すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ

2007-12-12 10:14:30 | メディア論
 前回のエントリが「モラル」とか「平等」の話と混同されそうなんで、補足記事を書くことにした。まず前回エントリを要約しておく。

 ソーシャルブックマーク(以下、SBM)には、字数制限やレスをしにくい特性がある。自由で制約のない双方向の議論がしにくい。だったら私はその仕様に合う使い方をする。ゆえにSBM上では、私はネガティブ・コメントを書かない。

『私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由』


 ここで言う「ネガティブ・コメント」の定義は、前回に引き続きekkenさんのカテゴライズに準じる。誹謗中傷だけじゃなく、相手に対する異論・反論も含んでいる。つまり相手から見て「自分に否定的なコメント」って意味だ。

 で、これらのうち、異論・反論は正当で有意義なコメントだと私は考えている。ああ、「正当」って言葉を使うと、またモラルの話とカン違いする人がいそうだ。表現を変えよう。

 相手に異論を言うことで、そこから議論に発展するならおもしろい。だけどネガコメを一方的に放言するんじゃ、ちっともワクワクしない。私にとってまるで意味がないことである。

■「言わせてもらう。だが反論するな」のご神託スタイル

 ではなぜ私は「議論になるかどうか」にこだわるのか? 相手に反論の機会を与えるための平等主義で言ってるわけじゃない。単純な話だ。繰り返しになるが、私は議論が好きだからである。

 ゆえにそう思わない人とは、今エントリの論理展開は共有できないだろう。スタート地点がちがうんだから当然だ。

 またSBM上でネガコメを発することが、議論の呼び水になる行為だと考えない人とも価値観を分かち合えない。つまり、「オレはSBMを自分のためだけの個人的なメモ代わりに使ってるんだ。任意の記事を読んで同意できなかったとき、感情の赴くままに感想を書いて何が悪い」って人だ。

 いや確かに私も似たような使い方をしている。だけど認識の上で決定的にちがう点がある。

 SBM上に書いたコメントは、「世間」に漂い出る。チラシの裏の独り言じゃ終わらない。自分が批評した記事の筆者を含む、多数のユーザと同じデータを共有している。相手がある話である。ブクマ・コメントは単なる自己完結のつぶやきではない。他者と何らかのコミュニケーションを発生させることになるのだ。

 この場合のコミュニケーションとは、ポジティブなもの、ネガティブなもの、そのどちらでもないものすべてを含んでいる。

 とすればネガコメを書いた場合には、特に強いリアクションを誘引するってことを認識しておく必要がある。リアクションとは、記事の筆者が反論したいと感じることだ。さて、そこで以下のように考える人とは、私は価値観を共有できない。

【価値観A】 オレは言いたいことを言う。だけどお前はオレに反論するな。

「自分はちがう」って人もいるだろう。だけどSBMは前述の通り、異論・反論を唱えて双方向の議論がしにくいシステムである。

 だからあなたの認識とはまったく関係なく、あなたがそこへネガコメを書いた瞬間に、実質的には「オレは言いたいことを言う。だがお前は反論するな」というコミュニケーションのご神託化現象が起こるのである。

 で、私は【価値観A】を持ち合わせてない。それどころか正反対の考えだ。だから私はブクマでネガコメをあんまり書かない。ただしこれは私の個人的なスタンスであり、他人に押し付けるつもりはない

 いったんまとめよう。私がネガコメを書かない背景には、次の2つの心理がある。

1. 自分の意見を言う場合、一方的な放言じゃなく議論がしたい

2. 私は【価値観A】に共感できない。ご神託ではなく議論がいい

■相手から異なる意見をぶつけられる知的刺激

 では、なぜ私は議論にこだわるのか? の話にもどろう。

 私にとって議論の醍醐味とは、相手から反論がくることにある。反論の形で私が想像もしなかった異なる視点や、ユニークな価値観を示される。「そんなものの見方があったのか!」と知的刺激を受ける。新しい発見をする。これがおもしろい。だから私は議論が好きなのだ。

 ゆえにSBMで異論を書いても、議論にならないんじゃ意味がない。なら私はそんな議論モドキ(ネガコメ書き)じゃなく、別の使い方をしますよって話である。

 ここでまた誤読してる人がいるかもしれないが、私はSBMそのものをダメだと言ってるわけじゃない。SBMにおけるネガコメを否定してるだけだ。私にとってSBMは必要不可欠なものである。

 さて、では別の使い方とはなにか? ありふれた話だ。気になる記事があったとき、粛々とブクマしコメントすることである。おもしろいと思ったら、どこがどうおもしろいのか書く。あるいは記事への賛同でも批判でもない、客観的な分析を書くこともある。

 また「この部分は自分の意見とちがうな」と思えば、表現を考えて異論を書く。記事の筆者を意味もなく挑発するような書き方は避ける。相手が抱く感情的な反発は、(無益な)議論に引火しがちだからだ。

 だけど何度も書いてる通り、SBMでは議論しにくい。なら誘い水は百害あって一利なしだ。同じ異論を述べるのでも、書き方の問題は実に大きいのである。

 そして本格的に異論を唱えたければ、議論ができる方法を私は選ぶ。ブログに反対意見を書き、相手にトラックバックを送る。これまたありふれた話である。

 まとめよう。

【本日の結論】

 私の行動原理は「それがエキサイティングかどうか」である。モラルや平等がうんぬんの話ではない。一方的な放言は、議論にならないからエキサイティングじゃない。だから私はやらない。ただそれだけの話である。

【関連エントリ】

『「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないぞ』

『自分に気づくためにブログを書く』

『ソーシャルブックマークで忘れがちな3つのこと』

『ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか?』

『なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ』

『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』
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