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2020. 7.16発行
柔道二段、低出生体重児を産んだ私の夢
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今の 高宮 真衣奈 からのご挨拶
コラム執筆時にお腹にいた第2子を出産後
助産院 ほのまい を
東京都板橋区で開業。
(火)~(金) 対面・訪問・オンラインで
個別ケアを行いつつ
【姿勢の視点から見た、おうちde性教育講座】を
オンライン開催しています。
2023年4月から(月)は、埼玉県新座市にある
大塚産婦人科病院で、助産師外来・骨盤ケア教室
まるまるねんね教室を担当。
その他、いろんな仕事を子育てもしながらこなし
忙しく楽しく暮らしています。
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【はじめに】
6月末に東京都練馬区の住民になったばかりの
助産師 高宮 真衣奈 です。
夫の転勤に伴っての引っ越しで、同時に
5年勤務した大学病院を退職しました。
現在は第2子を授かり、12月に出産を控えているところです。
骨盤ケアにかかわり始めてまだ経験の浅い私ですが
「何事も経験!」と思い
このコラムを書かせてもらうことにしました。
【助産師になるまで】
幼い頃から都内で育った私は、小学4年のときに
兄が通う少年柔道クラブを見学に行き
それから毎週見学しているうちに、私も習い始めました。
水泳や高飛び込み、マラソン、吹奏楽部と
様々なことをしてきましたが
高校時代から大学3年の夏までは柔道一筋!
12年間のうち、男子の中に
女子1人の期間が長かったのですが、とにかく
強くなりたい一心で励み続け、二段まで取りました。
母子家庭で育ち、建築会社で勤務をしている
母の背中を見て育った私は
高校3年になる直前まで建築士を目指していました。
ところがある日、母が救急車で病院へ運ばれるという事件があり
そこで関わった救急救命士の姿に憧れてしまったのです。
また当時のTVドラマ『コードブルー』にも刺激され
「救急救命に関わる現場でかっこよく働く女性になりたい!」
と思い進路を変更しました。
看護学生になり、授業や実習を経験する中で
周産期という分野に出会い、生命の誕生
新たな家族の出発地点であるお産の現場に魅力を感じ
大学4年で助産専攻科へ進みました。
【憧れの先輩助産師Iさん】
大学卒業とともに大学の系列病院である
都内の周産期センターに就職したものの
1つのことを理解するのに人一倍時間がかかる私は
先輩方に多大な迷惑をかけてばかり…。
16時の夜勤開始とともに、先輩看護師と行動調整をし始め
OKをもらい行動し始めるのが23時なんてことも(*_*;
そんな時に出会ったのが、1人目の産休明けで戻って来た
先輩助産師Iさんでした。
当時、小さい子を持つスタッフはIさんだけで
勤務開始直前に笑顔で「保育園預けてきた!」と
元気に病棟に到着したかと思うと
きりっと切り替え、助産師として働き始める。
素晴らしい業務をされ、時間までにやることを終わらせ
「お迎え行ってくる!」と颯爽と退勤。
子育ても仕事もテキパキこなすIさんの姿に
私はすっかり魅了されてしまったのです。
またIさんのお産介助や新生児とのかかわりなどは
どれも他の先輩方とは少し違っている気がしました。
妊産婦さん達からも「Iさん今日いますか?
Iさんに聞きたいことがあるんですが」
と聞かれることが、度々ありました。
経験も知識もない私は、Iさんのしているケアの意味が
全然分からなかったのですが
「いつかIさんのように明るく
知識が豊富で、 妊産婦さん達からも後輩からも
声がかけやすい助産師になりたい」
と思うようになりました。
【まるまる育児との出会い】
社会人3年目で結婚とともに、夫の転勤で
栃木県那須塩原に引っ越し、夜勤専従として
新幹線で東京まで通勤しているうちに
第1子を授かりました。
妊娠初期から健診の度に
「この子小さめだね。まぁママが小さいからだね」
と医師からは言われていました。
「えっ、そんなものなの?」と思いつつ
つわりで苦しんでいたのですが、Iさんは第2子の産休中。
なかなか相談できずにいました。
そこで以前、Iさんから
「新生児ケアセミナーを受けてみたら」
と声をかけてもらったことを思い出し
申し込みをしました。
社会人3年目が終わる頃、妊娠7ヶ月に入る手前で退職し
新生児ケアセミナーを受講したところ
スリングに包まれ気持ちよさそうな赤ちゃんを連れた
Iさんに再会したのです。
小林いづみ先生のセミナーでは、驚くことばかり。
恥ずかしながら1番衝撃を受けたことは
「授乳後の排気(ゲップ)って背中叩かなくていいの!?」
でした。
「今まで出生後のケアから授乳指導まで
赤ちゃんを虐待してきてたんだなぁ」
と深く反省しました。
次の日に赤ちゃん発達応援セミナーがあると知り
その場で予約し、次の日も受講しました。
それから、出産準備物品を返品したり
買い足したりと、用意し直しました。
整形外科医の夫からは「本当に大丈夫なの?」と
何度も言われましたが
いづみ先生が話されていた「スリングや "おひなまき” で
先天性股関節脱臼になった人はいない。
疑うならその文献を持って来て!」と言いながら
“まるまる育児” の練習を家で続けていました。
【骨盤ケアとの出会い】
受講後2ヶ月、38週6日で、2,306gの女児を
分娩所要時間24時間半で出産。
それでも、赤ちゃんは生後2日からマイピローと
“おひなまき” を始めたおかげか、母乳をよく飲み
よく寝、黄疸治療の必要もなく無事退院できました。
妊娠後期から産後、痛かった恥骨は
産後まもなく治まったものの、腰痛がつらくて
妊娠中に予約していたメンテ“力”upセミナーを
生後2ヶ月の長女を連れて受講しました。
「もっと早く聞いておけばよかった」
と後悔することばかりで
妊娠中に着けていたトコちゃんベルトⅡは
キツすぎたようで、折ジワが(>_<。)
新生児ケアセミナーで “ダブル巻” を教わって
実践していたものの、恥骨あたりが痛む私の体には
後ろから前に巻くトコちゃんベルトⅠの方が
断然気持ちがいいことなど
自身の体で感じることができました。
そこから骨盤について興味が強くなりました。
長女が1歳になる頃、夫の転勤で埼玉へ引越し
別の大学病院に再就職したのを機に
トコ・カイロプラクティック学院セミナー通いが始まりました。
トコちゃんベルトアドバイザーを取得し
すぐに、総合ベーシック・総合カイロプラクティックと
毎月2日間、1年間、高輪サロンに通い続けました。
この2つのセミナーにIさんが復習受講に来られていたことは
私にとってとても心強く
たくさんのアドバイスを頂きながら、改めて
「Iさんのようになりたい!」と思い
最後までしがみついて行くことができました。
セミナー中に渡部信子先生に体を診てもらうと
「背負い投が得意だったんやろ?」と!
「何でわかるんだろう?!」と、ビックリ!
大殿筋は他の人よりしっかりしていて
「羨ましい~っ」と言われるものの
得意の背負投げを続けるうちに
左右の筋肉バランスが崩れ
腰椎~骨盤がゆがんでしまっていたのです。
しかも、外側の筋肉ばかりが強く
内側の筋肉は弱いことなど
自身の体をより深く理解することができました。
【低出生体重児だった娘のその後】
セミナーを受け進む中で、娘は正期産で生まれたのに
低出生体重児で、しかも、分娩所要時間が長かった理由が
私の体のゆがみにあったことも納得できました。
娘は麦・卵・乳製品のアレルギーがあり
アナフィラキシーまで起こしたため、1歳4ヵ月頃から
乳製品克服の負荷試験を受け始めていました。
乳成分0.01~0.03㏄分含まれる食パンの
かけらを食べることから始め、ちょっとずつ
乳成分の摂取を増やすという試験・治療です。
さらには、2歳になる少し前、感染経路不明の
眼窩蜂窩織炎で1週間入院。
セミナー中そんなことを話していたら
「頸椎~後頭骨のゆがみのせいで
免疫力が低下しているんでは? 直さなアカンで~」
と、信子先生に言われ、ショック。
信子先生の施術を初めて受けたのは2歳0カ月。
その後、2歳2カ月から牛乳0.1㏄を飲む試験を
受けられるようになり、順調に増量でき
2歳11カ月の今は、35ccまで飲めるようになりました。
麦・卵のアレルギーも起こさなくなり
感染症にも罹らず、元気に歌って踊る娘に変身しました。
頸椎~後頭骨のゆがみが及ぼす影響の
大きさに、ただただ驚かされます。
【第2子妊娠】
第2子の妊娠を望んでからも、なかなかできなかったのに
総合カイロプラクティックセミナーを修了する頃から
「ゆがみ、良くなってきたなぁ」と
信子先生に言っていただけるようになりました。
自分でも体が楽になったと感じるようになり
毎日骨盤ケアを続ける中で、第2子を授かったのです。
またもや夫の転勤とともに都内に引っ越し
片道1時間半の車通勤をしていたところ
妊娠15週でお腹の痛みを感じ
自宅安静の診断書が出され、退職しました。
夜中3時まで荷造りしていたり、妊娠できたことに安心し
骨盤ケアも「時間がない」を言い訳にして
サボってしまったり…。反省しつつ
毎日ケアすることの大切さを身にしみて実感しました。
現在は自宅で操体法・骨盤輪支持・“おとなまき”をし
1年近く前から1ヶ月に1回、娘と共に
信子先生の施術を受けながら、出産に向け体を整えています。
【将来の夢】
第2子出産後、早ければ来年の4月に
出張専門で開業届けを出して
ゆっくりと歩み始めたいと考え、只今準備中です。
そして将来、整形外科医の夫が開業した施設の中に
保健指導専門の助産院のスペースを作り
2人の子を育てながら
骨盤ケアやまるまる育児を広め
サポートできる助産師になっていきたい。それが私の夢です。
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