南会津「大内宿」は
江戸時代に会津若松市と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えました
現在も江戸時代の面影そのままに茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び
昭和56年には国選定重要伝統的建造物郡保存地区に指定されています
この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いで行くために、
住民憲章を作り「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を守り
景観の保存にと伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に全員で取り組んでいます。
田島市街地から、ずい分山奥に上ってきました
管理された広い駐車場から、道を挟んで見る風景は、☝ のどかな里山風景
相変わらずの雨模様で、水蒸気を含んだ空気が上昇して幻想的です
よく知られた高遠そば(ネギそば)
会津の殿さまが信州高遠藩で育ち、寛永20年会津藩主となって以来、
大根おろしそばを高遠(たかとお)そばといい、長ネギを箸がわりに用い、薬味をかねているとか
焼き物「はる工房」の水盤
街道の中央から両脇の水路、水量は豊富
藁葺き屋根の修理途中ですね
この保存地区も「結い」と呼ぶ相互扶助により集落を守っています
火見櫓の正面には高倉神社へ向かう鳥居
宿の中央に当然現れる鳥居は、堂々と佇んでいて圧倒されます
大内宿には平氏に追われ、逃げてきた
高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)が潜伏したという伝説が残っています
今日は休日のお店が多く、コロナも雨もあり
観光客は少なめでしたが、帰る頃駐車場は満車近くになっていました
大内宿の一番奥にある湯殿山の坂道を上ると
正法寺
そしてまだ上の階段を上ると
江戸時代にタイムスリップしたような光景が見えました
子安観音と先には弁財天様を安置
子安観音の屋根の草が印象的で・・・
山道は水たまりができ、ぬかるんでいたのですが、、
後からこの場所が展望台と知りました
私は、登山靴と雨具(長靴)を自宅から持参していました(車)
梅雨時の里山散策には長靴がとても便利でした
都会では履くことが無いのですが
子供時代を思い出すくらい雨降りの傘と長靴は楽しかった、です
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