すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

【メリット&デメリット】オールドメディアとネット(=SNS)は一長一短か?

2024-12-26 09:34:03 | メディア論
両者の違いは情報の「確度」と「スクープ性」だ

 最近よく話題になる新聞やテレビなどのオールドメディア(マスコミ)と、ネットメディア(=SNS)の違いって、なんだろう?

 まず大手マスコミは基本的にニュースの裏を取り、ソースに忠実な事実確認を行うノウハウや技術、確度が高い。そこはプロならではだ。自前のセオリーも確立している。

 この点でアマチュア主体のネットメディアと大きく違う。だからいわゆるあからさまで単純な「誤報」は少ない。

 だがそのぶん(広告主や絶対的な社会権力のような)既得権益に過剰反応し、自分の身を守るため本当に重要なことは伝えず隠す。

 うまく立ち回ろうとする。ズル賢い。

 往年の新聞みたいに読者の貴重な「購読料」で純粋に経営が成立していた時代とちがい、今では広告を出してくれるクライアントに媚びへつらい、彼らの商品やサービスの「宣伝」をしないと、もはや採算が取れない体質になっている。

(機会があればこのへんは詳しく解説するが、今ではそれをやってさえ、もはや彼らの経営は成り立っていない。オールドメディアは今や、「滅びゆく恐竜」と同じ運命にある)

情報を正確にわかりやすく伝えるセオリー「5W1H」とは?

 一方、ネットは玉石混交でデマも多い。セオリーにしても、例えば「正しい引用の仕方」さえ知らない人だってゴロゴロいる。プロのマスコミみたいに基本的な「情報の取り扱い方」を知らないユーザが多い。

 例えば情報を正確に伝えるには、それなりのセオリーがある。正確でわかりやすい記事を書くセオリーのひとつは、まず「5W1H」を押さえることだ。

 いったい何か?

 これは「When(いつ)、Where(どこで)、Who(誰が)、What(何を)、Why(なぜ)、How(どんなふうに)したか?」の6つの要素を指す。

 これらの要件を入れてながら記事を書けば(アナウンスすれば)、必要な情報をわかりやすく正確に端的に伝えることができる。

 これは情報を扱う場合の基本の「キ」だ。しかもたくさんあるセオリーのうちのひとつにすぎない。

 腐ってもいわゆるオールドメディアとされる専門機関は、こうしたセオリーを必ず押さえている。そんなレベルの専門知識がある。

 だがこの「5W1H」なんて、ネットユーザは知らない人も多いだろう。

 ただし、だ。

 そのぶんネットユーザは、気質的に既得権益や既成概念に左右されない。

 だからネット上には(一部に)オールドメディアでは絶対に得られない、超ド級の「語られない真実」が混在しているケースがある。

 そんな砂に埋もれた宝石を探し出せれば、収穫はデカい。

 こうした大きい魅力のある媒体が、ネットメディア(SNS)だといえる。

社会正義を気取りながら広告で食う詭弁

 さて、一方のネット(=SNS)は、広告で経営が成り立っている点では、オールドメディアとまったく同じだ。

 ただしこっちはオールドメディアみたいに「俺たちは社会正義だ」なんて顔はしていない。(むしろ、いい意味での「悪漢」だったりする)

 例えばマスコミみたいに正義を気取っていながら、その実、裏では完全に「広告依存」=(大企業などの)既得権益とべったり癒着したナアナア体質なら、確かにやましいだろう。

 だがネット(=SNS)は特定の既成概念や価値観に縛られるところがない。マスコミみたいに正面切って、正義など気取っていない。

 だからそのぶんネットメディアの場合、別にそれが広告で成り立っていよういまいが、誰に文句を言われる筋合いもない。

ネット(SNS)は情報を受け取る側の「自己責任」の世界だ

 加えてネットにおいては情報の送り手側の正確性は(上にも少し書いたが)、よく言われる通り確かに「あいまい」だ。正確とはいえない。

 例えばそれが「意図的か?」 「無意識か?」を問わず、自分でよく事実確認もせずテキトーなことをアバウトに発信してしまうネットユーザも確かに多い。

 そこはもう、逆にこうした情報を「受け取る側」の自己責任の世界だ。

 あとは情報の受け手の側が、しっかり自覚を持ち、自己規制して自分なりにジャッジするしかない。ネット上ではオールドメディアが標榜するような、ある種の「品質保証」なんてない。

 だからそのぶんSNSは、マスコミが絶対にやらない凡ミスをすることもあれば、逆に彼らが決して報じないきわどい真実も平気で伝える。

 忖度なしだ。

 だが(繰り返しになるが)その一方で、どうしたってネットにはヘンなデマや陰謀論も入り混じる。それが実態である。

初期のネットは「課金システム」が議論されたが「広告モデル」に落ち着いた

 おまけに昔のネットには、マスコミみたいな「広告タブー」なんて少なかった。いや、というよりネットにはそもそも「広告モデル」そのものがなかった。

 つまり初期のネットでは今みたいに「広告で収益をあげて採算を取るスタイル」ではなく、ユーザに対する課金方式がもっぱら取り沙汰されていた。新聞でいえば「購読料」に当たる、いわば「サービスの利用料」を取るスタイルだ。

 その流れで確か90年代だったかには、「一体どうやってネットメディアで課金するか?」がしきりに議論されたりした。

 だが今や例えばYouTuberなんて、まさに企業からもらう広告料で成り立っている。いわゆるテレビや雑誌でよく見られるタイアップ方式だ。

 そしてもちろん、日夜、配信するインフルエンサー(YouTuber)たちも、それを「悪いことだ」なんてツユほども思っていない。逆に「おいしい案件だ」と考えている。

 だからマスコミと同様、ネット上にも今では立派に「広告タブー」があると言いえる。これはときには「大きなアキレス腱」になりかねない。

「広告タブー」はメディアにどう影響するか?

 こうしたネットメディアの広告タブーは、ある種、致命的ではある。

 なぜなら本来、「報じるべき正しいこと」が、クライアントタブーのために「報じられなくなる」からだ。

 例えば新型コロナワクチン問題の功罪などは典型である。

 モデルケースとしてレプリコン・ワクチンを手がける明治製菓ファルマが、それを批判する立憲民主党の原口一博議員を提訴する騒ぎになっている。構造的には、ああいうケースが典型だ。

 大企業にとって都合の悪いことは、あんな形で言論封殺される。

 もっともあれは「広告」とは直接関係ないが……例えば、もしワクチン「A」の広告を掲載しクライアントから広告料をもらっている媒体は、もうワクチン「A」の欠陥を指摘したり、「A」に都合の悪い情報を掲載した上で「客観的で公正な批判」すらできなくなる。

 これが深刻な「広告タブー」だ。

 結論としては、オールドメディア、SNS双方ともに今や広告タブーがあるのだから、どっちもどっちだ。

「メディア・リテラシー」が重要になる

 結論としては、ならばネット情報の受け手の側は、しっかり自衛する必要がある。

 ひたすら情報を自分の目で(主観的にでなく)「第三者的」に見て確かめる。で、その都度、真贋を自分で見極めるしかない。

 流れてくる情報をあえて絶えず「批判的」な方向から見ながら、客観的に分析した上で価値判断することが重要だ。

 現代のネット上では、ユーザ個人個人がめいめいそんな「メディア・リテラシー」をしっかり持ち、流されず自分の頭で考えて自衛しなければ生きていけない時代になっている。

 でなければたちまちヘンな陰謀論に足元をすくわれ、取り返しのつかないことになってしまうかもしれないーー。

 現代は、そんなむずかしい時代に差し掛かっている。

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