日曜日・・・3月までは、受験生のレッスンで結構根詰めてレッスン(・・って、私のことだから大したことはありませんが・・)していて、ピアノレッスンばかりじゃなく、楽典、聴音、新曲視唱、ソルフェージュ一般等にプラスして、ピアノレッスンも入っていたので、月曜日のリトミックを朝からこなすと、火曜日はぐったり・・・でしたが、、4月からは何ともスッキリ
今は、たまーに日曜日のレッスン後、スーパーにふらふらと買出しに行ったり、なかなかゆるりとしております。
今日は午前のレッスンをした後、午後から高校生のMちゃんを誘って、コンサートに行ってきました。
プッチーニとロッシーニの珍しい宗教音楽。
プッチーニの若かりし頃の作品は、テノールとバリトン、そして合唱とオケ。
ロッシーニは、ソプラノ、アルト、テノール、バリトン。
珍しい曲で、なかなかの好演でした!
その後、「おなか減ったね~」・・・と言って、Mちゃんと全日空ホテルでアフタヌーンティーを楽しみました
さてその後、ピアノを弾いたりしてから、お楽しみの“日曜美術館”
今日は午前中、奥村土牛をやっていまして、ちょちょっと見てレッスンへ・・・
夜は、俵屋宗達・・・おお~今日は日本画日和~?
なーんて思いながら観ていたのですが、これが面白かった。
最近ずーっと気になっていたことを、なんと中沢新一さんが考えていらっしゃった。
どうもこの本に書いていらっしゃることが、私が最近絵を観て、日本人の思考の方向性を考えて、ずーっとずーっと気になっていたことと同じかも~
そりゃあ、スゴイ思想家の方なので、私のは思考の入り口でふらふらしているに過ぎませんが・・・
矢も楯もたまらず、今井書店へ走ったのですが、もちろん目的の本があるわけではなく・・・ちょっとは期待したが・・・そのほかの本を買い、コーヒー買って、結局Amazonで注文となりました
最近いつも絵画展に行っては、“人々が何を思考してきたのか” “ヨーロッパと日本文化の中でどこに視点、思考の違いがあるのか”
な~んて、どうでも良いような壮大な問いがありまして~
日本のアニメ文化。
これは、対象物を単純化しデザインすることに長けている日本人の得意とするところなのかなぁ~?
奈良美智や村上隆に代表されるようなポップアートから来ているし、それを言うなら鳥獣戯画は日本最古の漫画と言っていい。
でも、尾形光琳の燕子花(かきつばた)屏風。。(土牛や光琳は画像がひっぱってこれずスミマセン)
美しいけど、極限まで単純化しデザイン化されて、何か肉迫してくるものが少ないような気がしていたのですが、中沢新一さんがこれに近いことを言われていて、“お~おもしろ~い!”と、かなり頷きつつ見ていたのです。。
光琳は江戸初期の画家。
江戸初期でも、少し前に生まれ活躍していた宗達の“風神雷神図屏風”を、模写していて、かなり似通ったものではあるのですが、宗達に在ったものが光琳では削ぎ落されている。。と。。
音楽で言うところの、ジャズのような即興性。
野性味溢れる、生命のほとばしりのような、感情の表現。。
そういったものが、そぎ落とされてゆく。
それは、ある意味、単純化、形式化、純粋化された“美”であったのかもしれません。
高度な技術と洗練された形式美。
けれど、フォルムを重視することで、そぎ落とされてしまった“肉声”のような深い世界が、どこかへ追いやられてしまう結果になったのではと思ってしまうのです。
以前にも“型”から入る傾向が、われわれ日本人には強く出ているのでは・・・と書いたことがありますが、なかなか“型破り”ともならず、“型”の中にいることで安心し、その事が評価の対象にもなってしまう。
これ、子供の学習塾や教育方法、はたまたピアノ教育界にも言えているような気がしてなりません。
そしてついでに、本屋さんで面白そうな本を見つけたので、ついつい買ってしまいました~
一冊の単価が高い。。
先日も何冊か買ったら、「1万7千円です」と言われ、あちゃ~・・でしたが・・・
今日も2冊だけなのに、6千円ぐらい払いました・・・・・・とほほ・・・オヤツヌキだ・・・
とほほ~~読むスピードが追い付いていない~~
ぁ・・・でも、2番目の画像中5冊は読みました。
連休は、卒業生との“飲み”&“読書”かな~?
“ソウジ”もせねば!!~~
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