忠犬ハチ公みたいなやつ
あるとき近所の駅を通りかかったら、駅の改札に向かってお座りしている巨大なゴールデンレドリバーと出会った。そいつは飼い主を出迎えに来て待ってでもいるのか、微動だにしない。
だがおかしなことに、彼は首輪をしていないのだ。
「どうしたんだろう?」
私は思わず彼に走り寄り、向かい合わせにしゃがんで首を抱いた。人には完全に慣れているようだ。
主人の帰りを待っているにしては、首輪をしてないのはおかしい。放置しておくと、保健所に連れて行かれてしまうーー。このまま立ち去るわけにもいかなくなり、しばらく彼に寄り添っていた。
だがこれでは埒が明かない。私は意を決して彼を家に連れて帰ることにした。迷い犬かもしれない。首に抱きつき、「何をしているの? 僕と一緒に行こうよ」と声をかけると、まるで人間の言葉がわかるかのように私についてきた。
その角を曲がれ、というとその通り道を曲がる。完全に人間の言葉を介しているとしか思えない。首輪もリードもないのに命令するとついてくるのだ。
私は当時、駅の近くのマンションの4階に住んでいた。マンションに着き、「階段をあがれ」というと、なんと彼はすぐ階段を上がって行った。
「とりあえずベランダにいてもらおう」
マンションの4階で巨大なゴールデンレトリバーなど飼えるはずがないのに、とっさにそう思いベランダに誘導してドアを閉めた。
ひとまず検査を受けさせる
とりあえずこれで幽閉した。何日も外をほっつき歩いてハラが減ってないだろうか?
まず首輪とリード、それにエサを買ってくることにした。買い物が終わり、ベランダに通じるドアをあけると、彼はちゃんとお座りして静かに待っていた。
鍋にエサを入れて出すと、ガブガブと食うわ食うわ。あっという間に平らげてしまった。やっぱりハラが減っていたのか? 買ってきた赤い首輪を装着し、彼と目を合わせた。赤い首輪がよく似合っている。かわいい。
「これから何すればいいのか?」
そうだ。なにか病気にかかっているといけない。近くの獣医さんに連れて行き、まず検査してもらおうーー。
リードを引いて外へ出ると、近所のおじさんとすれ違った。
「あれ松岡さん、犬なんて飼ってたの?」
「いや、駅で拾ったんです」
そんな間抜けな会話をしながら獣医さんに着いた。入り口を入り、出てきた女性に事情を話し、ひとまず検査を受けさせたいんだ、と言った。
するとその人は、「あれ? これ、3丁目の○○ちゃんじゃないかな?」と言う。
もしや、その人が飼い主か? だがすでにすっかり飼う気でいた私は非常に複雑な心境になった。だが仕方ない。
飼い主さん登場
女性が飼い主さんらしき人に連絡するというので待った。女性に事情を聴くと、その家は庭付きの大きな家で、庭でゴールデンレトリバーを3匹、放し飼いにしていると言う。
で、よく柵を飛び越えて脱走しては、そのへんを徘徊しているらしい。
しばらくすると飼い主さんらしき人が来た。やっぱり〇〇ちゃんだったのだ。
「すみません。ありがとうございます」
どうやら常習犯らしいので、私はあえて厳しい態度を取ることにした。
「せめて首輪をさせてください。首輪なしで犬がほっつき歩いていると保健所に連れて行かれますよ」
私は以前、犬を収容している保健所の取材をしたことがあった。それはもう悲惨だった。
犬たちは捕獲日ごとにガラス張りのケージに入れられ、処刑の日が来るのを待っていた。1日が過ぎると犬は隣のケージに移され、また処刑の日が1日近くなる。そういうシステムだ。
捕獲からの経過日ごとにケージはいくつも並んでおり、犬たちは1日たつごとに隣のケージに移される。移された彼らはうすうす自分の運命を知っており、処刑が近い犬は泣き叫び、ガラスにべったり唾液を吐いたりしている。
処刑が近い犬は明らかにメンタルをやられており、毛並みが激しくけば立っている。それはもう、とても正視に絶えない有り様だった。
飼い主さんを説得する
飼い主に保健所の話をし、もし散歩に連れて行けないなら私がしましょうか? と申し出た。
「いいえ、大丈夫です」と飼い主は言う。
いや、大丈夫なワケがないのだ。現にゴールデンレトリバーは何度も柵を飛び越えて脱走している。首輪なしで脱走=保健所に捕獲、という構図がわからないのだろうか?
私は何度も噛んで含めるようにその仕組みを説明し、お願いですから庭に放し飼いするならせめて首輪をつけるか、リードでつないでおいてください、と懇願した。
印象としてはなんだか無責任な人で、どうも実感しているとは思えない。だが念のためにと何度も保健所の仕組みを言い含め、動物病院をあとにした。
まあどうせマンションの我が家じゃ、とうてい飼えなかったわけだから仕方ないや。
かくて私の「へっぽこ1日飼い主」の巻は終わった。
やれやれ。
あるとき近所の駅を通りかかったら、駅の改札に向かってお座りしている巨大なゴールデンレドリバーと出会った。そいつは飼い主を出迎えに来て待ってでもいるのか、微動だにしない。
だがおかしなことに、彼は首輪をしていないのだ。
「どうしたんだろう?」
私は思わず彼に走り寄り、向かい合わせにしゃがんで首を抱いた。人には完全に慣れているようだ。
主人の帰りを待っているにしては、首輪をしてないのはおかしい。放置しておくと、保健所に連れて行かれてしまうーー。このまま立ち去るわけにもいかなくなり、しばらく彼に寄り添っていた。
だがこれでは埒が明かない。私は意を決して彼を家に連れて帰ることにした。迷い犬かもしれない。首に抱きつき、「何をしているの? 僕と一緒に行こうよ」と声をかけると、まるで人間の言葉がわかるかのように私についてきた。
その角を曲がれ、というとその通り道を曲がる。完全に人間の言葉を介しているとしか思えない。首輪もリードもないのに命令するとついてくるのだ。
私は当時、駅の近くのマンションの4階に住んでいた。マンションに着き、「階段をあがれ」というと、なんと彼はすぐ階段を上がって行った。
「とりあえずベランダにいてもらおう」
マンションの4階で巨大なゴールデンレトリバーなど飼えるはずがないのに、とっさにそう思いベランダに誘導してドアを閉めた。
ひとまず検査を受けさせる
とりあえずこれで幽閉した。何日も外をほっつき歩いてハラが減ってないだろうか?
まず首輪とリード、それにエサを買ってくることにした。買い物が終わり、ベランダに通じるドアをあけると、彼はちゃんとお座りして静かに待っていた。
鍋にエサを入れて出すと、ガブガブと食うわ食うわ。あっという間に平らげてしまった。やっぱりハラが減っていたのか? 買ってきた赤い首輪を装着し、彼と目を合わせた。赤い首輪がよく似合っている。かわいい。
「これから何すればいいのか?」
そうだ。なにか病気にかかっているといけない。近くの獣医さんに連れて行き、まず検査してもらおうーー。
リードを引いて外へ出ると、近所のおじさんとすれ違った。
「あれ松岡さん、犬なんて飼ってたの?」
「いや、駅で拾ったんです」
そんな間抜けな会話をしながら獣医さんに着いた。入り口を入り、出てきた女性に事情を話し、ひとまず検査を受けさせたいんだ、と言った。
するとその人は、「あれ? これ、3丁目の○○ちゃんじゃないかな?」と言う。
もしや、その人が飼い主か? だがすでにすっかり飼う気でいた私は非常に複雑な心境になった。だが仕方ない。
飼い主さん登場
女性が飼い主さんらしき人に連絡するというので待った。女性に事情を聴くと、その家は庭付きの大きな家で、庭でゴールデンレトリバーを3匹、放し飼いにしていると言う。
で、よく柵を飛び越えて脱走しては、そのへんを徘徊しているらしい。
しばらくすると飼い主さんらしき人が来た。やっぱり〇〇ちゃんだったのだ。
「すみません。ありがとうございます」
どうやら常習犯らしいので、私はあえて厳しい態度を取ることにした。
「せめて首輪をさせてください。首輪なしで犬がほっつき歩いていると保健所に連れて行かれますよ」
私は以前、犬を収容している保健所の取材をしたことがあった。それはもう悲惨だった。
犬たちは捕獲日ごとにガラス張りのケージに入れられ、処刑の日が来るのを待っていた。1日が過ぎると犬は隣のケージに移され、また処刑の日が1日近くなる。そういうシステムだ。
捕獲からの経過日ごとにケージはいくつも並んでおり、犬たちは1日たつごとに隣のケージに移される。移された彼らはうすうす自分の運命を知っており、処刑が近い犬は泣き叫び、ガラスにべったり唾液を吐いたりしている。
処刑が近い犬は明らかにメンタルをやられており、毛並みが激しくけば立っている。それはもう、とても正視に絶えない有り様だった。
飼い主さんを説得する
飼い主に保健所の話をし、もし散歩に連れて行けないなら私がしましょうか? と申し出た。
「いいえ、大丈夫です」と飼い主は言う。
いや、大丈夫なワケがないのだ。現にゴールデンレトリバーは何度も柵を飛び越えて脱走している。首輪なしで脱走=保健所に捕獲、という構図がわからないのだろうか?
私は何度も噛んで含めるようにその仕組みを説明し、お願いですから庭に放し飼いするならせめて首輪をつけるか、リードでつないでおいてください、と懇願した。
印象としてはなんだか無責任な人で、どうも実感しているとは思えない。だが念のためにと何度も保健所の仕組みを言い含め、動物病院をあとにした。
まあどうせマンションの我が家じゃ、とうてい飼えなかったわけだから仕方ないや。
かくて私の「へっぽこ1日飼い主」の巻は終わった。
やれやれ。