9月27日 先週の日曜日、何回も下見をして楽しみにしていた“久四会”
ずぼらな私たち夫婦も、今回は案内しなければならない立場なので当日まで周到に準備を重ねたつもりです
昼食は巾着田の模擬店で済ます予定なので果物と漬物くらいは欲しくなりそうだと思いつき、
寝ていても様々なことを考え始めると眠れなくなってしまい、とうとう早く起きてしまいました
天候もそこそこいい感じです
珍しくその日は夫の運転で久しぶりに風景を見ながらのドライブを楽しんでいました
すると、私の携帯に着信が・・・
仕事上でも転送電話が入るのでそんなことだと、いつものように出ようとしたところ
03-○○・・・???
誰からなのか出てみると『広尾の日赤医療センターです。HIROYUKIさんが交通事故で・・・すぐに来てください』
『どんな状態ですか?』『命には別条はありませんが、頭を打っています』
そんな会話をしたような気がします
もうすでに川越に入っていました
どんな方法で病院まで行くのか全くわからない
確か≪広尾≫は≪恵比寿≫の近く?程度の知識です
家に帰ってパソコンで調べたり、お金は?印鑑も?入院の支度は?・・・etc.
それより一刻も早く病院に行かなければ・・・
頭の中がごちゃごちゃの状態のまま整理もできない状態で、とりあえず私一人川越駅で降ろしてもらいました
看護師さんとの電話で私の携帯のバッテリーは、残りわずかの量になってしまいました
川越駅からとりあえず(東京)大宮方面に向かい、江戸川区に住んでいる弟夫婦にメールをして
日赤医療センターまでのルートを教えてもらいました
バッテリーの残りが少ないことも伝えて
義妹から、適切な3つのルートを教えてもらい病院に直行することにし、埼京線で渋谷駅まで行きました
この時ばかりはとても東京が遠く感じられました
救急病棟に入ると、顔の血をふき取ってもらった感じで横たわって目を閉じている息子の頬に手を当てると
目を少し開きました
『大丈夫?』というと『ごめん、大丈夫・・・どこかに行っていた?』
『今日は久四会で、川越に行ってたよ』 『あぁ、ごめん』と悪そうに強く目をつぶりました
かなり痛い様子で、私は体を治してあげることも、触ることもできない状態
医師の話だと、顔と頭を中心に強く打っているとのこと
パソコンで頭部CTの画像を見ながら、説明をしてくれました
2か所怪しいところはあるものの、その範囲の出血なら大丈夫だということ
口と鼻から多くの出血があったことなども説明された
そして今の状態は、手足の動きも神経にも異常はないこと
少し安心です
病室に戻っても、痛い様子の息子を目の前に何もするすべはない
熱がどんどん上がっていきました
看護師さんが氷枕を二つ用意してきても、首がかなり痛いようで、自分でうまく頭の下に入れるしかない
息子は左端を自転車で走行中、後ろから来た車に当て逃げされたらしい
その瞬間から何も分からなくなり、通りかかった女性の『大丈夫ですか?』『救急車を呼びます』の言葉に
『お願いします』と答えたのを覚えているだけで、また気がついたのは救急車が来た時だったということです
それでも薄れゆく記憶の中でそんなことと、自分で買った大切な自転車の鍵を掛けて欲しいということは
警察官にお願いしたようです
痛くて、ベッドの上でどうにか寝返りを打ったり頭を移動したりしていると
目を開き、『自転車はどこにあるかわかる?』と
『知らないけど・・・』というと 『調べて欲しい』とそんなかわいそうな息子から言われたら捜すしかない
まずは病院でどこの救急車か教えてもらい、そこで警察の連絡先も教えてもらい
事故現場とその状況を教えてもらい、そして自転車は現場に鍵をかけたまま置いてあることも判明
息子に伝えると、『やっぱりそうなんだ・・・』と答え
『自転車の部品を持ち去られてしまう可能性があるので自転車を持ちに行って欲しい』と
もう疲れ果てていた私は『明日じゃダメ?』 『できれば今日がうれしい・・・』と弱々しく言われたらもうやるしかない
息子は上体も起こせないでいるのに、手探りで自分のカバンからiPhoneを取り出し
地図で現場までの説明を、方向音痴の私に始めた
iPhoneを操作する息子の軽快な指の動きと説明に見惚れていただけで、何が何だかよくわからなかった
渋谷の街自体がわからないのに、そんな小さな地図でしかも動く地図じゃ全然わかりません!!
息子がかわいそうだったので、『わかった』と言って病室を出ました
今日は頭を使う日だな なんて思いながらどうしようか考えた
仕方なくタクシーに乗り、自分で通過する信号機に表示されている名前やめぼしい建物などの名前をメモしながら
自分で帰り方がわかる地図を作りました
丁度タクシーを降りた頃に、息子から≪水色の自転車ですぐわかると思う≫とメールが入る
息子も必死のようだ
警察から聞いた所を探すと、遠目でも水色で目立つ感じの自転車が止めてある
帰りは自転車に乗って帰ればいいと気楽に考えていた私は唖然とした
息子は180㎝の長身、サドルの高さが私のウエストの位置くらい高い
サドルを一番下にしても全く足は届かない さらに極細のタイヤ
チャレンジしたけれども、今度は私が転んで怪我をしそうなので乗って帰るのは断念
自転車を押して病院までの道のりは険しかった
陸橋や地下道の3か所は自転車を担いで渡り、約5K近く歩きました
都内の交差点は、なぜスロープがないのか
これは今考えても相当きつかったと思う
病院に着きホッとする間もなく、今度は《病院の駐輪場に置いても持っていかれてしまうのではないか》と思いついてしまった
受付で、そのスリムな自転車を見せて、『病室に入れてください』と懇願した
『自転車はダメです』 『今日だけでも』・・・・・・(今となっては)大変恥ずかしくて書けない問答を病院側とした
息子の為にがんばったつもりの母・・・
何とか息子の元に自転車を運び、思うようにならない身ながらサドルを取り、いろいろなアクセサリーも外し、
タイヤも取られないように何かをしていたような・・・冷静な息子の行動に恥ずかしくなりました
がっちりと2か所のロックのしかたも教わり、駐輪場に置きに行きました
この時ばかりは大きな仕事をしたような、“偉い!”と自分を褒めてしまいました
看護師さんが、今日のところは帰ってもいいというので帰ることにしました
とてもなが~~~い、疲れて歩けないかと思う一日でした
渋谷駅からは、直通電車がちょうどあり、しかもがんばった私の為に?、電車の席も空いていました
何度も息子の具合を心配して連絡があり、大丈夫だということは知らせてあった夫から
食事会に合流できるかのメールが入った
急きょ、池袋から東上線に乗り換えて川越に向かいました
2台の車に分乗して乗っている7人が迎えてくれました
そこからは、息子のことは少し忘れて ゴメン
一年ぶりの再会を楽しみました
二次会?三次会くらいになるのでしょうか?
いも膳 で慰労会です
今日の料理は、【今日懐石】・・・京懐石だと思っていました
はじめに出てきたのは、【虫かご】
目の前に運ばれた虫かごに目が釘付けに
かごの上には、ポップコーンならぬポップライスとイナゴが マウスオン
かごの蓋を取ると、目にも美味しい秋の風情満点のお料理がぎゅうぎゅうに詰まっていました
どれも美味しそうです
キャンセルしないでいてくれた夫に感謝です マウスオン
さつま芋のビールに、カニ三昧
このカニは本当においしかった マウスオン
次から次へと美味しい料理が運ばれてきます
☆大間のまぐろの握り寿司
☆さつま芋だけでとろみをつけた野菜スープ
☆秋茄子・鰊・生麩に里芋の炊き寄せ
☆さつま芋のおそば
☆デザートもやっぱりお芋
料理が運ばれるたびに、歓声があがります
春にも飲み会をしたので約半年振りの再会です
朝からそんなことがあり、息子を心配してくれてすべてを少しづつ早めに切り上げてくれたようですが
私が合流できたことで、皆さんもホッとして楽しんでくれたように思います
美味しい料理を肴にして楽しい会話が弾みました
心配をかけてしまいましたが、滞りなく終了しました
彼岸花を見ることはできず残念でしたが、それはまたいつか
息子は、痛いながらも順調に日に日に回復していると言いますが、
顔が浮腫んできたり、紫色に変ってきたり、黄色になったり・・・
3日目には2回目の頭部CTを撮った結果、医師から退院の許可が下りました
打撲の後の痛みはあるのですが、一週間で退院できることになりました
10月3日、土曜日に退院です
退院が明日という金曜日の夕飯の支度の時に、今度は義母が『しゃべりにくくて・・・』と言う
『入れ歯の調子?』と聞くと違うと言う
左手もおかしいと・・・医学的な知識がなくとも『もしかしたら』と思う
それでも、病院には行かずに様子を見ると・・・
翌朝6時頃に義父が呼びに来て、病院に連れて行って欲しいという
義母の様子は、昨日よりも悪くなっているようにも思うが元気そうで自分ですでに入院の用意を始めている
救急車は嫌だと言うので、受け入れてくれる病院を探し始める
義父は自分が行っている病院にして欲しいということで連絡すると受け入れてくれるとのこと
義父と私は残り夫が義母を病院に連れて行った
到着するとすぐにCTの検査が行われ、≪今のところ異常なし≫ということで、義母も安心したようです
『HIRO君の退院の日にごめんね』とおばあちゃん
こちらの方が『こんな時にごめんね』と言わなければならない
脊柱管狭窄症になってから全く外に出ることがなくなった義父は、やっと伝い歩きで歩ける状態
義父の昼食を用意して、今度は息子の病院に向かいました
息子もおばあちゃんのことを心配しつつも早く退院したくて首を長くして待っていたようです
退院して直行したところは、おばあちゃんの病院
二人とも大事に至らなくて良かった
退院できてホッとしていたところ、夜中に大変なことが起こりました
12時近くに『鼻血が出た』と自分の部屋から出てきて1時間、2時間とその鼻血は留まる様子がない
その間、日赤医療センターに連絡したり、パソコンで止血の方法を探したりしましたが
効果はなく、3時間後に救急車を呼ぶことになりました
日赤医療センターでは、耳鼻咽喉科がないのでそちらで見てもらってくださいというだけ
『今日退院した』と言っても取り合ってもくれなかった
それに耳鼻咽喉科なの?かも
一人の看護師さんの判断に疑問を感じずにはいられません
救急車は受け入れ病院を一生懸命探してくれました
耳鼻咽喉科のある病院を探しているようです
出血がひどかったため頭痛と吐き気が翌日まで続きました
それでも朝の6時過ぎには家に帰されてしまいました
月曜日に再度診察を受け、鼻の中をスコープで検査した結果、事故による大きな傷から出血したようです
止血の仕方や対応を医師から教わりました
でも、安心して帰ったわけではありません
医療に携わる人にとって、今回のことは“軽いケース”だったのかもしれませんが患者の身になって応えてくれた人はいなかったような感じがして
残念で仕方がありません
義母は、入院当時のCTでは発見できなかった脳梗塞がその後のMRI検査で発見されて
血液をサラサラにするなどの治療を受け、顔のマヒも手のマヒも回復しました
そして、本日10日、午前中に退院することができました
息子はその後は何事もなくやはり本日、午後家に送り届けました
二人とも元気になってホッとしました
ご心配をおかけしました
本当にありがとうございました
皆さんからいただきました温かい励ましに心から感謝いたします
本当に疲れた2週間でした
仕事をしながらの看病、義父の世話は大変でした
2日間寝ることができなかったこともありました
そんなことを夫と話しながら息子のアパートから帰りました
そして≪パンくんママさんの結婚記念日の記事≫を見て、
今日は私たちも30回目の結婚記念日だったことを思い出しました
ずぼらな私たち夫婦も、今回は案内しなければならない立場なので当日まで周到に準備を重ねたつもりです
昼食は巾着田の模擬店で済ます予定なので果物と漬物くらいは欲しくなりそうだと思いつき、
寝ていても様々なことを考え始めると眠れなくなってしまい、とうとう早く起きてしまいました
天候もそこそこいい感じです
珍しくその日は夫の運転で久しぶりに風景を見ながらのドライブを楽しんでいました
すると、私の携帯に着信が・・・
仕事上でも転送電話が入るのでそんなことだと、いつものように出ようとしたところ
03-○○・・・???
誰からなのか出てみると『広尾の日赤医療センターです。HIROYUKIさんが交通事故で・・・すぐに来てください』
『どんな状態ですか?』『命には別条はありませんが、頭を打っています』
そんな会話をしたような気がします
もうすでに川越に入っていました
どんな方法で病院まで行くのか全くわからない
確か≪広尾≫は≪恵比寿≫の近く?程度の知識です
家に帰ってパソコンで調べたり、お金は?印鑑も?入院の支度は?・・・etc.
それより一刻も早く病院に行かなければ・・・
頭の中がごちゃごちゃの状態のまま整理もできない状態で、とりあえず私一人川越駅で降ろしてもらいました
看護師さんとの電話で私の携帯のバッテリーは、残りわずかの量になってしまいました
川越駅からとりあえず(東京)大宮方面に向かい、江戸川区に住んでいる弟夫婦にメールをして
日赤医療センターまでのルートを教えてもらいました
バッテリーの残りが少ないことも伝えて
義妹から、適切な3つのルートを教えてもらい病院に直行することにし、埼京線で渋谷駅まで行きました
この時ばかりはとても東京が遠く感じられました
救急病棟に入ると、顔の血をふき取ってもらった感じで横たわって目を閉じている息子の頬に手を当てると
目を少し開きました
『大丈夫?』というと『ごめん、大丈夫・・・どこかに行っていた?』
『今日は久四会で、川越に行ってたよ』 『あぁ、ごめん』と悪そうに強く目をつぶりました
かなり痛い様子で、私は体を治してあげることも、触ることもできない状態
医師の話だと、顔と頭を中心に強く打っているとのこと
パソコンで頭部CTの画像を見ながら、説明をしてくれました
2か所怪しいところはあるものの、その範囲の出血なら大丈夫だということ
口と鼻から多くの出血があったことなども説明された
そして今の状態は、手足の動きも神経にも異常はないこと
少し安心です
病室に戻っても、痛い様子の息子を目の前に何もするすべはない
熱がどんどん上がっていきました
看護師さんが氷枕を二つ用意してきても、首がかなり痛いようで、自分でうまく頭の下に入れるしかない
息子は左端を自転車で走行中、後ろから来た車に当て逃げされたらしい
その瞬間から何も分からなくなり、通りかかった女性の『大丈夫ですか?』『救急車を呼びます』の言葉に
『お願いします』と答えたのを覚えているだけで、また気がついたのは救急車が来た時だったということです
それでも薄れゆく記憶の中でそんなことと、自分で買った大切な自転車の鍵を掛けて欲しいということは
警察官にお願いしたようです
痛くて、ベッドの上でどうにか寝返りを打ったり頭を移動したりしていると
目を開き、『自転車はどこにあるかわかる?』と
『知らないけど・・・』というと 『調べて欲しい』とそんなかわいそうな息子から言われたら捜すしかない
まずは病院でどこの救急車か教えてもらい、そこで警察の連絡先も教えてもらい
事故現場とその状況を教えてもらい、そして自転車は現場に鍵をかけたまま置いてあることも判明
息子に伝えると、『やっぱりそうなんだ・・・』と答え
『自転車の部品を持ち去られてしまう可能性があるので自転車を持ちに行って欲しい』と
もう疲れ果てていた私は『明日じゃダメ?』 『できれば今日がうれしい・・・』と弱々しく言われたらもうやるしかない
息子は上体も起こせないでいるのに、手探りで自分のカバンからiPhoneを取り出し
地図で現場までの説明を、方向音痴の私に始めた
iPhoneを操作する息子の軽快な指の動きと説明に見惚れていただけで、何が何だかよくわからなかった
渋谷の街自体がわからないのに、そんな小さな地図でしかも動く地図じゃ全然わかりません!!
息子がかわいそうだったので、『わかった』と言って病室を出ました
今日は頭を使う日だな なんて思いながらどうしようか考えた
仕方なくタクシーに乗り、自分で通過する信号機に表示されている名前やめぼしい建物などの名前をメモしながら
自分で帰り方がわかる地図を作りました
丁度タクシーを降りた頃に、息子から≪水色の自転車ですぐわかると思う≫とメールが入る
息子も必死のようだ
警察から聞いた所を探すと、遠目でも水色で目立つ感じの自転車が止めてある
帰りは自転車に乗って帰ればいいと気楽に考えていた私は唖然とした
息子は180㎝の長身、サドルの高さが私のウエストの位置くらい高い
サドルを一番下にしても全く足は届かない さらに極細のタイヤ
チャレンジしたけれども、今度は私が転んで怪我をしそうなので乗って帰るのは断念
自転車を押して病院までの道のりは険しかった
陸橋や地下道の3か所は自転車を担いで渡り、約5K近く歩きました
都内の交差点は、なぜスロープがないのか
これは今考えても相当きつかったと思う
病院に着きホッとする間もなく、今度は《病院の駐輪場に置いても持っていかれてしまうのではないか》と思いついてしまった
受付で、そのスリムな自転車を見せて、『病室に入れてください』と懇願した
『自転車はダメです』 『今日だけでも』・・・・・・(今となっては)大変恥ずかしくて書けない問答を病院側とした
息子の為にがんばったつもりの母・・・
何とか息子の元に自転車を運び、思うようにならない身ながらサドルを取り、いろいろなアクセサリーも外し、
タイヤも取られないように何かをしていたような・・・冷静な息子の行動に恥ずかしくなりました
がっちりと2か所のロックのしかたも教わり、駐輪場に置きに行きました
この時ばかりは大きな仕事をしたような、“偉い!”と自分を褒めてしまいました
看護師さんが、今日のところは帰ってもいいというので帰ることにしました
とてもなが~~~い、疲れて歩けないかと思う一日でした
渋谷駅からは、直通電車がちょうどあり、しかもがんばった私の為に?、電車の席も空いていました
何度も息子の具合を心配して連絡があり、大丈夫だということは知らせてあった夫から
食事会に合流できるかのメールが入った
急きょ、池袋から東上線に乗り換えて川越に向かいました
2台の車に分乗して乗っている7人が迎えてくれました
そこからは、息子のことは少し忘れて ゴメン
一年ぶりの再会を楽しみました
二次会?三次会くらいになるのでしょうか?
いも膳 で慰労会です
今日の料理は、【今日懐石】・・・京懐石だと思っていました
はじめに出てきたのは、【虫かご】
目の前に運ばれた虫かごに目が釘付けに
かごの上には、ポップコーンならぬポップライスとイナゴが マウスオン
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かごの蓋を取ると、目にも美味しい秋の風情満点のお料理がぎゅうぎゅうに詰まっていました
どれも美味しそうです
キャンセルしないでいてくれた夫に感謝です マウスオン
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さつま芋のビールに、カニ三昧
このカニは本当においしかった マウスオン
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次から次へと美味しい料理が運ばれてきます
☆大間のまぐろの握り寿司
☆さつま芋だけでとろみをつけた野菜スープ
☆秋茄子・鰊・生麩に里芋の炊き寄せ
☆さつま芋のおそば
☆デザートもやっぱりお芋
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料理が運ばれるたびに、歓声があがります
春にも飲み会をしたので約半年振りの再会です
朝からそんなことがあり、息子を心配してくれてすべてを少しづつ早めに切り上げてくれたようですが
私が合流できたことで、皆さんもホッとして楽しんでくれたように思います
美味しい料理を肴にして楽しい会話が弾みました
心配をかけてしまいましたが、滞りなく終了しました
彼岸花を見ることはできず残念でしたが、それはまたいつか
息子は、痛いながらも順調に日に日に回復していると言いますが、
顔が浮腫んできたり、紫色に変ってきたり、黄色になったり・・・
3日目には2回目の頭部CTを撮った結果、医師から退院の許可が下りました
打撲の後の痛みはあるのですが、一週間で退院できることになりました
10月3日、土曜日に退院です
退院が明日という金曜日の夕飯の支度の時に、今度は義母が『しゃべりにくくて・・・』と言う
『入れ歯の調子?』と聞くと違うと言う
左手もおかしいと・・・医学的な知識がなくとも『もしかしたら』と思う
それでも、病院には行かずに様子を見ると・・・
翌朝6時頃に義父が呼びに来て、病院に連れて行って欲しいという
義母の様子は、昨日よりも悪くなっているようにも思うが元気そうで自分ですでに入院の用意を始めている
救急車は嫌だと言うので、受け入れてくれる病院を探し始める
義父は自分が行っている病院にして欲しいということで連絡すると受け入れてくれるとのこと
義父と私は残り夫が義母を病院に連れて行った
到着するとすぐにCTの検査が行われ、≪今のところ異常なし≫ということで、義母も安心したようです
『HIRO君の退院の日にごめんね』とおばあちゃん
こちらの方が『こんな時にごめんね』と言わなければならない
脊柱管狭窄症になってから全く外に出ることがなくなった義父は、やっと伝い歩きで歩ける状態
義父の昼食を用意して、今度は息子の病院に向かいました
息子もおばあちゃんのことを心配しつつも早く退院したくて首を長くして待っていたようです
退院して直行したところは、おばあちゃんの病院
二人とも大事に至らなくて良かった
退院できてホッとしていたところ、夜中に大変なことが起こりました
12時近くに『鼻血が出た』と自分の部屋から出てきて1時間、2時間とその鼻血は留まる様子がない
その間、日赤医療センターに連絡したり、パソコンで止血の方法を探したりしましたが
効果はなく、3時間後に救急車を呼ぶことになりました
日赤医療センターでは、耳鼻咽喉科がないのでそちらで見てもらってくださいというだけ
『今日退院した』と言っても取り合ってもくれなかった
それに耳鼻咽喉科なの?かも
一人の看護師さんの判断に疑問を感じずにはいられません
救急車は受け入れ病院を一生懸命探してくれました
耳鼻咽喉科のある病院を探しているようです
出血がひどかったため頭痛と吐き気が翌日まで続きました
それでも朝の6時過ぎには家に帰されてしまいました
月曜日に再度診察を受け、鼻の中をスコープで検査した結果、事故による大きな傷から出血したようです
止血の仕方や対応を医師から教わりました
でも、安心して帰ったわけではありません
医療に携わる人にとって、今回のことは“軽いケース”だったのかもしれませんが患者の身になって応えてくれた人はいなかったような感じがして
残念で仕方がありません
義母は、入院当時のCTでは発見できなかった脳梗塞がその後のMRI検査で発見されて
血液をサラサラにするなどの治療を受け、顔のマヒも手のマヒも回復しました
そして、本日10日、午前中に退院することができました
息子はその後は何事もなくやはり本日、午後家に送り届けました
二人とも元気になってホッとしました
ご心配をおかけしました
本当にありがとうございました
皆さんからいただきました温かい励ましに心から感謝いたします
本当に疲れた2週間でした
仕事をしながらの看病、義父の世話は大変でした
2日間寝ることができなかったこともありました
そんなことを夫と話しながら息子のアパートから帰りました
そして≪パンくんママさんの結婚記念日の記事≫を見て、
今日は私たちも30回目の結婚記念日だったことを思い出しました