勝林院は、835年円仁によって開かれ、1013年寂源によって中興されたと伝えられる。
古くから来迎院(左京区大原来迎院町)とともに天台声明の道場であった。
1186年には顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答)がこの寺で行われた。
江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)があったが、現在は宝泉院・実光院の2院が残る。
日本音楽の源である天台声明発祥の寺。
お経を歌のように唱える声明(しょうみょう)は、
大原の里山に響く声明は、厳かに鳴り響き清められた空気が流れていた。
※大原を涼やかに流れる、呂川と律川。
「呂律が回らない」との表現は短調の呂曲・長調の律曲からなる声明から派生したものですが、
大原の二つの川にこの名を冠していることからも、この地が声明の本拠であることがわかります。
ここ勝林院は、声明の根本道場として1023年に大原に初めて開かれたお堂。
天井の高い本堂の中は、ひんやりした空気が漂う厳粛な雰囲気です。
参照=京都大原観光Map
本尊は「大原問答」の時、手から光明を放ち法然が正しい証拠を示したとされる
”証拠の阿弥陀”踏出阿弥陀如来
他にも十一面観音菩薩像、普賢菩薩像、法然上人御木像が祀られています。
本堂
正面柱は(右)勝林院(左)大原問答
石造宝篋印塔(ほうきょういんとう) 重要文化財
梵鐘(ぼんしょう) 重要文化財
お堂は安永7年(1778年、徳川家治の頃)に再建され、
縁起が刻まれた擬宝珠(ぎぼし)wiki もこの時のものです。
屋根は椹板(さわらいた)で葺いた「柿葺き(こけらぶき)」柱、梁など軸組
床板などすべてが欅造り(けやきづくり)となっています 。
雪景色で柿葺きが分かりませんね(*_*)
= 御朱印 =
宝泉寺へ
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