「御謝鹿池」へ向かう湯みち街道を走行中、街道沿いの観音様に気付く
茅野市街から奥蓼科に向かう街道には
今でこそ道も良く車で来れますが、当時は秘境中の秘湯であったのでしょう
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ここ、御射鹿池ができるずっとずっと前からの湯治の道だった
この道沿いには、御射鹿池の近くの明治温泉と
そのずっと上、八ヶ岳の登山口になっている渋御殿湯まで点々と石仏さまがある
いちばん奥まった渋御殿湯のある「渋温泉」が発見されたのは、8世紀後半ごろ
傷によく効くといわれ、武田信玄やその家臣が利用したともいわれます
そして17世紀初め、高島藩初代藩主に諏訪頼水が就いたとき
この渋温泉は藩直轄の温泉地になりました
湯治の場として、農閑期には地元の農民も利用していたようです
しかし、そうは言っても今のように自動車もなければ舗装もされていない山道
険しい道のりを人足や馬が荷物や湯治客を運び、ぽくぽくとこの寂しい山道を行き来します
そうした湯治客たちの安全を祈り、見守る存在として
1820年ころ(文政年間、ちょうど異国船が日本にたびたびやってくるころ)にまず渋温泉の観音様が
そして1902年ころに明治温泉への観音様が、それぞれ33体
地元の有志や湯治客らによって街道沿いに建立されました
参照=たてしなの時間=
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明治温泉 28番の聖観音
渋温泉 11番准胝観音
観音様の前にタチツボスミレ
靄がかかった御射鹿池
おしどり隠しの滝まで晴れるのを待つため歩いてきます
明治温泉へ
明治温泉 12番千手観音
↓
横谷峡遊歩道方向へ下り
山肌の日影は名残り雪が、、、
↓
※ここで「幼児供養地蔵」がつながりました
坂道を下った先は明治温泉まだ開店前のようで準備中
旅館横から下を覗くと、おしどり隠しの滝の絶景が目に入る
奥蓼科の新緑とおしどり隠しの滝 【山の宿 明治温泉】
☆流れる落ちる水の青色、コケの緑色、岩の赤色のコントラストがとてもキレイでしたね
滑滝で長い岩盤を滑り落ちる渓流瀑は、見飽きることなく癒しそのもの
おしどり隠しの滝は滑滝で長い岩盤を滑り落ちるような感じになっています
※強酸性の水に生きる*チャツボミゴケの生育地だと知って
*茶蕾苔(苔類ツボミゴケ科ツボミゴケ属)
次回は明治温泉に浸かり、横谷峡遊歩道を歩いてみたい
御射鹿池に靄がかかり、晴れるのを待った時間つぶしだったが
想像以上の収穫があり、うれしくなった
ご機嫌よく戻ってみると、御射鹿池は靄が上昇し姿を現した
諏訪大社上社前宮に下りて来る途中
小花のエドヒガンが満開で、里山の風景として馴染んでいた(画像なし)
成長は遅いが幹が堅く雪害や風害に強く腐りにくいためか
サクラの中では最も長寿であり巨樹に育ちやすい
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