#117 ロイ・ミルトン「Information Blues」(25 Best: Blues Classics/Madacy Special MKTS)
1930~50年代に活躍したシンガー/バンドリーダー、ロイ・ミルトンのスペシャルティ在籍時の録音より。ミルトンのオリジナル。
ミルトンは1907年、オクラホマ州ワインウッド生まれ。30年代より西海岸に移住、ロサンゼルスにて自身のバンド、ザ・ソリッド・センダーズを結成する。
ジャンプを軸にしたその勢いあるサウンドは、40年代半ばにブレイク。スペシャルティの前身レーベル、ジューク・ボックスから出した「R.M.Blues」(46年)が大ヒット。以来、50年代半ばまで約20曲のスマッシュ・ヒットを出し続けた、文字通りのヒット・メーカーだったのである。
「Information Blues」もそのひとつで、いかにもノリのいいジャンプ・ナンバー。
ミルトンの妻でもあるピアニスト、カミル・ハワードの軽快なプレイから始まるこの曲は、重厚な4ビート・サウンドにミルトンの軽めのボーカルが絡み、実に粋な雰囲気を醸し出している。
当時、爆発的な人気を博したというのも、うなずけるよね。
ルイ・ジョーダンあたりと並ぶ、黒人ロックン・ローラーの先駆け的存在ともいえそう。50年代後半にロックンロールの担い手が、より若い黒人や白人に移っていくまでは、ジャズを基盤としたいかにも手堅いサウンドで、ヒット曲を量産し続けたのである。
ミルトン自身はシンガー、リーダーだけでなくドラマーをも兼ねており、つまりはサウンド・クリエイターでもあったということだな。まさに手練のミュージシャン。
見た目は完全にオジサンで、ロック・スター的なビジュアルではなかったけれど、その歌声、ドラム、そしてバック・サウンドは、実にヒップでカッコいい。
スペシャルティが単なるローカル・レーベルのひとつの域を越えて、全米的な影響力を持つレーベルになったのも、このミルトンの活躍に負うところが大きいという。そういう意味でも、ブラック・ミュージック史上、無視できない存在なのだ。
そのビート感覚ひとつとっても、いまだに学ぶべきものが多いと思うよ、ロイ・ミルトンは。必聴であります。
1930~50年代に活躍したシンガー/バンドリーダー、ロイ・ミルトンのスペシャルティ在籍時の録音より。ミルトンのオリジナル。
ミルトンは1907年、オクラホマ州ワインウッド生まれ。30年代より西海岸に移住、ロサンゼルスにて自身のバンド、ザ・ソリッド・センダーズを結成する。
ジャンプを軸にしたその勢いあるサウンドは、40年代半ばにブレイク。スペシャルティの前身レーベル、ジューク・ボックスから出した「R.M.Blues」(46年)が大ヒット。以来、50年代半ばまで約20曲のスマッシュ・ヒットを出し続けた、文字通りのヒット・メーカーだったのである。
「Information Blues」もそのひとつで、いかにもノリのいいジャンプ・ナンバー。
ミルトンの妻でもあるピアニスト、カミル・ハワードの軽快なプレイから始まるこの曲は、重厚な4ビート・サウンドにミルトンの軽めのボーカルが絡み、実に粋な雰囲気を醸し出している。
当時、爆発的な人気を博したというのも、うなずけるよね。
ルイ・ジョーダンあたりと並ぶ、黒人ロックン・ローラーの先駆け的存在ともいえそう。50年代後半にロックンロールの担い手が、より若い黒人や白人に移っていくまでは、ジャズを基盤としたいかにも手堅いサウンドで、ヒット曲を量産し続けたのである。
ミルトン自身はシンガー、リーダーだけでなくドラマーをも兼ねており、つまりはサウンド・クリエイターでもあったということだな。まさに手練のミュージシャン。
見た目は完全にオジサンで、ロック・スター的なビジュアルではなかったけれど、その歌声、ドラム、そしてバック・サウンドは、実にヒップでカッコいい。
スペシャルティが単なるローカル・レーベルのひとつの域を越えて、全米的な影響力を持つレーベルになったのも、このミルトンの活躍に負うところが大きいという。そういう意味でも、ブラック・ミュージック史上、無視できない存在なのだ。
そのビート感覚ひとつとっても、いまだに学ぶべきものが多いと思うよ、ロイ・ミルトンは。必聴であります。