寝転がって気ままに想う事

 世の中ってこんなもんです・・
面白可笑しくお喋りをしましょうか ^^

靴工場始まりです

2022年03月16日 07時06分27秒 | 笑い

  おはようございます〜

今日は、明治三年(1870年)日本で初めての靴工場が出来た日です。

 明治の新政府はそれまでの軍の服装を様式に変更をしました。上から下まで揃えて 総

師の大村益次郎はご満悦だったのですが、ふと足元を見ると ゲートルの下に草

鞋(わらじ)を履いているのを見つけて 洋式の装備に草鞋はないだろうと、早速

米国に軍隊用の靴を発注しましたところが、大柄の米国人向けの靴だったとみ

えてやたらデカくてとても履けませんでした。

仕方なくデカい靴をモデルにして国内の職人に頼んで日本人に合う靴を作りま

した。 手先の器用な日本の職人は見様見真似で何とか靴を作り上げました。

そうして日本の軍隊向けや一般に靴を作っているうちに 仕上がりがとても良いからと

米国から8万足の注文が来るようになったのが、8年後。

それをキッカケに国内で靴を作る専門の工場が出来たのが明治三年   でした。

そこそも 幕末に欧米から日本に来た外人は、日本人は規律を守り 勤勉で

手先の器用さ、礼儀正しさ、清潔好きな国民性など他の地域とは全然違ってい

たので材料や技術さえ得られたら、いずれ 我々(欧米)に追いつくだろう と思って

いたそうです。

この時代 ‥‥17世紀から19世紀初頭にかけて産業革命を成功させた欧米からの侵略がありました。

最初は欧州から近いアフリカや中南米 北米などを植民地化にしますと

中東からインド、東南アジアと東へ触手を伸ばしてきました。

その間 欧州の中で植民地の権利を奪い合う戦いもあって最初はポルトガル、ス

ペイン。それを凌ぐようになったのがオランダ、ベルギーなどでその後はフラ

ンスや英国が台頭してきました。欧米が争うように植民地を作ったのは、その

地から採れる作物‥‥ゴム、小麦、香辛料、茶、や鉱物資源を ただで自分の本国

へ輸入出来るからです。最初に設備投資は掛かっても、人件費や原料代は無料で

すから 儲からない筈はありません。しかも原住民の生活には一切 お金は掛けな

いどころか植民地を維持する為に原住民同士の対立をワザと作って 争いをさせ

て 反抗がこちらに向かないように 実に狡猾な手法を使いました。

世界各地で未だに紛争が絶えないのもその名残り後遺症でしょうか。

欧米諸国は、お互いが話し合いながら 無駄な争いをせずに その国力に見合った

植民地を得ました。それも19世紀(1800年代)に入りますと、英仏米が力を

付けてきました。英国はインドやビルマ、仏国は東南アジアを中心に植民地を得ます。

米国はハワイ諸島やフィリピンなどで中国は3分割しようかと相談をしていたら米国は国内の南北戦争がぼっぱつして

それどころではなくなりました。その分露助が割り込んできた のですね。

露助は今の山口県の小島を不法に占領して賃借地としろと迫ってきました。それを見た英仏は そんなことは許さないと

とねじ込んでその話は消えましたが、英仏は日本の為にっ露助を追い払ったのではなく ジパングを英仏が半分ずつにしよか、

と悪巧みをしていたのでした。

その手法は今お話をしました内乱を起こして日本を弱らせることでした。 倒幕を目指した薩長には英国がつき武器や軍艦などを売り、

幕府には仏国が同じく武器や軍艦を供与しました。

しかし、このままでは危ない、と当時の幕府や薩長は英仏の戦略を悟(さと)って 話し合いによる江戸城の無血開城に至ったのです。

歴史を少し見てみますと約170年前(日本では幕末のころ)にナイチンゲールで有名なクリミア戦争がありました。

露助が無理やり侵攻してきたのに対抗して英仏、トルコの連合が戦いました。

あれから日本は 平和な国になりましたが欧州は相変わらずですね。

特に露助のこの三百年の歴史を見ると戦争に明け暮れている国です。

第二次世界大戦の戦勝国でありながら未だに世界の秩序を乱そうとしています。

コメント
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