3/23の朝、乗ったタクシーの運転手さんに
「出島の見学はできますか?」かと尋ねたら
「10年ほど前に復原されたので、今はできる」と教えてもらった。
どうりで、高校生の修学旅行では行った記憶がない。
教会や洋館も見たいが、限られた時間の中で、第一優先は出島!
私は産業・物流・文化・学問の発展が見学できる
近代化遺産的な施設の見学が好き。
路面電車を降りると、すぐに出島の外壁(護岸壁)の南西端
↓
外壁に沿った道路があるところは、江戸時代は海だったはず。
なのに今はたくさんのビルが立ち並んでいる。信じられない。
↑
しかし、足元と外壁の間の溝を覗くと水!
↓
そのまま外壁に沿って歩くと案内図。江戸時代の出島は今のより広いんや。
↓
南東端まで歩いた所に門があり、そこから入場。入場料は500円。
↓
↑
現存する日本最古のプロテスタント神学校。売店や休息所になっている。
このあたりは交流ゾーン。旧長崎内外クラブ。喫茶室があるようだが入らず。
↓
北の護岸壁の外側は、元は海だったが、今はすっかり川になっている。
中島川と名付けられたこの川は、今も海水が流れているそうだ。
↓
↑
元は、出島はこの川の真ん中くらいまであったんや~。
江戸時代の絵。南が上になっているのでわかりにくい。逆さまにした。
↓
出島の表門。元はこの前に対岸と出島を結ぶ橋があったが、今はない。
↓
ここからは19世紀復原ゾーン
↓
こちら側は主に居住空間 こちら側は主に倉庫
↓ ↓
↑
緑色の建物が出島の代表的建物。オランダ商館長の住まい兼迎賓館「カピタン部屋」
↓
↑
これは放映されていたビデオの画面を撮影したもの。
緑色の階段を上がると、美しい時計や家具が置いてある部屋。
↓
美しい長椅子。ビデオにも写っていた。
↓
この長椅子はこの絵を基に、似た長椅子をオランダまで買いに行ったところ、
全くと言っていいほど同じ長椅子が売られていて、驚いたそうな。
↓
食堂
↓
宴会場
↓
シャンデリアも、壁紙(唐紙)も美しい
↓
パーティー様子を復原したミニチュア
↓
サンルーム(?)、夕涼みをしたらしい
↓
中庭
↓
↑
ここが料理部屋
↓
出島乙名(おとな)=出島を管理する日本人の役人が働いていた詰所
↓
中庭には大砲が飾ってある
↓
立ち並ぶ倉庫。今は展示室として使われている。
↓
船のミニチュアや、様々な品物や
↓
解説が書かれたパネルがおびただしいほど並べられている。
1枚1枚丁寧に読んでいる人もあれば私のように、カメラに収めて帰る人もいる。
外に出ると、門番姿のオジサン
↓
これが西の出入り口(水門)
↓
水門を外から見たところ
↓
何に感動し感激したかというと、江戸時代に、西洋の学問や文化を求めて、
世界とつながりたい人が集まった出島という場所に、
自分が立っているということでしょうね。
江戸時代、長崎に、出島に行きたいとの夢を抱きながら
夢がかなわなかった人が、どんなにたくさんいたことでしょう。
江戸時代と比べれば、今は勉強したいと思えば、はるかにしやすい時代。
自分の意のままに移動し、働ける私は幸せや。
そんな当たり前と思えることが、どんなに有難いことかを
改めて気づかせてくれた出島。
2016年にはさらに6棟が復元される予定。
今回見られなかったところも見たい。何とか時間を作ろう。
「出島の見学はできますか?」かと尋ねたら
「10年ほど前に復原されたので、今はできる」と教えてもらった。
どうりで、高校生の修学旅行では行った記憶がない。
教会や洋館も見たいが、限られた時間の中で、第一優先は出島!
私は産業・物流・文化・学問の発展が見学できる
近代化遺産的な施設の見学が好き。
路面電車を降りると、すぐに出島の外壁(護岸壁)の南西端
↓
外壁に沿った道路があるところは、江戸時代は海だったはず。
なのに今はたくさんのビルが立ち並んでいる。信じられない。
↑
しかし、足元と外壁の間の溝を覗くと水!
↓
そのまま外壁に沿って歩くと案内図。江戸時代の出島は今のより広いんや。
↓
南東端まで歩いた所に門があり、そこから入場。入場料は500円。
↓
↑
現存する日本最古のプロテスタント神学校。売店や休息所になっている。
このあたりは交流ゾーン。旧長崎内外クラブ。喫茶室があるようだが入らず。
↓
北の護岸壁の外側は、元は海だったが、今はすっかり川になっている。
中島川と名付けられたこの川は、今も海水が流れているそうだ。
↓
↑
元は、出島はこの川の真ん中くらいまであったんや~。
江戸時代の絵。南が上になっているのでわかりにくい。逆さまにした。
↓
出島の表門。元はこの前に対岸と出島を結ぶ橋があったが、今はない。
↓
ここからは19世紀復原ゾーン
↓
こちら側は主に居住空間 こちら側は主に倉庫
↓ ↓
↑
緑色の建物が出島の代表的建物。オランダ商館長の住まい兼迎賓館「カピタン部屋」
↓
↑
これは放映されていたビデオの画面を撮影したもの。
緑色の階段を上がると、美しい時計や家具が置いてある部屋。
↓
美しい長椅子。ビデオにも写っていた。
↓
この長椅子はこの絵を基に、似た長椅子をオランダまで買いに行ったところ、
全くと言っていいほど同じ長椅子が売られていて、驚いたそうな。
↓
食堂
↓
宴会場
↓
シャンデリアも、壁紙(唐紙)も美しい
↓
パーティー様子を復原したミニチュア
↓
サンルーム(?)、夕涼みをしたらしい
↓
中庭
↓
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ここが料理部屋
↓
出島乙名(おとな)=出島を管理する日本人の役人が働いていた詰所
↓
中庭には大砲が飾ってある
↓
立ち並ぶ倉庫。今は展示室として使われている。
↓
船のミニチュアや、様々な品物や
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解説が書かれたパネルがおびただしいほど並べられている。
1枚1枚丁寧に読んでいる人もあれば私のように、カメラに収めて帰る人もいる。
外に出ると、門番姿のオジサン
↓
これが西の出入り口(水門)
↓
水門を外から見たところ
↓
何に感動し感激したかというと、江戸時代に、西洋の学問や文化を求めて、
世界とつながりたい人が集まった出島という場所に、
自分が立っているということでしょうね。
江戸時代、長崎に、出島に行きたいとの夢を抱きながら
夢がかなわなかった人が、どんなにたくさんいたことでしょう。
江戸時代と比べれば、今は勉強したいと思えば、はるかにしやすい時代。
自分の意のままに移動し、働ける私は幸せや。
そんな当たり前と思えることが、どんなに有難いことかを
改めて気づかせてくれた出島。
2016年にはさらに6棟が復元される予定。
今回見られなかったところも見たい。何とか時間を作ろう。
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