NEST OF BLUESMANIA

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#260 スティーリー・ダン「Rikki Don't Lose That Number」

2013-03-24 09:52:58 | Weblog
#260 スティーリー・ダン「Rikki Don't Lose That Number」(Pretzel Logic/MCA)

スティーリー・ダン、74年リリースのサード・アルバムより。ドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカーの作品。

スティーリー・ダンは現在に至るまで活動を続けているフェイゲン、ベッカーのユニットだが、結成当時はバンドとして活動していた。

ふたりは元々ニューヨークの音楽学校で知り合い、作曲家を志していたが売れず、バックミュージシャンで食べていたのだが、プロデューサー、ゲイリー・カッツに見出されてロサンゼルスでバンド・デビューししたのだ。メンバーはそのふたりの他にジェフ・バクスター(g)。デニー・ダイアス(g)、ジム・ホッダー(ds)らがいた。

デビュー・シングル「Do It Again」が全米6位の大ヒットとなり、いきなり表舞台へ躍り出た彼らは、一作一作ごとに斬新なサウンド、独自のシニカルな歌詞で注目を浴び続けることになる。

レコーディングと並行して、ライブ演奏も行ってはいたが、フェイゲン=ベッカーは必ずしもそれを好まず、彼らの目標はあくまでも完璧なスタジオ録音盤を制作することにあった。

次第に彼ら以外のメンバーとのズレが表面化し、バンドは崩壊することになる。サード・アルバムのリリース後、バクスター、ホッダーが解雇される。以後、スティーリー・ダンはバンドではなく、ふたりのユニットとして、他のミュージシャンを自由自在に起用して、アルバムを制作していくことになる。

そして、77年の「彩(Aja)」、80年の「ガウチョ」でピークを極めた後、いったん活動を休止することになる。それは、あまりに完璧主義が高じた結果といえなくもない。そのくらい、彼らのサウンドは一分の隙もなく構成されていたのである。

ロックバンドといえば、ラフでワイルドで汗の匂いがする、というのが通り相場だったが、彼らはそのパブリック・イメージに反して、インテリで汗の匂わないクールネスな世界を創り上げたのである。

もともとロックよりもジャズを好むインテリ学生だったフェイゲン=ベッカーならではの、新時代のロック、それがスティーリー・ダンだったのだ。

さて、きょうの一曲、邦題「リキの電話番号」は聴くひとが聴けば必ずニヤリ、とするであろう一曲。

奇妙なSE(?)に続いてのイントロ。このピアノで弾かれる印象的なリフは、モダンジャズのピアニスト、ホレス・シルヴァーのアルバム「Song For My Father」(Bluenote ST-84185)に収められたタイトル・チューンから、そっくり借用したものなのだ。

あまりに堂々としているので、パクりというより、むしろ引用、本歌取りといったほうがいいような気がする。

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズにも在籍したことのあるファンキー・ジャズの雄、ホレス・シルヴァー。50~60年代には日本でも人気が高く、何度も来日を経験している。

もちろん、スティーリー・ダンのファンの大半は、シルヴァーのこともファンキー・ジャズも知らなかったろうが、この独特のファンキーなリズムに、従来のロックにない、新鮮な感動を覚えたのであり、当時高校2年の筆者もそのひとりであった。

筆者が「リキ」を初めて聴いた頃は「Song For My Father」のアルバムは持っておらず、数年後、ネタ元の曲に触れて、「なるほど」と笑みをうかべたものである。

原曲も非常に魅力的なファンキー・ジャズの佳曲なのだが、それを大胆にアレンジした「リキ」もまた、見事なポピュラーソングになっている。

とりわけ、当時ポコ、後にイーグルスのティモシー・シュミットも参加したコーラスワーク、バクスターとディーン・パークスの2本のカラフルなギター・サウンドが、非ジャズ的な味付けとなり、この曲に多面体的な魅力を与えているように思う。

ノリとか勢いだけじゃない、精緻なロック・サウンドもあることを、スティーリー・ダンは初めて教えてくれたのだ。

凝りに凝ったサウンドの万華鏡を、とくと味わっとくれ。

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