今年になってうれしい“偶然”が度々あります
草津温泉の時もうれしい偶然がたくさんありました
このブログを始めて1年半、今年の年賀状にブログのアドレスを入れてみました
それも忘れていたのですが、高校の同級生だったEさんから突然お電話をいただきました
卒業してから○十年、年賀状だけのやり取りしかなかったEさんからの電話
義母が聞きちがえて私に伝えたのですが、すぐにEさんだとわかりました
懐かしくて電話をするときも、ドキドキしました
懐かしい声が受話器から聞こえた時には、高校生に戻って大きな歓声を挙げてしまいました
そのEさんと新宿で会う約束をしたのですが、お互いにわかるかどうか
高校時代から10kg以上も太ってしまっているし、○十年という歳月が過ぎています
Eさんには、『太っちょのおばさんを探してね』と伝えておきました
でも、すぐにお互いに見つけることができました
Eさんは高校時代のまま、長身でスリムでその頃よりももっと素敵になっていました
年をとると、生き方が顔にも体にもすべてに現れるというのは本当だと思います
私は、がんばらなければ とあらためてダイエットを誓いました
とりとめのない話で数時間幸せな時間を過ごしました
○○ちゃん ○○ちゃん とお互いを呼び合うのも昔のまま
今度は、他の友人にも声をかけて会う約束をして別れました
この時間は、お金では買えないかけがえのない貴重な時間でした
新宿高島屋の中の、TAKANOフルーツパーラーで・・・
わざわざ来てくれたと言って、さっと支払いを済ませてくれました
そんなEさんは、お嬢さんの卒業式とはいえ静岡、浜名湖が近いというところから来てくれたのに・・・
そんなところも素敵な女性だなぁと感心しました
本当にうれしかったことでした
ひな祭りが過ぎてからおひな様を見に行かないかとお誘いを受けました
江戸時代からのおひな様を見ることができるという
場所は、栃木県鹿沼市の個人のお宅(NPO法人鹿沼学舎事業)
行く道すがら、きれいな小川がさらさらと流れていました
今は見ることができない貴重な風景かもしれません
庭には、銅製の灯篭が・・・その屋根の上にはツタの葉のオブジェが付いていておしゃれな灯篭でした
玄関には籠にさりげなく春の花が投げ入れられていました
挨拶をする間もなく、玄関で江戸時代のおひな様が出迎えてくれました
江戸期のおひな様、京阪では二段ほどの壇に緋毛氈ををかけ、上段に雛御殿を据えて
その中に男雛が左側(向かって右)、女雛が右に京都では置かれるようです
関東方面では反対ではないかと、少なくとも私は女雛が左でした
その理由については、歴史的な背景があって興味深かくお話を伺いました
唐の時代の中国や日本では、天皇が玉座に北を背にして座られ、左手が東の方角=日の出方角が上位なので左側が上位になったとか
また、中世のヨーロッパでは、日本とは逆で男性が右で女性が左
中世の騎士が戦う時に右手に剣を持ち左手で女性を抱えて守ったためだとか
京人形司 大木平蔵雛(通称 丸平雛、江戸・明治・昭和初期)
衣装・着付け・髪の結い・鼈甲の櫛・銀のかんざし、江戸・明治・大正時代の美が凝縮されている胡蝶雛
初めて見ました とてもすばらしい美しいおひな様でした 上段にも別のおひな様がいらっしゃいます
京雛の三人官女は、白の小袖に緋色の長袴 私の知っている三人官女は白の小袖に打ちかけを着ているものでした
“泣き”“笑い”“怒り”の三人上戸、旧帝の衛士や雑役に携わっていた人たち
時間をかけて丁寧に説明を受けたのですが半分以上は忘れてしまいました
ひな壇があまりにも豪華なので記念写真をパチリ 古伊万里の花入れが素敵でした
古今雛(江戸期)
顔の特徴は、切れ長の眼・少し口を開けた立体的な表情 ふっくらしていて美しい
この時代のおひな様は、男雛の足が見えていること 投げ出したような座り方です
女雛は、五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)に似せた装束で、緋色の袴の中に綿を多めに入れて丸くふくらませ、りっぱな宝冠をかぶっています
ふつうの民家です
玄関を入ると目の前にりっぱな雛段が部屋を埋め尽くしていました
でもおひな様はそれだけではなくて、二階にはもっとたくさんのおひな様が飾られていました
こんな立派なおひな様が3つも所狭しと並んでいました
お道具類も京都・田中弥の雛道具、丸平の雛道具、昔の有名なお道具を専門に作っていたところです
屏風も素晴らしいものだそうです
享保雛(江戸期)
芥子雛(江戸後期) 胡粉顔に狐眼が特徴
庶民の贅沢が禁止されていたため、小さく作られたのだそうです
それでも、顔の表情・衣装・刺繍など手が込んでいて、地紋はおひな様の体に合わせて手で織られたものだそうです
江戸期の人々のおひな様への思いが偲ばれます
驚きました
個人の家で、住まわれているご主人が説明して下さいましたが
本当におひな様を愛しているのがわかります
そして、説明されたことを手作りの冊子にしていました
そちらの冊子の方より、引用しています
ご主人の熱い思いのこもった説明の合間にたくさん写真を撮りましたが
残念ながら、2/3がほとんど使えないほどブレていて、こちらに載せた画像もかなりひどい状態です
通常は、クリックしていただくと別ウィンドウで大きな画像を見ていただけるように入れていますが、今回は小さい画像です
それでも、素晴らしいおひな様の一ページを作りたいと思って載せました
残念でした
息子に聞いたところ
『どうしてブレたと思う?』と聞かれ、『シャッタースピード?』と答えると
『そうだよ、それだけじゃないけど・・・ちゃんとその原因をはっきりさせてどのくらいで撮れば良いのか記録しておかないとまた失敗するよ』と
その通り ・・・だけどそれ程暗いと思わなかったし、このくらいのところで今までも撮っていたように思えるので・・・なんて安易な判断だからこんな悲惨な結果に
一眼レフ、ちゃんと使いこなせるようになるのは何時のことか
女性4名のミニミニ旅
続いては、栃木県立美術館で出光美術館コレクションの“茶の湯の美”が展示されているということで宇都宮に向かいました
私以外は、お茶をされているので是非見たかったものだと思います
りっぱな器を見せていただきました
たくさんの素晴らしい芸術作品を見せてもらい、心も満足
最後にあんみつをいただいてお腹も満足、帰途につきました
素敵な時間をいつもいただくこのお仲間にいつも感謝しています
草津温泉の時もうれしい偶然がたくさんありました
このブログを始めて1年半、今年の年賀状にブログのアドレスを入れてみました
それも忘れていたのですが、高校の同級生だったEさんから突然お電話をいただきました
卒業してから○十年、年賀状だけのやり取りしかなかったEさんからの電話
義母が聞きちがえて私に伝えたのですが、すぐにEさんだとわかりました
懐かしくて電話をするときも、ドキドキしました
懐かしい声が受話器から聞こえた時には、高校生に戻って大きな歓声を挙げてしまいました
そのEさんと新宿で会う約束をしたのですが、お互いにわかるかどうか
高校時代から10kg以上も太ってしまっているし、○十年という歳月が過ぎています
Eさんには、『太っちょのおばさんを探してね』と伝えておきました
でも、すぐにお互いに見つけることができました
Eさんは高校時代のまま、長身でスリムでその頃よりももっと素敵になっていました
年をとると、生き方が顔にも体にもすべてに現れるというのは本当だと思います
私は、がんばらなければ とあらためてダイエットを誓いました
とりとめのない話で数時間幸せな時間を過ごしました
○○ちゃん ○○ちゃん とお互いを呼び合うのも昔のまま
今度は、他の友人にも声をかけて会う約束をして別れました
この時間は、お金では買えないかけがえのない貴重な時間でした
新宿高島屋の中の、TAKANOフルーツパーラーで・・・
わざわざ来てくれたと言って、さっと支払いを済ませてくれました
そんなEさんは、お嬢さんの卒業式とはいえ静岡、浜名湖が近いというところから来てくれたのに・・・
そんなところも素敵な女性だなぁと感心しました
本当にうれしかったことでした
ひな祭りが過ぎてからおひな様を見に行かないかとお誘いを受けました
江戸時代からのおひな様を見ることができるという
場所は、栃木県鹿沼市の個人のお宅(NPO法人鹿沼学舎事業)
行く道すがら、きれいな小川がさらさらと流れていました
今は見ることができない貴重な風景かもしれません
庭には、銅製の灯篭が・・・その屋根の上にはツタの葉のオブジェが付いていておしゃれな灯篭でした
玄関には籠にさりげなく春の花が投げ入れられていました
挨拶をする間もなく、玄関で江戸時代のおひな様が出迎えてくれました
江戸期のおひな様、京阪では二段ほどの壇に緋毛氈ををかけ、上段に雛御殿を据えて
その中に男雛が左側(向かって右)、女雛が右に京都では置かれるようです
関東方面では反対ではないかと、少なくとも私は女雛が左でした
その理由については、歴史的な背景があって興味深かくお話を伺いました
唐の時代の中国や日本では、天皇が玉座に北を背にして座られ、左手が東の方角=日の出方角が上位なので左側が上位になったとか
また、中世のヨーロッパでは、日本とは逆で男性が右で女性が左
中世の騎士が戦う時に右手に剣を持ち左手で女性を抱えて守ったためだとか
京人形司 大木平蔵雛(通称 丸平雛、江戸・明治・昭和初期)
衣装・着付け・髪の結い・鼈甲の櫛・銀のかんざし、江戸・明治・大正時代の美が凝縮されている胡蝶雛
初めて見ました とてもすばらしい美しいおひな様でした 上段にも別のおひな様がいらっしゃいます
京雛の三人官女は、白の小袖に緋色の長袴 私の知っている三人官女は白の小袖に打ちかけを着ているものでした
“泣き”“笑い”“怒り”の三人上戸、旧帝の衛士や雑役に携わっていた人たち
時間をかけて丁寧に説明を受けたのですが半分以上は忘れてしまいました
ひな壇があまりにも豪華なので記念写真をパチリ 古伊万里の花入れが素敵でした
古今雛(江戸期)
顔の特徴は、切れ長の眼・少し口を開けた立体的な表情 ふっくらしていて美しい
この時代のおひな様は、男雛の足が見えていること 投げ出したような座り方です
女雛は、五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)に似せた装束で、緋色の袴の中に綿を多めに入れて丸くふくらませ、りっぱな宝冠をかぶっています
ふつうの民家です
玄関を入ると目の前にりっぱな雛段が部屋を埋め尽くしていました
でもおひな様はそれだけではなくて、二階にはもっとたくさんのおひな様が飾られていました
こんな立派なおひな様が3つも所狭しと並んでいました
お道具類も京都・田中弥の雛道具、丸平の雛道具、昔の有名なお道具を専門に作っていたところです
屏風も素晴らしいものだそうです
享保雛(江戸期)
芥子雛(江戸後期) 胡粉顔に狐眼が特徴
庶民の贅沢が禁止されていたため、小さく作られたのだそうです
それでも、顔の表情・衣装・刺繍など手が込んでいて、地紋はおひな様の体に合わせて手で織られたものだそうです
江戸期の人々のおひな様への思いが偲ばれます
驚きました
個人の家で、住まわれているご主人が説明して下さいましたが
本当におひな様を愛しているのがわかります
そして、説明されたことを手作りの冊子にしていました
そちらの冊子の方より、引用しています
ご主人の熱い思いのこもった説明の合間にたくさん写真を撮りましたが
残念ながら、2/3がほとんど使えないほどブレていて、こちらに載せた画像もかなりひどい状態です
通常は、クリックしていただくと別ウィンドウで大きな画像を見ていただけるように入れていますが、今回は小さい画像です
それでも、素晴らしいおひな様の一ページを作りたいと思って載せました
残念でした
息子に聞いたところ
『どうしてブレたと思う?』と聞かれ、『シャッタースピード?』と答えると
『そうだよ、それだけじゃないけど・・・ちゃんとその原因をはっきりさせてどのくらいで撮れば良いのか記録しておかないとまた失敗するよ』と
その通り ・・・だけどそれ程暗いと思わなかったし、このくらいのところで今までも撮っていたように思えるので・・・なんて安易な判断だからこんな悲惨な結果に
一眼レフ、ちゃんと使いこなせるようになるのは何時のことか
女性4名のミニミニ旅
続いては、栃木県立美術館で出光美術館コレクションの“茶の湯の美”が展示されているということで宇都宮に向かいました
私以外は、お茶をされているので是非見たかったものだと思います
りっぱな器を見せていただきました
たくさんの素晴らしい芸術作品を見せてもらい、心も満足
最後にあんみつをいただいてお腹も満足、帰途につきました
素敵な時間をいつもいただくこのお仲間にいつも感謝しています