富士山と矢倉岳(やぐらだけ)
小田急小田原線、だんだん青空にくっきり山並み風景が見え始めた頃
小田原駅に向かっている車窓右手に、足柄の山の上に富士山が大きく見えた
進むにつれ、富士山と矢倉岳の二つの山が重なる事を
FH氏は、いつも投稿していた(小田原から渋沢方向で逆だけど・・)
綺麗に覆い重なるのは
栢山(かやま)駅の手前、と言うことらしいが、、、
あっという間に通り過ぎて行った
電車内は空席だったので、撮れたようなもの(*^▽^*)
と言うことで小田原経由、伊豆箱根鉄道大雄山線に乗って大雄山駅へ
リハビリと身体を動かしたくって、
箱根外輪山(明神ヶ岳)の山懐に佇む曹洞宗の古刹
「大雄山最乗寺(だいゆうざんさいじょうじ)・道了尊(どうりょうそん)」参り
そして「天狗の小径」と呼ばれる鬱蒼とした杉木立の参道を歩き、幽邃な境内を探る
大雄山駅併設のモニュメント(標高48m)
↓(傾きすぎね)
大雄山駅を振り返って、これから足柄街道を歩きます
※関本(大雄山駅)バス停から、最乗寺までは伊豆箱根バス「道了尊」行きが出ています
「道了尊」まで(10分)、多くの参拝者はバスを利用する バス時刻表
足柄路(あしがらみち)は律令国家時代の東海道
関本は足柄峠から相模の側に下って最初の宿駅(宿場町)だった。
古事記に見られる「坂本」の地名は関本に比定されている。
古代の東海道は関本から国府津(小田原市)を経て鎌倉、走水(横須賀市)へと向かう。
鎌倉時代に入ってからも、足柄路は箱根路とともに東西を結ぶ街道として機能した。
中世後期の戦国時代には北条氏により小田原城下から関本、足柄峠を経て駿河から甲斐へ抜ける甲州道が整えられる。
さらに近世の江戸時代になると足柄峠から関本を経て松田、大山(蓑毛)から江戸へと通じる矢倉沢往還が整えられた。
途中、ローソンに寄り、水を購入
橋から見えるこんもりした山は矢倉岳(870m)バックに富士山が見えていたのだが
矢倉岳の手前を流れる矢倉沢に沿って遡っていくと足柄峠に至る
大雄橋から最乗寺まではおよそ3㎞、、標高差は260m
住宅の近くに祠?、鏡が正面に(2祠ありました)
鏡に映った自分自身の姿から自分の行動を自覚するという意味があるそうな
そして目を移すと、南足柄神社
大雄山詣り(道了講)の人々が奉納した石碑があちこちに見られる
古い擬宝珠(ぎぼし)かつての橋についていたものか
にぎやかな幼稚園前を通過
元祖 天狗せんべい 村上商店
振り返って
小田原?でしょうか、遠望に海が見えます
舗装された街道だけど、大型トラックが頻繁に往来している
梅を観て一息、
大雄山駅を出発しておよそ20分、仁王門バス停に到着
仁王門から道了尊バス停(終着)まで約2㎞
最乗寺仁王門
山麓の総門(惣門)から本堂までは山道の参道が延々と続く
(浄界への入口という、精神的な象徴)
ココは参道3丁目
朱色の門「東海法窟」の扁額、「最乗寺専門僧堂」の聯(れん)
阿吽の金剛力士像が安置されています
「阿吽」は、それぞれ「宇宙のはじまり・終わり」を表した存在
門の左側には阿形像
右側には吽形像
車道と右が「天狗の小径」
「天狗の小径」には、神奈川県の天然記念物に指定されている杉並木が参拝者を迎える。
創建当時から杉の植林が勧められ、宝徳3年(1451)第5世春屋宗能禅師の時代に
「木を切り倒せば死罪」「枝を切れば腕を切る」という厳しい禁止令が出され、植林と保護が受け継がれてきました。
樹齢は350年から500年の巨木が多く、最大のものは幹周り7m・高さは45mです。
「てんぐのこみち」案内板
参道には、一丁目から十八丁目まで石燈籠型の道標が置かれている
小径はクッション性があり、歩いていて心地いい
石灯籠の〇丁目の、上の字が色々あって(牛・母とか)見えないのが残念
上の四角い所に火を灯す ↓
頂部の火袋(ひぶくろ)が欠損
アオキ
ヤブコウジ
馬酔木(アセビ)
フッキソウ
マメヅタ(豆蔦)
幾つかの階段を上り、ようやく先が見え始めた
十八丁目茶屋
まもなくバス終点の近く、雑木林に隠れて見えにくいが
干支の時計台
終点の「道了尊」バス停に到着
帰路はバスを考え、時刻表を確認
八百万の神 大慈院
(右側の石燈籠の前)
振り返って
「道了尊」の広いロータリー
それでは正面の石階段参道を上がって「大雄山 最乗寺」へ参ります
※参考資料:大雄山 最乗寺 公式サイト
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます