みんなが必ずと言っていいほど、レッスンで弾くことになるブルグミュラー。
ところが、相当詳しい音楽事典にもブルグミュラーはのっていないのです。
その代りお父さんと、弟はのっています。
お父さんはヨハン・アウグスト・フランツ・ブルグミュラーといい、1766年に生まれ
1826年に没しました。
弟は、アウグスト・ヨーゼフ・ノルベルト・ブルグミュラーといい、1810年に生まれ
1836年に没しました。
ちなみに、モーツァルトは1756年、ベートーヴェンは1770年生まれなので、
お父さんは古典派のただなかに生まれたといえます。
また、ショパン、シューマンは1810年、メンデルスゾーンは1809年に生まれなので
弟ノルベルトは、同い年だったのです。
弟ノルベルトは父や兄に比べて評価が高く、
メンデルスゾーンらとの親交も厚かったようです。
しかし残念なことに、26歳の誕生日を迎えることなく、亡くなってしまいました。
独自の作曲スタイルを確立するには、あまりにも短い人生でした。
「シューベルトの早世以来の悲しみ」と、同時代の作曲家を嘆かせたということです。
みんなのよく知っているブルグミュラーは、ヨハン・フリードリヒ・フランツ・ブルグミュラー
といい、1806年ドイツに生まれ1874年フランスで亡くなりました。
そのころの社会情勢は、ヨーロッパも東へ行くにしたがって、遅れていました。
社会の成熟は、イギリスとフランスで進展し、
ベートーヴェンもイギリスへ渡りたいと望んでいましたが、叶えられませんでした。
ショパンはポーランドからパリへ出て、音楽家として自立することに成功しました。
ブルグミュラーもまた、パリに移ってからOP.100「25のやさしい練習曲」
OP.105「12の華麗で旋律的な練習曲」、OP.109「18の練習曲」
などを出版し、見事にパリ市民の音楽的な趣味に受け入られていきました。
ブルグミュラーは、ピアノ教師、作曲家として活躍しました。
若くして早世した弟ノルベルト。
パリ市民の趣味に合わせて、家庭で楽しむ音楽を作り続け、
自身も裕福に市民生活を送った兄ブルグミュラー。
ちょっと複雑な気持ちですが、現代の作曲家ギロックは、ブルグミュラーの
作品と功績を高く評価しています。
少しピアノが上達してきて、ちょっとした曲を弾きたくなったら、
やはりブルグミュラーは楽しいものです。
ショパンが生きたロマン派の時代の雰囲気を知る上でも、子供たちにとって
とても身近な作品であると言えるでしょう。
でも、もし弟ノベルトがもう少し長く生きることが出来たなら、
対照的な兄弟の作品を、聴いたり演奏することが出来たでしょう。
その生きざまが二人の兄弟の作風に、大きく影響しただろうと想像できます。
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