講壇の貴公子・スポルジョン
神の器の多くは、その方から流れてくる神さまの香りがあります。
それは、神の与える実からくる品性ですよね。
どんなにひどい性格であっても、本当に神様に従って歩んでいる方は、どんどん変えられていき、キリストの香りを放つ器になっていくのです。
いくら長い間クリスチャンであっても、自分中心に歩んでいる人は、神の実である、愛・喜び・寛容・親切・善意などを結ぶかとができないのです。
ジョージ・ミュラーもスポルジョンもそのような実を結んでいました。
ホイットニー医師のように「あそこにイエス様が、歩いている。」と町の人々に言われるような実を結びたいものです。