3/23(日)の朝は
平和公園に散歩に行こうと考えていた。
なのに、寝過ぎてしまい
ホテルから飛び出して、走りだした。
走りながら、フロントでもらった地図を見ているうちに
「浦上天主堂まで行こう。タクシーに乗れば行ける!」
と思ったとたん、空車のタクシーが追いかけてきた。
すぐに手を挙げて飛び乗り
1時間の観光を依頼。
まずは、浦上天主堂へと走ってもらった。
↓

爆心地に近い浦上天主堂は
外壁の一部を残して、ほぼ全壊。
現在の建物は
元の建物を模して建てられたそうな。
原爆投下時、ゆるしの秘跡のため、
集まっていた多数の信徒や司祭など
全員が亡くなったという
長崎の原爆投下の象徴。
歴史の教科書にも浦上天主堂のことが
載っていたことを思い出す。

↑
大浦天主堂などと比べると
決して美しいとは思えない。
堅牢という言葉がぴったりの建物に
少しばかりの石像。
↓

南の入り口から高校生らしき一群について
入口まで行き、中を覗き込むと
素晴らしいステンドグラス。
でも、これは原爆で破壊された
浦上天主堂を表しているのでは?
↓

なにしろ時間がないので
タクシーに乗ったが、あまりの美しさに
すぐに停車してもらい
街や西の山々を撮影。 ↓

次は平和公園。ここから浦上天主堂が見える。
↓

二つの塔の一番上のドームがはっきり見え ↑
先ほど見た建物の姿とは、ずいぶん違ってえる。
平和祈念像 ↓

その両側にはたくさんの折り鶴
↓ ↓

次にタクシーの運転手さんが向ってくれたのが
如己堂(にょこどう)と長井隆記念館
↓ ↓

長井隆博士が
晩年の3年余りを過ごされたという
「三畳一間のちいさな下宿」ならぬ
三畳一間の小さな庵。
↓

中にはマリア像などが置かれていて
あとは布団を敷けばいっぱい。
↓

「立って半畳寝て1畳」と言うが
「人間はこんな狭くても生きていられたことに驚き。
トコ助産院の私の部屋も狭いが
これから比べたら広い」と妙に納得。
隣に建つ長井隆記念館 ↓

どんな研究や活動された医学者なのか
見学したいが時間がない。
タクシーは「長崎の鐘」の歌詞が刻まれた
橋(?)を見ながら快走。

次に着いた所は、一本柱の鳥居で有名な、山王神社。
↓

↑
階段を駆け上がり反対側から撮影。
68年間も片足で立っていられるとは!
爆心地から900mの高台に建つこの鳥居は
爆風と平行に建っていたため
被害が少なく半分が残ったそうな。
現存するわずかばかりの被爆建造物。
階段の途中に鳥居の基礎石だけが残っている。↓

あと少し走れば被爆楠が見れたのに、残念、悔やまれる。
9:25にホテルに到着、シャワーを浴びて、10:00にチェックアウト、
学会会場へと向かった。
ランチョンセミナーを終え、各種打ち合わせ終了後
路面電車に乗って出島に。
出島で撮った写真は200枚以上! 見学記は次に。
↓

出島では時が経つのも忘れて
見学に長時間費やしたため
大浦天主堂もグラバー庭園も
私の目の前で門を閉められてしまった(涙)。

閉門がどちらも17:40。
あと1分早かったらどちらかに入れたのに…残念。

この二つは高校生の時に
修学旅行で見学した。
だけど、旧グラバー邸も大浦天主堂も
駆け足で見学するより
もう1回時間をとって
その美しい姿をゆっくり見学したいもの。
残った私の人生の中で
そんな時間、とれるかな?
平和公園に散歩に行こうと考えていた。
なのに、寝過ぎてしまい
ホテルから飛び出して、走りだした。
走りながら、フロントでもらった地図を見ているうちに
「浦上天主堂まで行こう。タクシーに乗れば行ける!」
と思ったとたん、空車のタクシーが追いかけてきた。
すぐに手を挙げて飛び乗り
1時間の観光を依頼。
まずは、浦上天主堂へと走ってもらった。
↓

爆心地に近い浦上天主堂は
外壁の一部を残して、ほぼ全壊。
現在の建物は
元の建物を模して建てられたそうな。
原爆投下時、ゆるしの秘跡のため、
集まっていた多数の信徒や司祭など
全員が亡くなったという
長崎の原爆投下の象徴。
歴史の教科書にも浦上天主堂のことが
載っていたことを思い出す。

↑
大浦天主堂などと比べると
決して美しいとは思えない。
堅牢という言葉がぴったりの建物に
少しばかりの石像。
↓

南の入り口から高校生らしき一群について
入口まで行き、中を覗き込むと
素晴らしいステンドグラス。
でも、これは原爆で破壊された
浦上天主堂を表しているのでは?
↓

なにしろ時間がないので
タクシーに乗ったが、あまりの美しさに
すぐに停車してもらい
街や西の山々を撮影。 ↓

次は平和公園。ここから浦上天主堂が見える。
↓

二つの塔の一番上のドームがはっきり見え ↑
先ほど見た建物の姿とは、ずいぶん違ってえる。
平和祈念像 ↓

その両側にはたくさんの折り鶴
↓ ↓

次にタクシーの運転手さんが向ってくれたのが
如己堂(にょこどう)と長井隆記念館
↓ ↓

長井隆博士が
晩年の3年余りを過ごされたという
「三畳一間のちいさな下宿」ならぬ
三畳一間の小さな庵。
↓

中にはマリア像などが置かれていて
あとは布団を敷けばいっぱい。
↓

「立って半畳寝て1畳」と言うが
「人間はこんな狭くても生きていられたことに驚き。
トコ助産院の私の部屋も狭いが
これから比べたら広い」と妙に納得。
隣に建つ長井隆記念館 ↓

どんな研究や活動された医学者なのか
見学したいが時間がない。
タクシーは「長崎の鐘」の歌詞が刻まれた
橋(?)を見ながら快走。

次に着いた所は、一本柱の鳥居で有名な、山王神社。
↓


↑
階段を駆け上がり反対側から撮影。
68年間も片足で立っていられるとは!
爆心地から900mの高台に建つこの鳥居は
爆風と平行に建っていたため
被害が少なく半分が残ったそうな。
現存するわずかばかりの被爆建造物。
階段の途中に鳥居の基礎石だけが残っている。↓

あと少し走れば被爆楠が見れたのに、残念、悔やまれる。
9:25にホテルに到着、シャワーを浴びて、10:00にチェックアウト、
学会会場へと向かった。
ランチョンセミナーを終え、各種打ち合わせ終了後
路面電車に乗って出島に。
出島で撮った写真は200枚以上! 見学記は次に。
↓

出島では時が経つのも忘れて
見学に長時間費やしたため
大浦天主堂もグラバー庭園も
私の目の前で門を閉められてしまった(涙)。

閉門がどちらも17:40。
あと1分早かったらどちらかに入れたのに…残念。

この二つは高校生の時に
修学旅行で見学した。
だけど、旧グラバー邸も大浦天主堂も
駆け足で見学するより
もう1回時間をとって
その美しい姿をゆっくり見学したいもの。
残った私の人生の中で
そんな時間、とれるかな?
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