#135 サンタナ「Travelin' Blues」(Early Classics/Blumountain Records)
サンタナの、CBSデビュー以前のレコーディングより。チャールズ・ブラウンの作品。
サンタナのリーダー、カルロス・サンタナは1947年メキシコ生まれ。62年、10代の半ばにアメリカはサンフランシスコに移住。このことがカルロスの人生を大きく変えた。
当時はホワイト・ブルース・ムーブメントが始まろうとしていたころ、多感なカルロス少年は、その動きをフィルモアをはじめとする西海岸のライブハウス、モンタレー・フェスティバルのようなイベントで感じとり、大いに影響を受けた。たとえば、ポール・バターフィールド。たとえば、マディ・ウォーターズといった具合だ。彼らに憧れ、カルロスもブルース・ギターを弾くようになる。
66年、カルロスは自身のバンドを結成。サンタナの前身であるサンタナ・ブルース・バンドである。
そのころの彼らのレパートリーは、B・B・キング、レイ・チャールズといった黒人ブルースマンのナンバーのカバーが中心だった。
そして、ティンバレス、コンガといったラテン・パーカッションはまったく使っていなかった。あくまでも「ブルース」バンドだったからである。
きょうの一曲はその頃録音されたもの。西海岸系ブルース・ピアニスト、チャールズ・ブラウンのおなじみのナンバーである。
ここではピアノではなくオルガンを使い、小粋な西海岸ブルースというよりは、やや泥臭いアレンジだ。ジョン・メイオール率いるブルースブレイカーズ風のスタイルともいえる。
実際、ギターのプレイを聴くと、エリック・クラプトンあたりの影響がモロに感じられ、サンタナらしさ、オリジナリティといえるものはまだ確立されていない。
ブラインドフォールド(目隠し)テストをしても、カルロスのプレイと正しく当てられるひとは、まず、いないんじゃないかな。クラプトン? ピーター・グリーン? マイケル・ブルームフィールド? てな感じで。その演奏スタイルも、どこか借り物っぽいといわざるをえないのである。
その後カルロスは、己れのアイデンティティを確認し、それがブルースというよりはラテン・ミュージックであると意識したことから、自分なりの音楽作りを始めるようになる。
オリジナル曲を作り、パーカッショニストを迎えたころ、カルロスは決断した。バンド名からブルース・バンドを削り、「サンタナ」としたのである。
これが、「ラテン・ロック」誕生の瞬間だった。
自らの血が欲する音楽をうちたてたカルロスの、その後の快進撃は、ここに書くまでもないだろう。69年アルバム「サンタナ」でデビュー以来、60代となった現在でも、精力的な活動を続けるカルロス、そしてサンタナ。
彼らがオリジナリティを打ち立てるまでの「模索期」を知ることが出来る、貴重な記録。ぜひ、聴いてみてほしい。
サンタナの、CBSデビュー以前のレコーディングより。チャールズ・ブラウンの作品。
サンタナのリーダー、カルロス・サンタナは1947年メキシコ生まれ。62年、10代の半ばにアメリカはサンフランシスコに移住。このことがカルロスの人生を大きく変えた。
当時はホワイト・ブルース・ムーブメントが始まろうとしていたころ、多感なカルロス少年は、その動きをフィルモアをはじめとする西海岸のライブハウス、モンタレー・フェスティバルのようなイベントで感じとり、大いに影響を受けた。たとえば、ポール・バターフィールド。たとえば、マディ・ウォーターズといった具合だ。彼らに憧れ、カルロスもブルース・ギターを弾くようになる。
66年、カルロスは自身のバンドを結成。サンタナの前身であるサンタナ・ブルース・バンドである。
そのころの彼らのレパートリーは、B・B・キング、レイ・チャールズといった黒人ブルースマンのナンバーのカバーが中心だった。
そして、ティンバレス、コンガといったラテン・パーカッションはまったく使っていなかった。あくまでも「ブルース」バンドだったからである。
きょうの一曲はその頃録音されたもの。西海岸系ブルース・ピアニスト、チャールズ・ブラウンのおなじみのナンバーである。
ここではピアノではなくオルガンを使い、小粋な西海岸ブルースというよりは、やや泥臭いアレンジだ。ジョン・メイオール率いるブルースブレイカーズ風のスタイルともいえる。
実際、ギターのプレイを聴くと、エリック・クラプトンあたりの影響がモロに感じられ、サンタナらしさ、オリジナリティといえるものはまだ確立されていない。
ブラインドフォールド(目隠し)テストをしても、カルロスのプレイと正しく当てられるひとは、まず、いないんじゃないかな。クラプトン? ピーター・グリーン? マイケル・ブルームフィールド? てな感じで。その演奏スタイルも、どこか借り物っぽいといわざるをえないのである。
その後カルロスは、己れのアイデンティティを確認し、それがブルースというよりはラテン・ミュージックであると意識したことから、自分なりの音楽作りを始めるようになる。
オリジナル曲を作り、パーカッショニストを迎えたころ、カルロスは決断した。バンド名からブルース・バンドを削り、「サンタナ」としたのである。
これが、「ラテン・ロック」誕生の瞬間だった。
自らの血が欲する音楽をうちたてたカルロスの、その後の快進撃は、ここに書くまでもないだろう。69年アルバム「サンタナ」でデビュー以来、60代となった現在でも、精力的な活動を続けるカルロス、そしてサンタナ。
彼らがオリジナリティを打ち立てるまでの「模索期」を知ることが出来る、貴重な記録。ぜひ、聴いてみてほしい。