2024年7月6日(土)
#457 エラ・フィッツジェラルド「How High the Moon」(Verve)
#457 エラ・フィッツジェラルド「How High the Moon」(Verve)
エラ・フィッツジェラルド、1960年リリースのライブ・アルバム「Ella in Berlin」からの一曲。ナンシー・ハミルトン、モーガン・ルイスの作品。ノーマン・グランツによるプロデュース。
米国の女性ジャズシンガー、エラ・フィッツジェラルドのプロフィールについては、今年4月の本欄でざっと紹介したので、今回は繰り返しを控えさせていただくが、とにかく20世紀の米国では、間違いなく五指に入るであろう、国民的歌手であった。
エラは50年代後半、名プロデューサー、ノーマン・グランツの元で優れた作品を数多く生み出したが、スタジオ・レコーディングだけでなく、ライブ盤でも長らく名盤と讃えられたアルバムを何枚も残している。
その代表作は58年リリースの「At The Opera House」であろうが、それと同じぐらい高い評価を得ているのが、60年リリースの「Ella in Berlin」である。
このアルバムのラストに収められた、約7分にわたる圧巻のフィナーレ曲が、本日取り上げた「How High the Moon」である。
この曲は元々、1940年初演のブロードウェイミュージカル・レビュー「Two for the Show」のために書かれた。作詞は1908年生まれの女優兼劇作家のナンシー・ハミルトン、作曲は1906年生まれのジャズ作曲家のモーガン・ルイス。劇中では俳優アルフレッド・ドレイク、フランシス・コムストックにより歌われた。
これをさっそく、ベニー・グッドマン楽団が女性シンガー、ヘレン・フォレスト(1917年生まれ)をフィーチャーして同年レコード化、ヒットした。以来歌あり、歌無しを問わず、さまざまなアーティスト(おもにジャズ)によってカバーされていく。
たとえば45年、レス・ポール・トリオはVディスク(軍人向けのレーベル)からインスト版をリリースする。48年、スタン・ケントン楽団は、のちに独立して成功する女性シンガー、ジューン・クリスティ(1925年生まれ)をフィーチャーしてシングルリリース、全米27位のスマッシュ・ヒットとなる。
そして、最も有名なバージョンは、51年3月リリースの、レス・ポール&メアリー・フォードによるシングルだろう。ポールがギターパートの全て、フォードがリードボーカルとコーラスを担当して多重録音した。最終的には12のギターパートと12のボーカルパートが含まれることになる。
この手の込んだサウンド作りが功を奏して、本曲は予想以上の大ヒットとなり、なんと9週に渡り全米1位となる。さらに再発売版もヒットして、ジュークボックスR&Bチャートでも2位となっている。彼らのバージョンは、1970年にグラミーの殿堂入りを果たし、ロックの殿堂にも入ることとなった。
さて、とんでもないビッグ・ヒットとなった本曲は、これで完全にスタンダード・ナンバーとなったが、このポール&フォード版が、究極の完成形とはならなかった。さらに進化したバージョンが生まれたのである、トップジャズシンガー、エラ・フィッツジェラルドによって。
本曲のその複雑な進行・構成に着目したエラの考え出したアイデアはこうだ。普通にコーラス部分をゆったりと歌った後はテンポチェンジ、極限にまでスピードアップして、フェイクを交えながら歌い、その勢いのまま、歌詞抜きのアドリブ・スキャットでエンディングまで突っ走る、というのである。つまり、本来なら楽器がソロをとるパートまで、全てエラの歌の独演会という、ものスゴいアレンジだ。
このエラならではの独自の歌唱スタイルが、1947年9月のカーネーギーホール公演より生まれた。
同年12月にはザ・ドリーマーズをバックにしてレコーディングされ、翌48年デッカレーベルよりリリースされた。これはシングルサイズに3分台にまとめられていたが、短いにも関わらず、中身は実に驚異的な歌唱の連続であった。
以降、ことある毎にエラはこの曲を歌い続け、「Oh, Lady Be Good!」と並ぶステージの定番曲として、その内容をさらに高めていった。
その集大成として、エラは1960年2月西ドイツ(当時)のベルリンでのコンサートをレコード化して、リスナーをさらに驚かせたのである。レコーディング・メンバーはエラのほか、ピアノのポール・スミス、ギターのジム・ホール、ベースのウィルフレッド・ミドルブルックス、ドラムスのガス・ジョンスン。
途中までは、ファースト・レコーディングにおおよそ沿った進行だが、後半からのアドリブパートは際限なく続いていく。
時には「A Tisket, A Tasket」のような自分のレパートリー、あるいはラテンのヒット曲のフレーズを挟み、ユーモアを交えながらスイングしまくる。
次第に伴奏は抜けていき、コード進行を務めるピアノも抜けて、ドラムスのみ残って、エラとのデュオ体制に入る。
こうなると、もはや元曲のコード進行さえ関係なく、エラのアドリブ・スキャットが縦横無尽、自由自在に展開されていく。
このあたりのドラムスとのやり取りが最高にスリリングで、カッコよい。
そして最後はザ・ブラターズでお馴染みの「Smoke Gets In Your Eyes」のフレーズも飛び出して、会場の興奮は最高潮を迎える。この演出は、何度聴いても鳥肌が立つなぁ。
約7分、息もつかせぬ展開で、聴く者を最高の高揚感に導く。人間のボーカルこそが、至高の楽器であることを、自らの極限のパフォーマンスによって完全証明した一曲だ。
このバージョンの「How High the Moon」は2002年、グラミーの殿堂入りとなっている。
エラ・フィッツジェラルドの畢生の名唱、歴史的名アドリブを、とことん味わいつくしてほしい。
米国の女性ジャズシンガー、エラ・フィッツジェラルドのプロフィールについては、今年4月の本欄でざっと紹介したので、今回は繰り返しを控えさせていただくが、とにかく20世紀の米国では、間違いなく五指に入るであろう、国民的歌手であった。
エラは50年代後半、名プロデューサー、ノーマン・グランツの元で優れた作品を数多く生み出したが、スタジオ・レコーディングだけでなく、ライブ盤でも長らく名盤と讃えられたアルバムを何枚も残している。
その代表作は58年リリースの「At The Opera House」であろうが、それと同じぐらい高い評価を得ているのが、60年リリースの「Ella in Berlin」である。
このアルバムのラストに収められた、約7分にわたる圧巻のフィナーレ曲が、本日取り上げた「How High the Moon」である。
この曲は元々、1940年初演のブロードウェイミュージカル・レビュー「Two for the Show」のために書かれた。作詞は1908年生まれの女優兼劇作家のナンシー・ハミルトン、作曲は1906年生まれのジャズ作曲家のモーガン・ルイス。劇中では俳優アルフレッド・ドレイク、フランシス・コムストックにより歌われた。
これをさっそく、ベニー・グッドマン楽団が女性シンガー、ヘレン・フォレスト(1917年生まれ)をフィーチャーして同年レコード化、ヒットした。以来歌あり、歌無しを問わず、さまざまなアーティスト(おもにジャズ)によってカバーされていく。
たとえば45年、レス・ポール・トリオはVディスク(軍人向けのレーベル)からインスト版をリリースする。48年、スタン・ケントン楽団は、のちに独立して成功する女性シンガー、ジューン・クリスティ(1925年生まれ)をフィーチャーしてシングルリリース、全米27位のスマッシュ・ヒットとなる。
そして、最も有名なバージョンは、51年3月リリースの、レス・ポール&メアリー・フォードによるシングルだろう。ポールがギターパートの全て、フォードがリードボーカルとコーラスを担当して多重録音した。最終的には12のギターパートと12のボーカルパートが含まれることになる。
この手の込んだサウンド作りが功を奏して、本曲は予想以上の大ヒットとなり、なんと9週に渡り全米1位となる。さらに再発売版もヒットして、ジュークボックスR&Bチャートでも2位となっている。彼らのバージョンは、1970年にグラミーの殿堂入りを果たし、ロックの殿堂にも入ることとなった。
さて、とんでもないビッグ・ヒットとなった本曲は、これで完全にスタンダード・ナンバーとなったが、このポール&フォード版が、究極の完成形とはならなかった。さらに進化したバージョンが生まれたのである、トップジャズシンガー、エラ・フィッツジェラルドによって。
本曲のその複雑な進行・構成に着目したエラの考え出したアイデアはこうだ。普通にコーラス部分をゆったりと歌った後はテンポチェンジ、極限にまでスピードアップして、フェイクを交えながら歌い、その勢いのまま、歌詞抜きのアドリブ・スキャットでエンディングまで突っ走る、というのである。つまり、本来なら楽器がソロをとるパートまで、全てエラの歌の独演会という、ものスゴいアレンジだ。
このエラならではの独自の歌唱スタイルが、1947年9月のカーネーギーホール公演より生まれた。
同年12月にはザ・ドリーマーズをバックにしてレコーディングされ、翌48年デッカレーベルよりリリースされた。これはシングルサイズに3分台にまとめられていたが、短いにも関わらず、中身は実に驚異的な歌唱の連続であった。
以降、ことある毎にエラはこの曲を歌い続け、「Oh, Lady Be Good!」と並ぶステージの定番曲として、その内容をさらに高めていった。
その集大成として、エラは1960年2月西ドイツ(当時)のベルリンでのコンサートをレコード化して、リスナーをさらに驚かせたのである。レコーディング・メンバーはエラのほか、ピアノのポール・スミス、ギターのジム・ホール、ベースのウィルフレッド・ミドルブルックス、ドラムスのガス・ジョンスン。
途中までは、ファースト・レコーディングにおおよそ沿った進行だが、後半からのアドリブパートは際限なく続いていく。
時には「A Tisket, A Tasket」のような自分のレパートリー、あるいはラテンのヒット曲のフレーズを挟み、ユーモアを交えながらスイングしまくる。
次第に伴奏は抜けていき、コード進行を務めるピアノも抜けて、ドラムスのみ残って、エラとのデュオ体制に入る。
こうなると、もはや元曲のコード進行さえ関係なく、エラのアドリブ・スキャットが縦横無尽、自由自在に展開されていく。
このあたりのドラムスとのやり取りが最高にスリリングで、カッコよい。
そして最後はザ・ブラターズでお馴染みの「Smoke Gets In Your Eyes」のフレーズも飛び出して、会場の興奮は最高潮を迎える。この演出は、何度聴いても鳥肌が立つなぁ。
約7分、息もつかせぬ展開で、聴く者を最高の高揚感に導く。人間のボーカルこそが、至高の楽器であることを、自らの極限のパフォーマンスによって完全証明した一曲だ。
このバージョンの「How High the Moon」は2002年、グラミーの殿堂入りとなっている。
エラ・フィッツジェラルドの畢生の名唱、歴史的名アドリブを、とことん味わいつくしてほしい。