工作台の休日

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青い客車へのオマージュ

2018年12月26日 | 鉄道・鉄道模型
 来年の改元を控え、今年は「平成最後の」といった言葉が巷をにぎわせております。今日は、そこから30年時を戻して、昭和の最後の日々となった頃の話をしましょう。
 昭和63年の秋、ある列車が日本の鉄道の話題をさらっていました。
 フジテレビが開局30年事業として「オリエント急行」をパリから香港まで、さらにJRの本線上で走らせるという壮大な企画を実現させたのです。クラシカルな編成が昭和63年9月にパリを出発、ヨーロッパ各国、ソビエト(当時)などを経て、英国領だった香港に到着。そこから海路で山口県に運び、日本の台車に改軌の上、日本の本線上を走り、日本一周ツアーや各都市へのツアーを行い、12月25日まで運行しました。
 オリエント急行ですが、かつてはパリからイスタンブールなど、欧州とアジア、中東連絡の役割を持つ豪華寝台列車として君臨していたものの、第二次大戦後以降凋落が進み、パリ・イスタンブール間のオリエント急行は70年代に運行を止め、欧州内の列車名としてしばらく残ることになります。ちょうどその頃から、クルーズトレインのような形で戦前の客車を主に使用した「オリエント急行」が、欧州内で複数の会社によって運行されるようになります。日本にやってきたのは「ノスタルジー・イスタンブール・オリエントエキスプレス」(NIOE)と呼ばれているものでした。こちらは車輛を保有するイントラフルーク社の考えで、極力現役時代の塗装、内装、設備にこだわるというのが特徴でした。
 私も品川駅で展示されると聞いて出かけたのを覚えています。この時は動いていない車輛を見ただけですので、模型屋さんのショーウィンドウに自分が人形のサイズになって迷い込んだような錯覚を覚えました。「本当に日本に来たんだなあ」という思いと、青い車体の色が日本のどの客車にもない色で、本当に美しいと感じました。
 私の周囲にも、それまで外国型など見向きもしなかった人間が、美しい客車の虜となり「追っかけ」をしていましたので、やはり多くの人にとって特別な列車だったのでしょう。
 そんな昭和63年秋のある日、いつも通学で使っていたJRの路線で、偶然EF65PFが牽引するオリエント急行とすれ違いました。日常の風景の中に、夢のような光景が出現した感じで(牽引機があまりにも「普通の」電気機関車ということもあって)、とても感動したのを覚えています。ブルマン車の赤いランプシェードが薄暮の中で淡く光るのがとても印象的でした。
 その後も旅先で偶然停車しているところに出会いました。客車の屋根から石炭を燃やす臭いが立ち上ってきました。NIOEの車輛は暖房や食堂の厨房の熱源などに石炭を使用しており、各寝台車の車端部には暖房と温水用の小さなボイラーがありました。ベテランの駅員氏が蒸気時代を思い出したのか「懐かしい匂いだなあ」とつぶやいていました。
 個人的な思い出をつづっているだけでだいぶ長くなってしまいました。次回はオリエント急行を紹介した当時の鉄道雑誌の話と、模型の事も少し書きましょう。


 
 

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