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☆平泉 達谷窟毘沙門堂、別當達谷西光寺

2021-10-03 | ♥岩手県・遠野(早池峰山周辺)・花巻・平泉

 

平泉中心部の南西約6㎞、太田川北岸の東西長約150m

最大標高差約35mの断崖に掘られた洞窟が、達谷窟(たっこくのいわや)です

窟の前面には懸崖造の毘沙門堂があり、中島を伴う蝦蟆ヶ池(ガマヶ池)が配置されている

また毘沙門堂西側の岩面に磨崖仏が刻まれています

 

達谷窟毘沙門堂は、征夷大将軍・坂上田村麿(田村麻呂)の霊蹟で延暦20年(801年)に

国を鎮める祈願所として創建された御堂

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、平安時代に活躍した武将

桓武天皇より征夷大将軍に任命され

大和朝廷が異民族と見なしていた、東北地方に住む「蝦夷」(えぞ)を平定した人物

「毘沙門の化身」と恐れられた田村麻呂

 

京都の清水寺をまねた懸崖造りで、窟堂としては日本一の規模を誇ります

鞍馬寺にならって108体の多聞天を奉ったのが始まり

多聞天は、仏法を守護する四天王(持国天・広目天・多聞天・増長天)のうち、北方を司る神さま

単独で信仰されるときは毘沙門天と呼ばれます

 

蝦夷と田村麻呂に係わる事情は多くの物語、伝承となり西光寺の寺伝にも色を添えています

毘沙門堂は2回にわたって焼失し、現在のものは昭和36年に再建

 

 

それでは一、二、三の鳥居をくぐって

 

弐之鳥居 八石之鳥居

(達谷村の石工3人が江戸時代に建立)

 

弐之鳥居 八丹之鳥居

(昭和30年失、平成10年再建)

 

参之鳥居 八杉之鳥居

(明治初期)

 

※一の鳥居明神鳥居(みょうじんとりい)

          二、三の鳥居明神鳥居形式の両部鳥居(りょうぶとりい)です

 

 

 

 

 

眞鏡山(しんきょうざん)の断崖に掘られた洞窟が、達谷窟

                吽形 ☝ 

狛犬

阿・吽形ともに巻き毛が長く、前足・体はどっしりしています

 

吽形は、目はくるくる、時々スーパーで見かけるの〇〇〇〇の髪型、、

鼻・口が潰れているのでしょうか

 

それでは御堂へ、お参りいたします

 

御堂内には、たくさんの毘沙門天が安置されていました

 

下りの階段

 

 

歩いて、礼堂(らいどう)前に

 

 

岩壁に刻まれた大磨崖仏は、、、

よく探さないと分かりにくく、、、礼堂の目線先で確認 

高さ約16.5m、肩幅約9.9mの大きな像で、その名も「岩面大佛」

前九年の役と後三年の役で亡くなった敵味方の霊を供養するために

源義家が彫りつけたと伝えられています

「北限の磨崖仏」としても名高いこの像ですが

明治29年の地震で胸から下が崩落してしまい、現在も摩滅が進んでいます

 

 

 

 

 

 

 

失礼してで囲み、、

 

 

 

 

 

 

 

(橋を渡り左側)

その昔、慈覚大師(中尊寺や毛越寺を創建)は、奥州を巡りながら教えを広めていました

川を眺めていると、五色のガマガエルが乗った浮島が流れていきます

慈覚大師は、貪欲神(貧乏をもたらす神)がガマガエルに化けていることを見破り

浮島ごと毘沙門堂の前まで連れてきたそう

貧乏神なので、逃げ出されては困る、ということで、お堂を建てる

ガマガエルを鎮めることのできる白蛇(宇賀神王)の冠を頭上に載せた弁財天像を、

慈覚大師自ら彫って祀り、「蝦蟆ヶ池辯天堂」と名付けたのだそう

参照:仏像、ときどきワンダー観光

 

 

 

 

告 自是 辨天堂 仲良き男女は別々に御参り下さい

 

 

 

 

 

 

続いて隣接の達谷西光寺へ、上がって行きます

達谷西光寺には、檀家が一軒もありません

理由は、弔事に出仕した当日は鳥居をくぐることができず

神事を執り行えなくなるからだそうです

お正月には千年以上続く伝統神事が執り行われる

 

 

仏守護童子(ぶつしゅごどうじ)

不動明王の眷属・三十六童子のひとり

 

 

「達谷窟毘沙門堂」が創建された翌年、延暦21年(802年)、別當寺として「達谷西光寺」は創建

「達谷窟毘沙門堂」を根本道場とし、神事などを守り伝えてきた「達谷西光寺」

「達谷西光寺」自体は天台宗のお寺ですが

「達谷窟」はこれらの諸堂や鎮守社から成る神仏混淆の社寺のため、境内に鳥居があります

 

 

ご本尊:薬師如来

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姫待不動堂(裏)

 

 

オオバギボウシの蕾

 

 

惡路王等は京から拐って来た姫君を窟上流の「籠姫」に閉じ込め、「櫻野」で暫々花見を樂しんだ。

逃げようとする姫君を待ち伏せした瀧を人々は「姫待瀧」、

再び逃げ出せぬよう姫君の黒髪を見せしめに切り、その髪を掛けた石を「髢石」と呼んだ。

姫待不動は智證大師が、達谷西光寺の飛地境内である姫待瀧の本尊として祀ったものを、藤原基衡公が再建した。

しかし年月を經て堂宇の腐朽が著しい為、寛政元年(1789年)當地に移された。

桂材の一木彫で、全國でも希なる大師様不動の大像である。
制作年代は平安後期で、岩手有形文化財に指定されている。

 

 

 

 

 

帰路、社務所周辺の花たち

 

オオバジャノヒゲ

 

フジバカマ

 

河骨(こうほね)

 

ヤブカンゾウ

 

 

 

 

参考資料:達谷窟毘沙門堂、別當達谷西光寺 公式サイト こちら

 

探訪・撮影日 2021.7.13

 

 


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