1年前の記事シリーズは今日はお休み。代わりに年末の日々感じていることを書く。
今年も大した収穫もなく終わろうとしているが、じゃあ何も変化がなかったかというとそうでもない。
今年は自分にとってのホームグラウンドが大きく変わった年だった。
押上のお店が閉店となり、代わりにしばしば行くようになったのが、新橋。
特にバー、ライブハウスには年後半から月に何度も足を運ぶようになった。
長く生きていることもあって、行きつけの店が少なからずあるワタシが、これだけ頻繁に同じ場所に通うようになろうとは思わなかった。
それら新橋のお店が、それだけ居心地のいい空間だという証拠なのだろう。
自分で言うのもなんだが、ワタシは見た目よりもずっと「場の空気」に敏感な人間である。
どんな場でもすぐなじめるということはないし、一人でも自分に合わない人がそこにいると、その場を辞したくなる。
一番嫌いなのは「お山の大将」あるいは「暗に賞賛やお世辞を要求してくる、自惚れの強い人」だ。
どこのコミュニティでもたいていそういうのが一人くらいいて、自分のようにわりとそういうのが気にかかる人間とは軋轢を生じるのが通例だった。
しかし、いまのところ、この新橋の人びとにはそういう鼻持ちならない人種が見当たらない。みんな、気のいい人ばかりなのだ。
これは文字通りの意味で、ものすごく「有難い」ことだと思う。
おそらく、バーの店主の人徳によるものが大きいのだろう。
店を悪い意味で私物化したがる客はやんわり拒否し、皆が楽しく過ごせるようにするのは、店主のプロデュース能力によるところが大きい。
そういう意味でこの「楽園」は偶然出来上がったものではなく、努力の成果なのだ。
われわれ客側も、その理想郷がいつまでも続くよう、見守っていかないとな。
今年一番の収穫、それは新橋の素敵な仲間たちとの出会いといっていいかもしれない。
今年も大した収穫もなく終わろうとしているが、じゃあ何も変化がなかったかというとそうでもない。
今年は自分にとってのホームグラウンドが大きく変わった年だった。
押上のお店が閉店となり、代わりにしばしば行くようになったのが、新橋。
特にバー、ライブハウスには年後半から月に何度も足を運ぶようになった。
長く生きていることもあって、行きつけの店が少なからずあるワタシが、これだけ頻繁に同じ場所に通うようになろうとは思わなかった。
それら新橋のお店が、それだけ居心地のいい空間だという証拠なのだろう。
自分で言うのもなんだが、ワタシは見た目よりもずっと「場の空気」に敏感な人間である。
どんな場でもすぐなじめるということはないし、一人でも自分に合わない人がそこにいると、その場を辞したくなる。
一番嫌いなのは「お山の大将」あるいは「暗に賞賛やお世辞を要求してくる、自惚れの強い人」だ。
どこのコミュニティでもたいていそういうのが一人くらいいて、自分のようにわりとそういうのが気にかかる人間とは軋轢を生じるのが通例だった。
しかし、いまのところ、この新橋の人びとにはそういう鼻持ちならない人種が見当たらない。みんな、気のいい人ばかりなのだ。
これは文字通りの意味で、ものすごく「有難い」ことだと思う。
おそらく、バーの店主の人徳によるものが大きいのだろう。
店を悪い意味で私物化したがる客はやんわり拒否し、皆が楽しく過ごせるようにするのは、店主のプロデュース能力によるところが大きい。
そういう意味でこの「楽園」は偶然出来上がったものではなく、努力の成果なのだ。
われわれ客側も、その理想郷がいつまでも続くよう、見守っていかないとな。
今年一番の収穫、それは新橋の素敵な仲間たちとの出会いといっていいかもしれない。