見せる五輪を見せ、それを目指すのかと思っていました(リオの閉会式ではそういう感じはしましたが)。五輪で景気浮揚させようとか、もう一度高度成長を、という年配の方のご意見を聴くと、私の世代であっても強い違和感を感じておりました。
なぜ、東京が、ということでは、そもそも90年代以降日本国内でも「東京外し」が進んでいたのは事実でした。2002年のサッカーW杯だって東京で試合は行われず、埼玉や横浜に競技場を作っていたくらいですから、あえて東京に集めない、という流れになっていたのが、急に東京が手を挙げたのが不思議な感じでした。
東京はかつてはNY、ロンドンと並ぶ金融都市、などと自負していましたが、バブル崩壊以降シンガポール、香港、上海にまで遅れをとり、うがった見方ですが都も、もしかしたら政府も東京の価値を高めるために躍起になっていたのではと思います。2000年代以降は23区内の大規模な再開発、観光の振興、外資の導入といったことに積極的ですが、五輪がその集大成にも感じました。招致に際して都民の関心は当初低かったのですが、正直に東京の価値を高めたい、と都民に説明しても良かったのではと都民の一人として思いました。
招致活動の中で東北の復興、という意味合いがあって、図らずも震災から10年に開催となりました。しかし何を以て復興なのか、というのは難しいと思っています。廃炉に目途が立ったからなのか、仮設住宅がなくなり、みんなが不自由なく暮らせるようになったからなのか、受け止め方はそこは人によって異なるでしょう(そんな中で福島で行われたソフトボールの試合で、海外の監督が「ここで試合ができて良かった」とコメントを残しているので、それが聞けて個人的には心を動かされました)。
震災に絡めて言いますと、東北の震災以降、首都直下型地震のリスクについても語られるようになり、30年以内に70%といった確率まで語られています。招致の際に開催やそれまでの準備のリスクとしてどれくらい考慮されていたのでしょうか。もし、開催直前又は開催中に発生したら、どうするつもりだったのか、マスコミも招致一色、開催一色(そのあとはコロナ一色でしたが)でしたので、大丈夫なのかという心配は常に(今もですが)ありました。
五輪、パラも含めるとはそもそも1か月ちょっとの「お祭り」であって、それによってみんなの懐が潤うわけではありません。空からお金が降ってくるわけではないですからね。もちろん、子供たちへのレガシーという以前に大人たちにも良い思い出という精神的な栄養となりましょう。そうは言っても準備には莫大な費用がかかります。大会の開催そのものを今どきの商業五輪で黒字にできても、開催後の施設の管理など、無駄な出費と批判されることもあります。30数年前のバブルでもないのにそのためにたくさんのお金を使う余裕がある、とは言い切れない感がずっとありました。
それでも自分が背を向けず、さらにボランティアというかたちで「参加」までしたのは
・上記のマイナス面を挙げても、五輪の持つ魅力には単純に抗えない。
・開催が決まった以上、その都市に住む人間として誠実にお迎えしたいという義務感
・前回大会に身内が関わっていた、ということから「お家の仕事」である
・私も含めスポーツ好きの日本人は全ての競技、種目(日本人が出てようがいまいが)に関心が高く、盛り上がらない理由は見当たらない。
という気持ちがあったからでした。
ちなみに、五輪を特別視するのは日本人だけ、という意見を耳にしますが、海外のニュースサイトを見れば、トップ(あるいはスポーツのトップ)に自国のメダル数を掲載している国も目立ちました。決して日本人だけが特別視しているわけではないと思いますが、どうでしょうか。
コロナに絡めての話として、開催していたから気が緩んで感染者が増えた、というのもどうなのかと思いました。政府、都はテレワークなどを奨励していましたが、電車の混み方はあまり変わらない感じがしました。例年の学校が夏休みになった8月と変わらなかった感があります。都はテレワークを奨励し、企業がテレワークのための規程を作ったり、設備を導入した場合にお金を出していたようですが、実際にどれだけの企業の何割の従業員がテレワークに参加していたのでしょうか。感染者が増えたのはワクチン接種が進まない中でデルタ株が急速に流行したことが大きな要因ではなかったのか?科学的な検証をしてほしいところです。
また、ボランティアについても五輪のためとは謳っていないにしても、都の場合ボランティア休暇を導入した企業にお金を支給していて、それらの企業は公表されています。果たしてこれらの企業からどれだけの人数が会場ボランティアや都市ボランティアに応募したのかも気になります。当初はボランティアが足りない、などと言われていましたし、観客を入れることを想定した時点でシフトの希望を聞かれたときには「土日は希望が集中するので平日に入れてほしい」といったことを言われています。ボランティア休暇があれば、平日でも支障なく参加できたのではと思います。ボランティア休暇導入のための都の補助金の 募集要項を見ますと、ボランティアを行った日の扱いについては給料を無給にしてもよいという規程でも許されていたようです。無給の上にボランティアだから当然お金も交通費程度しか出ない、となったら、その会社の社員はボランティアをするでしょうか?こういった規程を作って誰が得をするのでしょうか。代理申請も許されていたようですから、コンサルや士業といった企業の代理をした人たちなのでしょうか?
テレワークの実態やボランティアについて、我こそは、という気鋭のジャーナリストがいらっしゃれば、調査報道をしてみてはいかがでしょうか。
コロナが無く海外からの観客を入れて「完全な状態」でやっていたらどうだったでしょうか。そもそもテレワーク、在宅勤務はコロナでそうせざるを得なかったところから出発している企業も多かったのではないかと思います。テレワークも掛け声だけで十分に進まず、電車、商業地域、観光地は大変な混雑だったことが想像できます。コロナ以前も朝のラッシュ時に大荷物の外国人観光客が乗り合わせ、揺れたりするたびにワー、キャーとなって、あまりいい気分ではなかったことを覚えています。電車は遅れるし混むばかりで身動きもとれなくて五輪なんて迷惑、と思う人がいたかもしれません。
批判めいたことばかり書くのか、と言われそうですが、もっとこうすれば(無観客でも)良い大会になったのに、と思うことがあります。
既に書いていますが、個人的には開催時期はずらした方が良かったと思います。9月なら夜もだいぶ気温が下がりますし、あえて時期を早めて晴天の多い5月というのはどうでしょうか。もちろん、7月、8月がよく言われるアメリカのテレビ局に配慮した理由だからというのもありますし、欧州のサッカーもオフシーズンだったり、シーズン開幕直後というのもあるからでしょうが、選手のことを第一に考えれば、梅雨明けの暑さと湿度が厳しき折、というのが開催に適した季節とは到底言い切れません。これは観客、関係者にとっても同じことでしょう。気候変動を正面からとらえた上で、IOCが今後柔軟な対応をされることを期待したいです。
見たい競技が(テレビでも)被るのは避けたかったところです。初めて見る競技や四年に一度しか見る機会がない競技にも魅力はたくさんあります。球技と陸上が被るといったこともありました。特に開催国にとってはテレビであっても生で見ることに感動と喜びがあるわけで、各競技の日程も余裕をもってほしかったところです。この競技数だからこそ大会期間は3週間など、長めにせざるを得ないのではと思いました。そうなると開催国・都市の負担も相当なものになりますので、難しいのでしょうが。ちなみに私の家人は高飛び込みの中継を偶然通しで観てとても面白かったと言っておりました。今まで通して観たみたことが無かったので各選手の違い、競技の難しさがよく分かったと言っていました。こうして、新しいファンが生まれることだってあります。
おそらく私の現役世代中に東京(とその周辺)で五輪はないでしょうから、もうお手伝いする機会もないでしょう。TOKYO2020についてこのブログ上で何か書くこともないでしょうから、年が新しくなる前に自分の思いを書かせていただきました。やっぱり、満員のお客さんで試合を見たかったな&こんなことなら会場ボランティアにも応募しておけばよかったな、という思いはずっと消えずにおります。
次回以降は模型の話題です。