斜めに傾いた屋根が特徴的なのが「神長官守矢史料館」
「神長官」とは諏訪大社の上社の神に仕える職の長のこと
この神長官を中世から明治時代まで代々勤めてきた家柄が"守矢家"です
こちらの史料館は守矢家の敷地内にあり
神事などにまつわる史料や鎌倉時代から伝えられる1600点以上の守矢文書などを保存・展示しています
この「神長官守矢史料館」は、1991年完成の藤森さんのデビュー作で、原点ともいえる存在です
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☆自然に溶け込む大胆な表現 「フジモリ建築」
それでは中へ
新型コロナウイルス感染拡大防止のため検温し、連絡先明記し、、、
前回は臨時休館で見学できなかった旨を伝えると
館長さんから
狩猟が営まれ、本格的な定住生活が始まった縄文時代からの説明
マスクをしているため聞き辛かったのですが
国の特別史跡の茅野市の尖石遺跡など重要な遺跡があることなど話された
(長野県茅野・八ヶ岳は数多くの遺跡が残る)
縄文文化とは、時間的に最も長く考えた場合、土器の出現(最も古い場合は約1万6500年前)から、
水田稲作が開始されるまで(早くは約3000年前、遅くとも約2400年前)、狩猟・採集・漁労・栽培を主な生業とし、
さまざまな動植物を利用し、土器や石器を使い、本格的な定住生活を始めた人々が残した、
こうした文化が形成された時期を、日本の歴史では縄文時代と呼ぶ
御頭祭は、諏訪上社で毎年4月15日に開催されます
(今年は新型コロナの影響で中止)
神前の鹿の頭を捧げて五穀豊穣を祈る御頭祭
別名「酉の祭」とも言われ、正式名称「大御立座(おおみたてまし)神事」です
この行事の最大の見所は、鹿の首75頭をはじめ猪の首や魚、雉などを生贄として供えるということ
近世までは、実際に生きた動物を捕らえて供えていましたが、近年は剥製を使用
それにしても、なぜこのような神事が行われてきたのでしょうか
天明4年(1784年)3月6日に、博物学者であり紀行家でもあった「菅江真澄」が
見聞してスケッチしたものを再現し、御頭祭に関する復原展示をしています
こちらは、ウサギの串刺しや猪の頭皮、鹿皮です
とても衝撃的な展示(キャァ~)
生贄になる際に、なぜか耳が裂けた鹿がいるようです
神の矛にかかったからとの説明書きがありますが
諏訪大社七不思議の1つであり、真相は解明されていません
御頭祭を象徴する
鹿の頭(今は剥製)が2つ並べられました
昔は鹿75頭が神饌(お供え)されたようです
こちらは、御贄柱(おにえはしら)と呼ばれるものです
桧の柱にコブシの枝や柏の葉などをつけています
かつては少年を象徴的に生贄に捧げる儀式「おこう」が存在したようで、その時に使用された柱です
ただ、生贄に捧げるといっても、のちに神官によって解放されるという儀式が行われていました
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サナギ鈴
薄い鉄板をメガホン状に丸め、内部に鉄の舌を吊るして鈴の形に作ってある鉄鐸です
「御宝鈴」あるいは「佐奈伎(さなぎ)鈴」と呼ばれ、これを鳴らすのは「誓約のしるし」で
誓約(うけい)の鈴として土地争い、戦争の和睦などのさい鳴らされたとか
参照=@ザ・ワールド
守矢家ではこの鉄鐸を、
鉄鈴・陰陽石とともにミシャグチ神の三種の神器としているそうです
御頭祭における生贄の儀式はなぜ行われるようになったかについては、定かではありません
いつ始まったのかという資料も残っていないようです
だだ、諏訪という地域は仏教伝来以前から、肉を食べる狩猟の文化があったことは事実でしょう
諏訪は食料が乏しい寒冷な山間部だったので
仏教が伝来した後も古来の肉を食べる習慣が残ったという可能性もあります
少なくとも、人間に恵みをもたらしてくれる自然に感謝する意味で
この生贄の儀式が今日まで行われてきたということかもしれません
館長さんから、裏手の守矢家の敷地の一画に
諏訪信仰と関わりの深いミシャグジ(御左口神)を祀る祠と
古墳を教えてくださいました
御頭御射宮司総社(おとうみしゃぐち)
諏訪大社の古代神が祀られている
「ミシャグジ社」をご参拝
※すべて御柱があります
末社 ①
末社 ②
末社 ③
※みさく神等、呼称については諸説ありコチラを参考にして下さい
ミシャグジ(ミシャグチ/ミサクチ)とは、
記紀には登場しない、太古より日本に伝わる諏訪湖の土着神で、
ミシャグジに対する信仰は、大和民族に対する先住民の信仰とされていました。
その起源は縄文時代といわれ、
当初は、主に樹木、笹、石など、自然万物に降りてくる精霊・自然神と言われていました。
また、諏訪の御射山(みさやま)をご神体とする山神として、
マタギ(猟師)をはじめとする山人達から信仰されていました。
さらに、時代を経るにつれて、ミシャグジは、
諏訪の蛇神であるソソウ神やモレヤ(モリヤ/洩矢)神、さらにはチカト(千鹿頭)神など、
その土地の他の神々と習合して、龍蛇神や木石の神、狩猟の神という性質を持つようになったと考えられています。
参照=むらおの歴史情報サイト(抜粋) レムリア
神長官裏 古墳
高部古墳群の中で唯一つ墳丘
石を積んだ石室(玄室)が露出した墳墓
周りにアブラナ科の小さな花が咲き誇っていました
墳丘上から下る途中
「神長官 守矢史料館」から古来の神事(蛙狩神事・御頭祭・年中4度の御狩神事など)
狩猟民族的な性格を有していたこと
敷地の一画には土着の神と言われる「ミシャグチ神」も祀られていること
そして摩訶不思議な「諏訪の御柱」などなど
長野県諏訪地域に古代の入口があったとは、、、
二ホンタンポポ
縄文神話続きで、
4/24の朝、NHK「おはよう日本」で
「土偶を読む」の研究成果が紹介されました
偶然にも茅野市尖石縄文考古館の「土偶」縄文のビーナス・仮面の女神など
竹倉 史人さんの
などもとても興味をもちました
諏訪大社上社宮前の駐車場まで16号線をてくてく歩きます
「神長官 守矢史料館」を出て前方に、すぐ気が付いたフジモリ建築
焼杉板に御柱、、、
高部公民館建設工事現場でした
こんな公民館が出来るのって羨ましいですね
諏訪大社上社宮前の駐車場から見えた八ヶ岳
次は白州へ
歴史好きにはたまらない場所ですね。
神長守矢氏の祖は洩矢神で・・・・とか
出雲を追われたタケミナカタと争い・・・とか
ユダヤと関係ある・・・とか色々な説やトンデモ説があります。
一時期、これらを色々興味深く読んでいました。
どちらにしても、土着民で確実に狩猟を主とする縄文の地だった様です。
面白いですね。
はい!良い季節に再訪いたしました。
もともと藤森先生の建築に興味があり見学に行ったのですが、、
「神長官守矢史料館」は想像以上にリアルに再現されており、古代の神秘な世界を垣間見ることになりました。
また
館長さんから藤森先生の性格などのエピソードをお聞きし想像通りで和みました。
話はそれましたが、諏訪大社4社のうち、一番上社宮前が落ち着きます。
御頭祭とユダヤ教徒の祭儀まで話を広げると収拾がつかなくなるのでやめにし、、
本音は縄文時代に生まれなくて良かった、と思っています(*^^*)