魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

黄檗 萬福寺

2021-01-29 | 史跡
黄檗(おうばく)駅で降りて
徒歩5分もかからないくらいで
萬福寺の総門に到着。



萬福寺は禅宗の一つ 黄檗宗の大本山。

開かれたのは1661年
4代将軍徳川家綱の時代。

平安京発足期に開かれた
京都の東寺のようには古くはない。



東寺より新しい臨済宗や曹洞宗のお寺は
日本風なのに
それらより新しい萬福寺は中国風(明朝様式) ↑

総門の次の門が三門 ↓



ここに伽藍の地図が掲示されている。何と広大!  ↑
これを今から全部見て回る体力はないわ~。  ↓



ここで拝観料を払い、リーフレットをもらい
とにかく有名な木魚を見たく 
どこにあるのかを教えてもらった。

中国風のお寺に
七福神の一人、布袋(ほてい)さん? ↑

ミスマッチな感じがするが
京都府内の7カ所の寺社の七福神を巡る
都七福神(みやこしちふくじん)巡りの
巡礼札所となっているのだと。

三門の次にある、この天王堂に ↓



布袋さんがど~んと座っておられる。
    ↓


七福神が乗っている舟は
莫大な富を持つ倭寇舟がモデルだと
聞いたことがあり
「なるほど」と思っていたが

これによると七人の出身は
日本の土着宗教
インドのヒンドゥー教
中国の仏教・儒教

と、国際色豊かなようだ。

天王堂の前には優美な水の器



流れ落ちる水で手を洗う?

天王堂の次は大雄宝殿(本殿) ↓


                ↑
その正面には、完璧なほど中国風の香炉
              ↓


大雄宝殿の中には十六ならぬ十八羅漢が
ズラリと並んでおられる。

半数は中国・日本人的なお顔で
半数はインド・アラビア・アフリカ的。

これらを見ていると、仏教とは
遠い異国から発展しながら日本に伝えられ
日本に着いてからも
どんどん発展・進化しているのだとわかる。

大雄宝殿から右に曲がると
斎堂(食堂)があり
その回廊には萬福寺のシンボル ↓



木魚の原形となった開梛(かいぱん)
-魚梆(ぎょほう)とも-

カメラ・スマホが置ける台が置いてあり  ↑
自撮りで記念撮影できるようになっている。↓



色が変わっているところを
打ち鳴らして、時を報ずるためのもので
現在も使用されている。

かなり新しいことを思うと
これまでに何度も作り直されたのだろう。

私の後ろが売店になっていて
赤い毛氈の腰かけに座って
コーヒーが飲めるようになっている。   ↑



コーヒーの紙コップにも開梛の絵が。↑

萬福寺を開いたのは
中国明の僧・隠元(いんげん)禅師で
日本における「煎茶道の祖」。

木魚だけでなく
普茶料理・インゲン豆・スイカ
レンコン・孟宗竹(タケノコ)なども
隠元禅師によって
導入・普及されたものなのだと👀‼️

境内には中国風(明朝様式)の門と
卍崩しの欄干がついた文華館。   ↓



でも、休館中のよう。コロナのため?

天王殿に戻って、左側に伸びる回廊を進むと
          ↓


大雄宝殿などの屋根の勾配がとても強く ↓
これも明朝様式?



回廊の途中に鐘楼があるのも明朝様式? ↓



眞空塔と書かれている塔 ↓



隠元禅師の像がどこかに
あるらしいが、わからなかった。
公開されていないのも?

尋ねてさらに歩き回る体力はなし。
なのに
売店や三門に生けられている
蠟梅の花が気になる。

相当大きな木でないと
大きな花をたくさんつけた枝は切れない。

きっと境内にあるはずと思って
尋ねたところ、天真院という塔頭(たっちゅう)に
あることが分かった。



ところが「観光不可」と書かれている。

が、浄財を入れ、蠟梅の木を撮影。
さすがに大きな木、花もいっぱい。 ↓



中国風のお寺には蠟梅がよく似合う。

帰ろうと、放生池のところまで来ると
望遠レンズ付きの立派なカメラを持った
高齢男性が二人「おっ、来た来た」と。

「何を狙っているんですか?」と尋ねると

カワセミだった。 ↓



私のカメラではこの程度にしか撮れず…😥

この日、人生初乗車の、京阪宇治線 ↓



中書島→丹波橋→近鉄丹波橋→生駒に帰宅。

仕事での移動時
生駒⇔京都、生駒⇔大阪 は

緊急事態宣言後も
あまり変わりなく混んでいる。

でも、お寺も電車もガラガラ。

お寺もお土産屋さんも
収入減で大変でしょうね。

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