ブログ「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」さんからトラックバックをいただいた。「等価交換」というキーワードで、実名、匿名の功罪がうまくまとめられている。ポイントを引用しよう。
大筋はその通りです。ただしekkenさんがおっしゃる「ネガティブコメント」とは、正当な批判や異論も含んでいます。ネガティブコメント=誹謗中傷ではない。そのあたりはekkenさんのエントリ『小倉弁護士は「ネガティブコメント対策」への理想が高すぎるのではないかと』をご参照ください。
さて今回は上記の引用部分のうち、前段を少し補足させていただきたい。
インターネット上に存在するデータ(文章その他)は、集合知である。集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す。また、そこに集積された意見が多様であればあるほど意義深いはずだ。それが実名でなされたものか? それとも匿名か?なんて関係ない。
で、問題なのは、(前回も少し触れたが)仮にインターネット上に実名制度が導入されれば、少なくない数のネットユーザが情報発信をやめてしまう可能性があることだ。
とすれば集まった意見の数が多いほど、また意見が多様であるほどに価値があるとの定義に照らせば、実名制度下における集合知の意義は大幅に下落することになる。
この部分の見方が、私と小倉さんではかなりちがうのだ。小倉さんの持論をこのケースに当てはめれば以下のようになるのだろう。
「インターネットが実名化されれば、いままでネット上で発言してなかった専門家、知識人がブログを書くようになる。そのぶんスペシャリストの意見が、今までよりもネット上に上積みされることになる。だから実名制度には意味がある」
ところがそのテの専門家や知識人は、すでにリアルの世界で発言したりモノを書いているのだ。読みたければ別にネット上でなくても、本屋さんに行けばいい。
また実名化により、仮にネット上に存在するのが彼らの発言だけになったとしたら、それはリアルの世界とどうちがうのか? 単なるインターネットのリアル世界化ではないのか? そんな世界に意味はあるのかと私は思う。
一方、小倉さんが「匿名」とカテゴライズする人々の論述は、ネット上にしかないケースが多い。実名制度の導入で彼らの声が消えてしまえば、もうどこを探しても意見が聞けなくなる。
かつ個人的な体験で言えば、「匿名」の人の意見に教えられたり、インスパイアされることは多いのだ。私は自分のブログのコメント欄で、何度もそれを経験している。
最後に、前回エントリの結論部分を一部再掲しよう。
実名化のメリット、デメリットを秤にかければ、やっぱりデメリットが大きすぎると私は思う。
【関連エントリ】
『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』
『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』
『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』
『小倉さん、印象操作はほどほどに』
『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
(前略)ブログが持つ名もなき人も読んでくれる流通力を享受しているわけだから、ある程度は、ekkenさんがおっしゃる匿名でのネガティブコメントも、メリットとデメリットの「等価交換」であるのが望ましいとすれば、それはしょうがないのではと思います。甘受すべき範囲内なのではないかと思います。(中略)
松岡さんは、たぶん、そういうブログの流通性や自由との「等価交換」として、ネガティブコメントなどの荒らしはあるというデメリットがあるのがブログというかネットの現実なのだから、きっと、初心者にブログを実名ではじめるのを勧めるというのは無茶だと思われたからこそ、反論を書かれたのだと思います。そして、現実を生きる知恵として、「スルー力」を啓蒙されたのでしょう。
■『「実名匿名論争」雑感』
大筋はその通りです。ただしekkenさんがおっしゃる「ネガティブコメント」とは、正当な批判や異論も含んでいます。ネガティブコメント=誹謗中傷ではない。そのあたりはekkenさんのエントリ『小倉弁護士は「ネガティブコメント対策」への理想が高すぎるのではないかと』をご参照ください。
さて今回は上記の引用部分のうち、前段を少し補足させていただきたい。
インターネット上に存在するデータ(文章その他)は、集合知である。集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す。また、そこに集積された意見が多様であればあるほど意義深いはずだ。それが実名でなされたものか? それとも匿名か?なんて関係ない。
で、問題なのは、(前回も少し触れたが)仮にインターネット上に実名制度が導入されれば、少なくない数のネットユーザが情報発信をやめてしまう可能性があることだ。
とすれば集まった意見の数が多いほど、また意見が多様であるほどに価値があるとの定義に照らせば、実名制度下における集合知の意義は大幅に下落することになる。
この部分の見方が、私と小倉さんではかなりちがうのだ。小倉さんの持論をこのケースに当てはめれば以下のようになるのだろう。
「インターネットが実名化されれば、いままでネット上で発言してなかった専門家、知識人がブログを書くようになる。そのぶんスペシャリストの意見が、今までよりもネット上に上積みされることになる。だから実名制度には意味がある」
ところがそのテの専門家や知識人は、すでにリアルの世界で発言したりモノを書いているのだ。読みたければ別にネット上でなくても、本屋さんに行けばいい。
また実名化により、仮にネット上に存在するのが彼らの発言だけになったとしたら、それはリアルの世界とどうちがうのか? 単なるインターネットのリアル世界化ではないのか? そんな世界に意味はあるのかと私は思う。
一方、小倉さんが「匿名」とカテゴライズする人々の論述は、ネット上にしかないケースが多い。実名制度の導入で彼らの声が消えてしまえば、もうどこを探しても意見が聞けなくなる。
かつ個人的な体験で言えば、「匿名」の人の意見に教えられたり、インスパイアされることは多いのだ。私は自分のブログのコメント欄で、何度もそれを経験している。
最後に、前回エントリの結論部分を一部再掲しよう。
だけど実名化のせいで、匿名だからこそ書かれていた無数の有益な文章、才能ある書き手が消えてしまうとしたら損失が大きすぎる。ゆえに私はその観点から、実名制度に反対である。
実名化のメリット、デメリットを秤にかければ、やっぱりデメリットが大きすぎると私は思う。
【関連エントリ】
『誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由』
『小倉さんの実名制は、能力があっても存在価値がゼロになる暗黒世界だ』
『小倉さん、論理の飛躍は計画的に』
『小倉さん、印象操作はほどほどに』
『匿名の心理、実名の心理~暴言の抑止力になるものは?』
日本では国民総背番号身分証明書の携帯を導入しないと、全国民一意のIDがないので実名登録制の導入は無理でしょう。
それに韓国では、すでに「住民番号の盗用や売買」による成りすましが問題になっています。ちょうど日本が戸籍売買による偽装結婚が問題になっているように。
小倉さんの言説がますます怪しくなってきますね。私はシステム論とか技術論には興味ないのですが、実名制がシステム的に無理だとすれば、あとは各個人レベルや各サービスレベルでやるのかどうか? って話ですね。システムで実現させるより、むしろそっちのほうが難しそう……(^^;
「ネガティブコメントなどの荒らし」という書き方は正確ではなかったです。すみません。ekkenさんのブログでの反論、異論を読んでも「モヒカン」魂に貫かれていて、言論人としてすごく立派で読んで気持ちいいですもの。要は、匿名とか実名とかに関係なく、個人の質なんだと思います。
それに、松岡さんのおっしゃるとおり、ネットから匿名を禁止したら、ネットという場の文化的な豊穣さは失われてしまうと思います。例えば、ラジオネーム禁止の深夜ラジオ、考えただけで寒々しますよね。そんな場所、実名の人だってメリットないから参加しませんて。
FRGさま
なるほど、勉強になります。そうでしょうね。システムで縛っても、問題はでてきますよね。しかも、より根が深い形で。なんか実名論って、かつてのユートピア論と似てるところがありますね。
ふつう「ネガティブコメント」という言葉を読めば、勘違いしやすいですよね(小倉さんも勘違いされてるフシがあるし。で、2人がそれぞれ違う意味の「ネガティブコメント」について議論してるから噛み合わない、と)。
それから後段についてです。おっしゃる通り、これって実は広い意味で芸術の話だったりするんですが、実名制を主張されてる方はたぶんそんなこと頭にないんだと思います。芸術として、匿名だからこそできる表現って確かにある。その意味では実名制って、美術や音楽、文学の世界じゃなくて、数学の世界(1+1が必ず2になる世界)なんだと思います。
同様に、私がシステム論や技術論に興味がないのも、それは美術や音楽、文学の世界じゃなく、数学の世界だからです。
承認制なので、同じHNを使っている人がいるという事に気付きませんでしたw
勘違いと聞いて思ったのですが、松岡さんが「スルー」について話すと、某氏は決まって「泣き寝入り」云々を持ち出しますよね。
私は、このズレを以下の認識の相違に起因するものと考えましたが、如何でしょうか?
松岡流「スルー」…何も無い空間に向かって空しく繰り出されている空振りパンチにわざわざ自分から当たりに行かない事を意味する。
某氏の現状…「この俺様が顔を突き出せば、相手は畏れから手を引っ込めるに違いない!」という夜郎自大な勘違いから、わざわざ自分から空振りパンチに当たりに行った上で、松岡流「スルー」の趣旨を曲解して、「殴られっ放しのままで大人しく引き下がれというのか!」と喚いている。
結局のところ、某氏は、自分自身は言いたい放題で自分に対する批判はゼロという究極のシチュエーション以外は、受け入れる気が無さそうですね。
>自分自身は言いたい放題で自分に対する批判はゼロという究極のシチュエーション
ええ。それを実現するための実名制みたいな気がしますね、私は。まあ想像ですが。
有益な文章や才能ある書き手なら、インターネットじゃなくても匿名で情報発信できるでしょう。
それに、インターネットが実名制(具体的にどうなるんだか判然とはしませんが)であっても、実名で投稿された情報を匿名で公開させるビジネスは成り立つでしょうから、インターネットで有益な匿名情報にアクセスできなくなることもないでしょう。
実名制になったらそういう情報が得られなくなるっていうのはちょっと極論に思います。
結局「匿名」じゃなきゃいけないメリットって、「違法な事ができる」ぐらいにしか思えませんが…。