NEST OF BLUESMANIA

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音盤日誌「一日一枚」#498 JAMES INGRAM「THE BEST OF JAMES INGRAM」(Warner Bros. 7599-26700-2)

2023-03-30 05:00:00 | Weblog
2023年3月30日(木)



#498 JAMES INGRAM「THE BEST OF JAMES INGRAM/THE POWER OF GREAT MUSIC」(Warner Bros. 7599-26700-2)

米国のシンガー、ジェイムズ・イングラムのベスト・アルバム。91年リリース。クインシー・ジョーンズ、ピーター・アッシャー、トム・ベル、イングラム本人ほかによるプロデュース。

イングラムは52年オハイオ州生まれ。2019年に66歳の若さで亡くなっている。

彼についてはマイケル・ジャクソンの「スリラー」のときに少し触れておいたが、名プロデューサー、クインシー・ジョーンズに認められて世に出たシンガーだ。俗に「クインシーの秘蔵っ子」などと呼ばれているほど。

イングラムは70年代にLAに移住して音楽活動を始め、ボーカルのほか、キーボードもこなしていた。

レコード・デビューは81年のジョーンズのアルバム「愛のコリーダ(The Dude)」。

ここで3曲リード・ボーカルを取り、そのうち「Just Once」が全米17位のシングル・ヒットとなり、快調なスタートを切ったのである。

アルバムのオープニングは「Where Did My Heart Go?」。

91年の映画「シティ・スリッカーズ」のエンディング曲。マーク・シャーマンの作品。トム・ベルとイングラムによるプロデュース。

ヒットこそしなかったが、隠れた人気がある曲。そして、イングラム自身も気に入っているのだろう。

イングラムの高らかな歌唱と、ダイナミックなサウンドが耳に残るナンバー。

「How Do You Keep the Music Playing?」は83年、女性シンガー、パティ・オースティンとのデュエット曲。ジョーンズによるプロデュース。

もともとは82年の映画「結婚しない族(Best Friends)」の主題歌だった曲。ミシェル・ルグラン、バーグマン夫妻による作品。

イングラム同様、ジョーンズお気に入りのオースティンとのデュエット第2弾としてリリース、全米45位、R&Bチャート6位を獲得している。

少し地味だが、心にジワジワと沁みてくるバラード。

哀感に満ちたメロディを、オースティン、イングラム、ともにじっくりと歌いあげている。

「Just Once」は前述のように、イングラム81年のデビュー・ヒット。

バリー・マン、シンシア・ウェイルの作品。ジョーンズによるプロデュース。

メロディ、アレンジともに完璧といっていい構成の、バラード・ナンバー。

それを、持ち前の伸びやかな声で歌いきるイングラム。これでヒットしない方がおかしいぐらい。

日本の当時のTV番組「ベストヒットUSA」あたりでも、よく取り上げていたなぁ。

個人的には、同じ81年にこの曲をさっそくレパートリーにした、嘉門雄三こと桑田佳祐のVictor Wheelsライブバージョンが記憶に鮮明に残っている。

むしろ桑田バージョンでこの曲を知り、イングラムの名前を覚えたと言ってもいいかな。

「Somewhere Out There」はリンダ・ロンシュタットとのデュエット曲。

ジェイムズ・ホーナー、バリー・マン、シンシア・ウェイルの作品。ピーター・アッシャー、スティーヴ・タイレルによるプロデュース。

86年の映画「アメリカ物語」の主題歌。全米2位の大ヒットとなっただけでなく、グラミー賞最優秀楽曲賞も獲得している。

当時すでに大御所然としていたリンダの、透きとおるような歌声はもちろんパーフェクトだが、それを堅実なハーモニーでしっかりサポートするイングラムも見事だ。

バラードの名曲、デュエット曲のスタンダードとして、今もなお歌い継がれるのも当然だろう。

「I Don’t Have the Heart」は90年リリースのシングル。イングラムのソロとしては初の全米1位となった。

アラン・リッチ、ジャド・フリーマンの作品。トム・ベルとイングラムによるプロデュース。

デュエット相手やプロデューサーの威光に頼ることなく、この曲によりようやく自力で大ヒットを掴んだことで、イングラムも揺るぎない自信を獲得したことだろう。

衒いのないストレートな歌いぶりが、心にグッと来る一曲。メロディもいい。

「There’s No Easy Way」は84年リリースのシングル曲。バリー・マンの作品。ジョーンズによるプロデュース。

全米58位、R&Bチャート14位とセールス的にはやや地味だったが、ソウルフルな曲や歌は決して悪くない。

ただ、ソロデビューしてまもないこともあって、全米に彼の名前が浸透するにはまだ時間がかかったということか。

「Get Ready」は91年リリースのシングル。バリー・マン、イングラム、シンシア・ウェイルの作品。イングラムとマンによるプロデュース。

R&Bチャートで59位とヒットには至らなかったが、本人はお気に入りのようで本盤入りとなった。

ディープな雰囲気のソウル・バラード。イングラムのハイトーン・シャウト、マイケル・パウロのソプラノサックス・ソロが印象的だ。

「Baby, Come to Me」は82年リリースのシングル曲。パティ・オースティンとの初のデュエット曲。ロッド・テンパートンの作品。ジョーンズによるプロデュース。

全米1位、全英11位を獲得して、イングラムの名を一気に世界に知らしめたナンバー。落ち着いたムードのラブバラード。

すでにアルバムを何枚も出してヒットシンガーとなっていたオースティンを相手に、互角の歌いぶりを見せたことで、「あの歌の上手い男性シンガーは誰?」と注目を集めることとなる。

時はすでにミュージック・ビデオ時代。世界中に流れるMVから、そうやって次世代のスター・シンガーが生まれていったのだ。

「One Hundred Ways」は81年リリースのシングル。ケイティ・ウェイクフィールド、ベンジャミン・ライト、トニー・コールマンの作品。ジョーンズによるプロデュース。

アルバム「愛のコリーダ」からの第2弾シングル。全米14位、R&Bチャート10位を獲得している。スムースでセクシーなファルセット・ボイスが魅力なナンバー。

だがまだ、ジョーンズのネームバリューで売れていた頃なので、そのセールスもイングラム個人の実力とは言いづらい。

実際彼が、デュエットではないシングルで大ヒットを出すのは90年代に入ってからである。デビュー以降順風満帆に見えて、意外と苦労もあったのだ。

「Yah Mo B There」は83年リリースの、マイケル・マクドナルドとのデュエット曲。全米19位。イングラム、マクドナルド、テンパートン、ジョーンズの作品。ジョーンズによるプロデュース。

元ドゥービー・ブラザーズのマクドナルドは82年よりソロ活動を開始、この曲でグラミー賞最優秀R&Bパフォーマンス賞を獲得する。

聴いてみれば分かると思うが、この曲の主役は完全にマクドナルドであり、イングラムはあくまでもそのサポート役という感じだ。

これはいたしかたない。マクドナルドの声の個性が強すぎて、イングラムのように「誰にでも合わせられる」タイプの声をどうしても「食って」しまうのだ。

なおこの曲は、2008年のアルバム「Stand」で再びマクドナルドと共にレコーディングしている。

「Remember the Dream」はステファニー・タイレル、ジョー・サンプル、スティーヴ・タイレルの作品。91年リリース。シングル・バージョンと、このアルバム・バージョンの2種がある。

大コーラス隊をバックに従えた、ゴスペル風味のナンバー。イングラムの熱い歌心が、全編ににじみ出ている。

思わず希望が湧き起こるような、ポジティブな曲調が素晴らしい。アメリカ人にとって「夢」は、なくてはならないものなのだなと感じる。

ラストの「Whatever We Imagine」は83年リリースのデビュー・アルバム「It’s Your Night」収録曲。デイヴィッド・フォスター、ポール・ゴードン、ジェレミー・ラボックの作品。ジョーンズによるプロデュース。

ゆったりとしたビートの、バラード・ナンバー。白人リスナーにもすんなりと受け入れられそうなAORに仕上がっている。

ここで見せる新人離れしたたくみなボーカル・テクニック、そしてフィーリングはどうだろう。大物感がハンパないぜ。

ジェイムズ・イングラムというアーティストは、キャリアに比して寡作で、生涯に出したアルバムはわずかに5枚だけである。

それでもひとつひとつの曲に、彼の人並みはずれたすぐれた才能が満ちあふれている。

どのようなタイプの曲でも、自分なりに歌いこなしてしまう才能は、たった一枚のアルバムでも十分に知ることが出来る。

そのパワーあふれる歌声は、いつの時代の人々にも強く響くに違いない。

<独断評価>★★★★


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