

明治8年にスタートした商法講習所に関しては、いろいろややこしい問題があり、資料によっては、違いがあるのでよく分からない部分が多いです。
ホイットニー先生が、来日した時は、官立の学校の許可がおりなかったので、森有礼もいろいろ奔走しましたが、結局、森の施設学校として東京府知事の許可が下りたのです。
そのため、銀座木挽町に建設地を払い下げてもらいましたが、そこに森は自分用の西洋館を建てたのです。
そこで、新聞記者なども入れて200人の招待客を招いて結婚式をしました。
その時、東京府知事の大久保一翁は、結婚式の立会人なのに、一人だけ正装しないで、チョッキに半ズボンの漁師のような格好をしていたそうです。
その意味は誰も、分からないままです。
不可解なことの多い明治8年の木挽町あたりのお話です。
写真は、不可解なことの多い木挽町にあった采女(うねめ)橋です。
右に行くと写真のように新橋演舞場があり、その道路を挟んだ横が商法講習所のあった所です。