NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#427 ボニー・レイット「Runaway」(Warner Bros.)

2024-06-06 08:03:00 | Weblog
2024年6月6日(木)

#427 ボニー・レイット「Runaway」(Warner Bros.)




ボニー・レイット、1977年4月リリースのシングル・ヒット曲。デル・シャノン、マックス・クルックの作品。ポール・A・ロスチャイルドによるプロデュース。

米国の女性シンガー/ギタリスト、ボニー・リン・レイットは1949年11月、カリフォルニア州バーバンク生まれ。父は俳優、母はピアニストで、幼い頃からピアノを弾くようになる。

8歳の時、クリスマスプレゼントのギターを弾き始め、ピアノよりそちらに熱中するようになる。フォーク・リバイバルのブームに感化され、サマーキャンプで人前で演奏するようになる。

ニューヨーク州の高校を卒業後、ハーバード大系の女子大に入学、学内の音楽グループで歌い始める。ブルースのプロモーター、ディック・ウォーターマンと知り合い、70年夏、フィラデルフィア・フォーク・フェスティバルに出演、伝説的ブルースマン、ミシシッピ・フレッド・マクダウェルとも共演する。ウォーターマンを通じてハウリン・ウルフ、シッピー・ウォーレスとも知り合う。

これが、レイットの一大転機となった。

ブルースを歌い、演奏する若い(当時20歳)白人女性が現れたということで大いに注目を集め、いくつかのレコード会社からもスカウトが来るようになる。最終的に大手ワーナー・ブラザーズと契約、翌71年11月アルバム「Bonnie Raitt」でデビュー。当時のレイットはアコースティック・ギター演奏がメインであった。

セールス的にはふるわなかったが、ロック評論家からの評判はよく、業界内から注視される存在となる。

その翌年、72年9月リリースのセカンド・アルバム「Give It Up」は全米138位の初チャートイン。翌73年10月リリースの「Takin’ My Time」は87位と、作を追うごとに少しずつファンを増やしていく。

4作目の「Streetlights」(74年9月)でフォークやブルースを少し離れて、よりポップな路線にシフトする。チャートは全米80位。

75年リリースの「Home Plate」よりドアーズやジャニス・ジョプリン等との仕事で知られるポール・ロスチャイルドのプロデュースとなる。このアルバムは全米43位と、以前よりも大幅にセールスがアップする。

その2年後に再び彼のプロデュースでリリースした「Sweet Forgiveness」が、知名度、セールス共に伸び悩んでいたレイットの突破口となった。

ついにヒット・シングルが出て、そのおかげでアルバムが全米25位のヒットとなったのである。

そのシングル曲とは、本日取り上げた「Runaway」である。

日本でも「悲しき街角」のタイトルでよく知られるこの曲は、みなさんご存知だろうが、男性シンガー、デル・シャノンが作曲して歌い、大ヒットさせたナンバーだ。

オリジナルのシングルは61年2月にリリースされ、4週連続で全米1位となった。全英、全豪、カナダ、ニュージーランドでも1位など、世界的なヒットとなった。もちろん日本でも。

デル・シャノンのバージョンではアップ・テンポだったこのナンバーを、16年後、ボニー・レイットはテンポを大幅に下げて、ノートン・バッファローのハープを間奏でフィーチャー、ブルージィで重厚な演奏に仕上げている。

大胆にアレンジされたレイット版「Runaway」は、リスナーの耳をとらえてヒット、全米57位を獲得した。

この曲により、彼女のシンガーとしての知名度も、大きく上がった。伸びやかで表現力のある歌声は、達者なギターの腕前と同様に、高く評価されるようになる。

さて、ヒットを出した後のレイットは、やや中だるみ状態となってしまう。知名度が上がったことにより、アルバムは全米30位前後をキープ出来るようになったが、シングル・ヒットには恵まれず、次第にジリ貧状態に陥りるようになる。

「Sweet Forgiveness」リリース後9年を経過した86年の「Nine Lives」では138位と、大幅にセールスが落ち込んでしまう。そして、ワーナー・ブラザーズとの契約も終了する。バックバンドも解散、レイットは失意でアルコール漬けの日々を過ごしたという。

しかし、その3年後の89年3月、レイットは起死回生の一打を放つ。新たに契約したキャピトルレーベルからリリースしたアルバム「Nick Of Time」が全米1位、500万枚を超える、超特大のヒットになったのである。

名プロデューサー、ドン・ウォズを迎えて制作された本アルバムは、基本的にはレイットがずっと追求して来たブルース・ロックをやっており、奇を衒ったようなことは何もやっていないが、それでも過去最大の成功を得られた。

それも詰まるところは、彼女の持つ音楽性の高さ、すなわち歌やギターのうまさ、作曲能力、選曲やアレンジのセンス、そういった全ての賜物なのだと思う。

40歳間近のベテラン女性アーティストが全力を尽くせば、ちゃんとリスナーはそれを見ていて、正当に評価してくれる。

やはりアメリカは、実力主義の国なのだ。アジアのどこかの国みたいに、アーティストの見てくれだけでレコードが何百万枚も売れる甘ったるい市場とは、わけが違うのだな。

ボニー・レイットの不屈のミュージシャン魂には、敬服するばかりである。

そんな彼女の出世作、今日に続く活躍の基盤となった一曲。それが47年前にリリースされた、この「Runaway」だ。

懐かしさと共に、彼女の確かな音楽的実力を、そこにかぎ取ってほしい。




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