NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#394 タジ・マハール「Statesboro Blues」(Columbia)

2024-05-04 09:08:00 | Weblog
2024年5月4日(土)

#394 タジ・マハール「Statesboro Blues」(Columbia)






タジ・マハール、1968年リリースのファースト・アルバム「Taj Mahal」からの一曲。ブラインド・ウィリー・マクテルの作品。デイヴィッド・ルービンスンによるプロデュース。

米国の黒人シンガーソングライター、タジ・マハールは本名ヘンリー・セントクレア・フレデリックス。1942年、ニューヨーク・シティのハーレムに生まれ、少年期をマサチューセッツ州スプリングフィールドで過ごす。

父親がジャズピアニスト、母親が教師でゴスペルシンガーという音楽一家に育ったフレデリックスは、自然とギターやハープ等の楽器を習得し、地元の大学での学業のかたわら、ステージ出演もするようになる。

インドの史跡タジ・マハール霊廟にちなんだその名前は、当時からの芸名だ(ちなみにTaj Mahalの正しい発音は、タージ・マハルの方に近い)。

64年にロサンゼルスに移住、当時10代のライ・クーダーやジェシ・エド・デイヴィスらと知り合い、翌年バンド、ライジング・サンズを結成したが、66年にシングル「Candy Man」をリリースしただけで解散(のち92年にアルバムを1枚リリース)。

そのバンドがコロムビアレーベルと契約した縁で、同レーベルよりソロアーティストとしてデビューしたのが68年。本日取り上げた「Statesboro Blues」も、そのファースト・アルバムに収録されている。

ブルースに強く影響を受けた彼の音楽性は、シンガーソングライターが数多く登場した当時の中でも、際立った存在感を放っており、注目が集まる。68年にはローリング・ストーンズ主演のテレビ番組「ロックンロール・サーカス」にも出演して、広く世間にも知られるようになった。

「Statesboro Blues」は、もともとジョージア州出身の黒人ブルースマン、ブラインド・ウィリー・マクテル(1898-1959)の作曲したブルースナンバーだ。1929年にビクターレーベルよりシングルリリースされている。

タイトル中のステイツボローとは、マクテルの出身地トムソンに近いジョージア州の都市の名だ。そこでの思い出をベースに書かれた曲のようである。

実はタジ・マハールはライジング・サンズ時代に、この曲をすでにレコーディングしている。92年にリリースされたアルバムからの音源も、合わせて聴いていただこう。

このファースト・レコーディング、アップテンポの軽快なロックンロール・サウンドにアレンジされており、やたらと陽気でノリばかりはいいのだが、いまひとつ印象に残らないのである。正直言って。

しかし、2年後のソロ・バージョンはだいぶん雰囲気が異なる。ジェシ・エド・デイヴィスのスライド・ギターをメインに押し出したシャッフル・サウンドがなんとも心地いい。

このバージョンに大きく影響されて生まれたのが、そう、オールマン・ブラザーズ・バンドによるバージョンなのである。

アワ・グラスというオールマン兄弟が在籍していたバンドのメンバー、ポール・ホーンズビーの証言によれば、デュアン・オールマンがタジの初期ライブステージを観に行き、この曲の演奏を聴いたことで、それまで指弾きしかしなかった彼が、ボトルネックを使うようになったという。そのくらい、デイヴィスのスライド・ギターは衝撃的だったということか。

オールマンズは71年にこの曲をフィルモア・イーストで演奏して、同年そのライブ盤をリリースしている。

そこでのアレンジは、ほぼタジ版に準じたものとなっている。両者を聴き比べれば、それは明らかだ。いかにオールマンが、タジ版に感化されたかが伺える。

オリジナルのマクテル版は、ギターのみで弾き語られる、いかにも鄙びた雰囲気のカントリー・ブルース。これをエレクトリック化、そしてリズミカルにアレンジして、都会の音楽としたのがタジ・マハール。

ブルースとしての味わいを保ちつつも、ロックのセンスも加味した見事なアレンジメント。オールマンズ版をひたすら愛聴している皆さんにも、実はこんな見事なプロトタイプがあったのだということを、知っていただきたい。






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