フリーアナウンサーのH氏の不倫疑惑報道、彼の釈明、そしてネット民の反応について思ったこと。
彼をバッシングする人びとは、彼が不倫(と推定される行為)を行なったことがまず許せないのだろうが、それはどうなんだろう。
人間、大なり小なり過ちは誰しも犯すものだ。
H氏は、報道された通り、奥さんと微妙な関係、つまり別居状態に入っていた。
おそらく、彼はこれまでの夫婦生活は終わるしかないと考えていたのではないか。
そんな状態で知り合ったバツイチ女性を、ネクストパートナーにしようという意図で関わってしまったということだと、自分は推測する。
だが、彼は自分がその行動をメディアに監視されているとは、ゆめゆめ思っていなかった。
その油断の結果、(もしかしたら、まだその女性とは肉体関係にまで至ってなかったかもしれないが)スキャンダルとして報道されてしまった。
しかし、彼のやったこと自体は(軽率のそしりは免れないとはいえ)、人間の情理にかなった行動だったと思う。
妻と完全に離婚が成立するまで、次の相手を探してはいけない、なんてどだい無理な注文だ。
問題はむしろ、報道されてからの対応のほうにある。
彼は「相手のために」ふたりの間に恋愛関係はなかったと釈明した。
これが何重もの意味で、罪深い行為だとはH氏は思わなかったのだろうか。
この言葉によって名誉を守られるのは、どう考えても、相手の女性より彼の方ではないか。
自分の名誉を捨てて、相手の名誉を守っている行動とは絶対に言えない。
むしろ、相手のためと言って、自分の名誉を守るという「おためごかし」にほかならないだろう。
相手の女性も、彼のことを真実好きになっていたかもしれないのにだ。
この彼の釈明の言葉に傷ついているかもしれない。
彼はたぶん、本当の自分の気持ちを言ってはいない。
彼の立場を守るために、何かしらの嘘をついている。
問題は、じつはそこにあるのだ。
彼は今後、たとえ離婚して独身になったとしても、その相手の女性と恋愛することは許されないと思う。
もし今嘘をついているのならば、それは当然の報いだ。
嘘はひとつついてしまうと、彼が嘘つきでないことを証明するために、新たな嘘をずっとつき続けないといけなくなる。
そういうものだ。
彼の涙にほだされている場合ではない。
保身のために本当のことを言えない人間に、報道の仕事をする資格はあるのだろうか。
大いに疑問である。
彼をバッシングする人びとは、彼が不倫(と推定される行為)を行なったことがまず許せないのだろうが、それはどうなんだろう。
人間、大なり小なり過ちは誰しも犯すものだ。
H氏は、報道された通り、奥さんと微妙な関係、つまり別居状態に入っていた。
おそらく、彼はこれまでの夫婦生活は終わるしかないと考えていたのではないか。
そんな状態で知り合ったバツイチ女性を、ネクストパートナーにしようという意図で関わってしまったということだと、自分は推測する。
だが、彼は自分がその行動をメディアに監視されているとは、ゆめゆめ思っていなかった。
その油断の結果、(もしかしたら、まだその女性とは肉体関係にまで至ってなかったかもしれないが)スキャンダルとして報道されてしまった。
しかし、彼のやったこと自体は(軽率のそしりは免れないとはいえ)、人間の情理にかなった行動だったと思う。
妻と完全に離婚が成立するまで、次の相手を探してはいけない、なんてどだい無理な注文だ。
問題はむしろ、報道されてからの対応のほうにある。
彼は「相手のために」ふたりの間に恋愛関係はなかったと釈明した。
これが何重もの意味で、罪深い行為だとはH氏は思わなかったのだろうか。
この言葉によって名誉を守られるのは、どう考えても、相手の女性より彼の方ではないか。
自分の名誉を捨てて、相手の名誉を守っている行動とは絶対に言えない。
むしろ、相手のためと言って、自分の名誉を守るという「おためごかし」にほかならないだろう。
相手の女性も、彼のことを真実好きになっていたかもしれないのにだ。
この彼の釈明の言葉に傷ついているかもしれない。
彼はたぶん、本当の自分の気持ちを言ってはいない。
彼の立場を守るために、何かしらの嘘をついている。
問題は、じつはそこにあるのだ。
彼は今後、たとえ離婚して独身になったとしても、その相手の女性と恋愛することは許されないと思う。
もし今嘘をついているのならば、それは当然の報いだ。
嘘はひとつついてしまうと、彼が嘘つきでないことを証明するために、新たな嘘をずっとつき続けないといけなくなる。
そういうものだ。
彼の涙にほだされている場合ではない。
保身のために本当のことを言えない人間に、報道の仕事をする資格はあるのだろうか。
大いに疑問である。