おはようございます(^^)
土曜日は久々にゴルフでした(土曜日に話しましたね…) 今回は 仕事じゃなくて 社内の親睦コンペ(^^) 気楽に行える とはいいながら、役員ともなれば、社内コンペだけに 下にも置かない待遇が かえって 気詰まりになる… らしい とはご本人の内緒話です^^;
なるほど… と私は感心したり 接待とは違った配慮に気が抜けない なぁ…と同情したり
私は私なりに ちょっと役員さんの胸の内を知ってしまいました^^;
ところで ゴルフ場は滋賀のHゴルフクラブ^^; 接待と違うと先ほど話しましたが、確かに社内コンペらしい こじんまりしたコースで料金も庶民的なところでしょうね♪
さて、いつものランチは各自負担するため この日は お昼ごはんは自前になりました^^; 従いまして、お昼ごはんの取材はなし…
代わりにちょっと 古代ロマンの薫る 近江を舞台にしたお話を一席。
これを思いついたのは ゴルフ場の駐車場で ぶらぶらしていたら ご覧の花を見つけました。
理科に疎い私ですが、その可憐で清楚な紫色を見て つい 柄にもなく、万葉の悲恋を想い出したのです。
さて、その物語りとは…ヒントは ①紫②近江の蒲生野…
近江とは滋賀県の古代の国名。
Hゴルフクラブ一帯は なだらかな丘陵を含んだ野原で古代には 蒲生野と呼ばれていて 今でも 名神高速道路に 当時を偲ぶ、蒲生 インターがあります。
さて、前置きは これくらいにしまして
皆さん 額田の王(おおきみ…女性です)をご存じでしょうか^^;
彼女が生きた時代は 大化の改新の後、日本が 朝鮮半島にあった友好国の百済を応援するために派遣した軍勢が 唐、白羅連合軍に白村江(はくすきのえ)で大敗して朝鮮半島の利権を諦め国内の政治に力を入れ始めたのでした。
額田の王は最初、大海人皇子(おおあまのおうじ)の妃(きさき)でしたが 時の権力者で実の兄の中大兄皇子(天智天皇)がえらく額田の王に執着心があり 難を逃れるため、中臣鎌足(後の藤原氏の祖)のアドバイスにより額田の王を中大兄皇子に譲りました。 そしてその見返りに中大兄皇子の娘2人を妃に迎えました。
…と 記実にありますが よく読んでみたら 兄弟の中で弟の妻を兄に譲り 代わりに兄の娘を弟の妻にする… ^^;
なんと古代のロマン とはいえ 現代では考えられない生々しい話ですね^^;
まぁ この時代は皇族同士の誅殺…殺し合いが珍しくなくてだから泣く泣く妃を兄に譲ったのでしょうが、その頃に 宮中の一同揃って蒲生野で狩りを催されました。
男は鹿狩り、女は薬草採り をしながら 額田の王は 薬草を摘んでいて ふっと顔を上げると 遠く離れたところから 袖を振る 姿を見つけました。それが 前の夫の大海人皇子でした。
当時、袖を振るとは求愛を現す表現だったのですね♪ やっぱり 名残り惜しかったようです^^;
気持ちは額田の王も一緒だったようですが、でも今は他人(兄の)の妻。
その夜の酒宴で 額田の王は
あかねさす 紫野行き 標野(しめの)逝き 野守りは 見ずや 君が袖振る
これを聞いた 大海人皇子は 返歌として
…紫草の 匂える 妹(いも)を憎あらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも
妹とは 女 という意味でしょうね♪
野守りは、狩りの周辺を守る衛兵
詳しい訳は割愛しますが、何度か読み返せば なんとなく 理解できるのではないしょうか。
この両人の和歌は万葉時代を代表する 優れた作品として 今でも たくさんの人に愛されています。
当時 額田の王は 四十才代、平均寿命は現代とは比べものにならないくらい短かった筈ですが 古今東西、恋愛に年齢はないのですね(^^)
土曜日は久々にゴルフでした(土曜日に話しましたね…) 今回は 仕事じゃなくて 社内の親睦コンペ(^^) 気楽に行える とはいいながら、役員ともなれば、社内コンペだけに 下にも置かない待遇が かえって 気詰まりになる… らしい とはご本人の内緒話です^^;
なるほど… と私は感心したり 接待とは違った配慮に気が抜けない なぁ…と同情したり
私は私なりに ちょっと役員さんの胸の内を知ってしまいました^^;
ところで ゴルフ場は滋賀のHゴルフクラブ^^; 接待と違うと先ほど話しましたが、確かに社内コンペらしい こじんまりしたコースで料金も庶民的なところでしょうね♪
さて、いつものランチは各自負担するため この日は お昼ごはんは自前になりました^^; 従いまして、お昼ごはんの取材はなし…
代わりにちょっと 古代ロマンの薫る 近江を舞台にしたお話を一席。
これを思いついたのは ゴルフ場の駐車場で ぶらぶらしていたら ご覧の花を見つけました。
理科に疎い私ですが、その可憐で清楚な紫色を見て つい 柄にもなく、万葉の悲恋を想い出したのです。
さて、その物語りとは…ヒントは ①紫②近江の蒲生野…
近江とは滋賀県の古代の国名。
Hゴルフクラブ一帯は なだらかな丘陵を含んだ野原で古代には 蒲生野と呼ばれていて 今でも 名神高速道路に 当時を偲ぶ、蒲生 インターがあります。
さて、前置きは これくらいにしまして
皆さん 額田の王(おおきみ…女性です)をご存じでしょうか^^;
彼女が生きた時代は 大化の改新の後、日本が 朝鮮半島にあった友好国の百済を応援するために派遣した軍勢が 唐、白羅連合軍に白村江(はくすきのえ)で大敗して朝鮮半島の利権を諦め国内の政治に力を入れ始めたのでした。
額田の王は最初、大海人皇子(おおあまのおうじ)の妃(きさき)でしたが 時の権力者で実の兄の中大兄皇子(天智天皇)がえらく額田の王に執着心があり 難を逃れるため、中臣鎌足(後の藤原氏の祖)のアドバイスにより額田の王を中大兄皇子に譲りました。 そしてその見返りに中大兄皇子の娘2人を妃に迎えました。
…と 記実にありますが よく読んでみたら 兄弟の中で弟の妻を兄に譲り 代わりに兄の娘を弟の妻にする… ^^;
なんと古代のロマン とはいえ 現代では考えられない生々しい話ですね^^;
まぁ この時代は皇族同士の誅殺…殺し合いが珍しくなくてだから泣く泣く妃を兄に譲ったのでしょうが、その頃に 宮中の一同揃って蒲生野で狩りを催されました。
男は鹿狩り、女は薬草採り をしながら 額田の王は 薬草を摘んでいて ふっと顔を上げると 遠く離れたところから 袖を振る 姿を見つけました。それが 前の夫の大海人皇子でした。
当時、袖を振るとは求愛を現す表現だったのですね♪ やっぱり 名残り惜しかったようです^^;
気持ちは額田の王も一緒だったようですが、でも今は他人(兄の)の妻。
その夜の酒宴で 額田の王は
あかねさす 紫野行き 標野(しめの)逝き 野守りは 見ずや 君が袖振る
これを聞いた 大海人皇子は 返歌として
…紫草の 匂える 妹(いも)を憎あらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも
妹とは 女 という意味でしょうね♪
野守りは、狩りの周辺を守る衛兵
詳しい訳は割愛しますが、何度か読み返せば なんとなく 理解できるのではないしょうか。
この両人の和歌は万葉時代を代表する 優れた作品として 今でも たくさんの人に愛されています。
当時 額田の王は 四十才代、平均寿命は現代とは比べものにならないくらい短かった筈ですが 古今東西、恋愛に年齢はないのですね(^^)