2004年5月9日(日)
#216 リトル・フィート「ウェイティング・フォー・コロンブス」(ワーナーミュージックジャパン 18P2-2988)
リトル・フィートの初ライヴ・アルバム。78年リリース。
筆者の場合、リトル・フィートというバンドをきちんと意識して聴くようになったのは、大学に入ってからで、77年あたり。
当時「タイム・ラヴズ・ア・ヒーロー」という新作がリリースされたばかりで、それを皮切りに過去の作品にも遡って聴くようになった。
中高生のころはブリティッシュ系にハマっていた筆者に、アメリカン・ロック、そしてルーツ・ミュージックの魅力を教えてくれたのが、このリトル・フィートだった。
ことに、筆者がそれまで疎かった、ニューオリンズ系の音楽を強く意識するようになったのは、彼らに負う所が大きい。
ヒット曲を連発するようなハデさには無縁だったが、確かな演奏力に裏打ちされた彼らのサウンド、それはまさにリアル・ミュージック体験であった。
さて、当アルバムは77年のロンドン・レインボーシアターでの公演を収録。アカペラ・コーラスの「ジョイン・ザ・バンド」に始まり、「ファットマン・イン・ザ・バスタブ」「オー・アトランタ」「タイム・ラヴズ・ア・ヒーロー」「ディキシー・チキン」「ウィリン」「セイリン・シューズ」といったお馴染みのフィート・ナンバーが目白押しだ。
フィートというと、語られるのはもっぱらその「演奏」という印象があるが、こうやってライヴを聴いていくと、むしろ「歌」のほうの充実ぶりに目を見張らされる。
リード・ヴォーカルを取ることの多いローウェル・ジョージは言うに及ばず、ギターのポール・バレーアー、キーボードのビル・ペイン、ドラムスのリッチー・ヘイワードも、多くの曲で歌っている。「タイム・ラヴズ・ア・ヒーロー」のコーラスとか、ホント、見事な息の合い方だ。
このへんに、彼我のバンドの、音楽に対する姿勢の違いを感じるねえ。
「バンドはまず、歌うためにある」、彼の地では、こういう思想が確立しているのだよ。
リトル・フィートに限らず、有名無名を問わず、むこうのバンドでは複数のメンバーが歌うのが、ごく当然といった感がある。
ところがわが国では、ほとんどの場合、「バンドをやる=楽器を演奏する」という等式が成立してしまっている。
何の楽器も出来ないオミソなひとが、しかたなくヴォーカルをやっている、みたいなケースが多い。
だから、ともすると、歌のいらないヴェンチャーズや高中正義みたいな、インスト偏重の方向に行きがちなのだ。
セッションでも、ギタリストばかり溢れかえって、歌い手がほとんどいない、みたいな状態になりがちだし。
これって、「本末転倒」だと思うけどな。
以前、このことをネット仲間のOthumさんやりっきーさんにも話してみたところ、彼らも自分たちのセッションやバンドではメンバーたちにどんどん歌うよう勧めておられるとのことで、わが意を得たりという感じだった。
やはり、バンドは歌ってナンボ、歌う人間が増えれば増えるほど、その音楽にも広がりが出てくるのだと、筆者は確信している。
閑話休題、フィートの話に戻ろう。
本盤においてフィートは、タワー・オブ・パワーのホーン・セクションという超強力な助っ人を得て、スタジオ盤にまさるとも劣らぬ完璧な演奏を聴かせてくれる。
ことに圧巻なのは、スタジオ・テイクを大幅にエクステンドした、9分にもおよぶ「ディキシー・チキン」。
ビル・ペインのオールド・タイミーなピアノとギターの掛け合いで始まり、ローウェルの歌、ビルのラグタイム風ソロ、そしてタワー・オブ・パワーのディキシー・スタイルの間奏と、ファンキーかつジャズィに展開されるのは、まさに二十世紀アメリカ音楽の大展覧会。
一方、フォーキーな味わいの曲もいい。「ウィリン」ではアコギをフィーチャー、シブ~いハモりを聴かせてくれる。ビルのピアノ間奏も最高だ。
「セイリン・シューズ」は、オリジナル・ヴァージョンとは違って、スローテンポでブルーズィなアレンジ。粘っこいローウェルの歌声が妙にマッチしている。
ラストの、4枚目のアルバムのタイトル・チューン「頼もしい足(FEATS DON'T FAIL ME NOW)」もグー。
客席をコーラスと演奏でグイグイと引っ張っていくパワーは、ハンパじゃない。黒人のファンクとはまたひと味違った、独自のファンキー・グルーヴは、リトル・フィートならではのもの。
近頃、ヤワな音楽が多くて…とお嘆きの諸兄に、この半世紀以上前のリアル・ミュージックを、ぜひお試しいただきたいものだ。
<独断評価>★★★★☆