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☆奈良 飛鳥 * 日本最古の飛鳥寺

2021-11-23 | ♥京都・奈良の旅

 

門前に目を引く達筆の石柱は

寛政4年(1792年)に作られたもので、飛鳥寺への参拝の道標として彫刻されたもの

台石は1400年前の創建時に伽藍の柱の下に使用されていた礎石

 

 

 

高野山から奈良・明日香村にある飛鳥にきました

大和路は、キューンと切なく懐かしく、胸がいっぱいになる悠久の風景に充たされて

 

 

 

「飛鳥寺」は596年に創建された日本初の本格寺院です

仏教を崇拝し政治に取り入れようとした聖徳太子と、有力貴族の蘇我馬子(そがのうまこ)が588年に発願し

百済より渡来した僧や職人により創建されたと言われいます

 

もともとは「法興寺(ほうこうじ)」といい、塔を中心に東西と北に金堂を配し

周囲に回廊を巡らし北側に講堂をも持つという本格的な大寺院の造りでしたが

平城京遷都の際に寺は「元興寺(がんごうじ)」となり新都へ移転してしまい、

主要な伽藍と本尊が残ったこの地は「元元興寺(もとがんごうじ)」と名を変えました

現在は本堂を中心に観音堂、鐘楼などがある小ぶりな境内ですが、

残された本尊の釈迦如来像は「飛鳥大仏」として1400年も鎮座されています

 

 

 

 

石碑文は読めませんが、手を合わせた坊さんが、、

 

 

阿弥陀如来像

 

 

 

飛鳥大仏さまです

お堂の中へは、優しくお迎えして下さり輝くばかりの存在感

立ちどころが分からず、、、威厳があるのに撮影は「どうぞ」です

小グループごとに、僧侶がご説明して下さいました

 

 

 

目はアーモンド型、柔らかいなで肩に分厚い衣がしっかり両側にかかり

お腹のあたりで深く衣紋を刻み、お顔ほどの大きな右手のひらを優しくかざしています

法隆寺の本尊と同じ鞍作鳥(くらつくりのとり)という渡来系の仏師が当時銅15t、黄金30kgを使って造ったという

日本で最古であり飛鳥時代を代表する仏像です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お顔は、東大寺の大仏さまとは違いが分かりますよね

飛鳥大仏さまは今風のうりざね顔?

明日は東大寺の大仏さまに会いに行きますが、また別の貫禄?

 

 

 

 

 

造られた当時は鍍金仕上げだったといいますからキラキラと黄金に輝くお姿だったようです

日本に仏教がやってきてすぐに造られたこの飛鳥大仏は、これまでに幾度となく危機を乗り越えてきました

平城京、平安京への遷都もお寺の存続には大打撃でしたし、鎌倉時代の大火災では全身に損傷を受けました


銅製の仏像は火災などで損傷を受けた場合、旧仏を溶かし新仏に鋳造し直すことが多いのですが

飛鳥大仏は被災した仏さまを生かして失った部分を付け足す形でその姿を再現しています

現在、お顔と右手などの一部に造像当時の姿を残していて

修理をする時にも当初の姿を参考にして造り直されたと思われます

 

飛鳥の世に生まれたお釈迦さまは1400年もの長きに渡り人々を見守り

そして人々に守られてきた貴重な仏さまなのです

 

 

 

 

 

少し右に向いているのは

聖徳太子の生まれた橘の里を見守るためといわれています

 

 

 

 

 

 

 

隣は聖徳太子

 

 

 

 

 

創建の蘇我馬子を始めとする蘇我氏といえば

政治に仏教を取り込み日本が仏教国となるきっかけを親戚関係にあった聖徳太子とともに作りました

この明日香の地にある「橘寺」に生まれたとされる聖徳太子は、のちに神格化され崇められる存在となりました

鎌倉時代には太子信仰のブームが再来し、法隆寺のある斑鳩やここ明日香は聖地となり

太子を慕う信者たちがたくさん訪れたといいます

「飛鳥寺」にも飛鳥大仏の左奥に「聖徳太子像」が祀られています

太子が16歳の時、病気になった父用明天皇のために病気平癒のご祈祷をされているお姿です

両手で香炉を捧げ、髪を角髪(みずら)に結い3mほど先に父のお姿を思い浮かべるように

目の焦点を合わせ真摯にご祈祷する表情は息をのむほど美しいのです

室町時代に作られたと伝わり、「飛鳥大仏」とともに「飛鳥寺」で必ずお会いしたい仏さまです

 

 

お札の聖徳太子と、、、想像できませんが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飛鳥路は古墳が点在しています

出土品は数知れず、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大化の改新で敗れた蘇我入鹿の首塚

飛鳥寺西門へ

 

 

 

 

蘇我入鹿首塚と伝える五輪塔

 

 


これは645年、大化の改新の時に中大兄皇子に暗殺されてしまった蘇我入鹿(創建者・蘇我馬子の孫)の首が

飛鳥板蓋宮からここまで飛んできたという伝説があり

襲ってきた入鹿の首を供養しようと埋められ石塔が置かれたと言われています

現在の五輪塔は高さ149cm。鎌倉時代から南北朝時代に造られたと考えられていて

特徴として笠の形をした火輪の部分が大きく厚みを持たせて作られています

 

正面は飛鳥寺

 

 

 

 

 

蘇我入鹿首塚から畑の中を歩きながら、大和の風景を楽しむ

途中、咲いていた花たち(白ホトトギス、千日紅、百日草)

 

 

 

 

 

境内に、2度咲きの金木犀の香りが漂っていた

 

 

次は室生寺へ

 

 


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