■読み手じゃなく書き方が悪い場合もある
前回エントリ『「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか?』では、「はてブにはネガコメが多い」と感じる人の心理を客観的に分析した。
書いたのはあくまで読み手に関する分析だ。そこで今回は少し視点を変え、情報の受け手の側の心理に加えて書き手の問題も掘り下げてみる。
■「批判されるのがガマンならない」人は異論を嫌う
「ネガコメが多い」てな印象論に代表されるように、はてブにマイナスイメージをもつ人は存在する。じゃあいったいそれはなぜなのか? 理由は大きく3つに分類できるだろう。まず受け手の側の問題からだ。
いちばんありそうなのは、ブックマーク・コメントで自分の記事に異論を唱えられ、それを不愉快に感じるケースである。で、はてブをネガティブに捉えてしまう。自分とは異なる意見を受け入れられないために起こる悲劇だ。
無用に挑発的で礼節を欠く表現でもない限り、コメントで反対意見を述べるのは正当な行為である。異論コメントを書かれたせいで、はてブに否定的な感情をもつのは正しい態度とはいえない。
■短く言い切る断定調のコメントはキツイ印象を与える
ブクマ・コメントは文字数制限のせいで、短く言い切る断定調にならざるをえない。こういう表現は往々にして、読み手にキツイ印象を与える。断定調の短文は、「強い調子でヒステリックに言い立てている」と受け取られることも多い。
だから本人にそんなつもりはないのに、「この人は自分に敵意があるんじゃないか?」などと誤解されることもある。
また文字数制限に起因する類似のケースとして、「私はあなたの意見に反対だ」という結論部分だけしかコメントに書けない問題もある。つまり思考した過程を相手に説明できないため、記事の筆者がコメントの意見に納得しにくいのだ。
論拠が示されず、「反対だ」「まちがっている」と結論しか書いてなければ、だれだって反対意見を受け入れにくい。それどころか反感を覚えるのが自然だろう。こういうコメントの書き方は、相手に意味もなく不快感を与えてしまう。
(だから字数制限をなくせ、という意味ではない。文字数に見合う種類のコメントを書けばいいだけの話だ)
そこで私は対策として、論拠を十分に説明できないと判断したら、正当な異論であってもなるべくブクマ・コメントには書かないようにしている。そんなときはブログで記事にすればいい。
■コメントが揶揄や嫌味まじりになってしまう
次が問題のケースである。読んだ記事とは異なる意見を、ブクマ・コメントに書き込んだ。ここまではいい。だがそのコメントが揶揄するような表現だったり、嫌味まじりだったりすれば相手は当然反感をもつ。
たとえばブクマ・コメントを、自分のためだけのメモ用として書く人はけっこういる。もちろん正当な使い方だ。
だけどそういう書き方をしている最中には、「そのコメントが広く公開・共有されていること」や、「記事の筆者本人もコメントを読む」んだってことが頭から抜け落ちていることがある。
で、誰も読まないチラシの裏に書く感覚で、揶揄や嫌味を付け加えてしまう。そうでなくても人に読まれることを意識してなければ、ぞんざいな言葉遣いになるのはよくあることだ。
また他人に読まれることを意識している場合でも、気がつくとコメントが何の気なしに揶揄や嫌味まじりになってる場合もある(自戒も込め)。もちろん嫌がらせのためにそう書いているなら論外である。
同じ異論を述べるのでも、表現のしかた次第で生産的な議論になったり、罵詈雑言を投げ合う引き金になったりする。快適なコミュニケーションを成立させるには、「書き方」って重要なのだ。
【本日の結論】
1. はてブにマイナス・イメージを持つ人がいるのはなぜか? 理由のひとつは、単に「自分がコメントで批判されたから」。自分と異なる意見を受け入れられない人は、異論を聞くと感情的な反応をしがちだ。
2. 逆にコメントを書く側の問題もある。ひとつは文字数制限により、相手に反対意見を示すとき「結論だけ」しか書けないケースだ。論拠を示さない書き方は、相手の共感を呼びにくい。
3. またコメントが揶揄や嫌味まじりになっている場合も、説得力が低くなる。意味もなく反感をもたれ、相手が異論を受け入れにくい。
4. コメントの論旨は正しくても、表現のしかたひとつで不快感を与えることもある。快適なコミュニケーションを実現するには、書き方に気をつけることは重要だ。
【関連エントリ】
『ネガコメを元に自戒するとき、スルーするとき』
『「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか?』
前回エントリ『「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか?』では、「はてブにはネガコメが多い」と感じる人の心理を客観的に分析した。
書いたのはあくまで読み手に関する分析だ。そこで今回は少し視点を変え、情報の受け手の側の心理に加えて書き手の問題も掘り下げてみる。
■「批判されるのがガマンならない」人は異論を嫌う
「ネガコメが多い」てな印象論に代表されるように、はてブにマイナスイメージをもつ人は存在する。じゃあいったいそれはなぜなのか? 理由は大きく3つに分類できるだろう。まず受け手の側の問題からだ。
いちばんありそうなのは、ブックマーク・コメントで自分の記事に異論を唱えられ、それを不愉快に感じるケースである。で、はてブをネガティブに捉えてしまう。自分とは異なる意見を受け入れられないために起こる悲劇だ。
無用に挑発的で礼節を欠く表現でもない限り、コメントで反対意見を述べるのは正当な行為である。異論コメントを書かれたせいで、はてブに否定的な感情をもつのは正しい態度とはいえない。
■短く言い切る断定調のコメントはキツイ印象を与える
ブクマ・コメントは文字数制限のせいで、短く言い切る断定調にならざるをえない。こういう表現は往々にして、読み手にキツイ印象を与える。断定調の短文は、「強い調子でヒステリックに言い立てている」と受け取られることも多い。
だから本人にそんなつもりはないのに、「この人は自分に敵意があるんじゃないか?」などと誤解されることもある。
また文字数制限に起因する類似のケースとして、「私はあなたの意見に反対だ」という結論部分だけしかコメントに書けない問題もある。つまり思考した過程を相手に説明できないため、記事の筆者がコメントの意見に納得しにくいのだ。
論拠が示されず、「反対だ」「まちがっている」と結論しか書いてなければ、だれだって反対意見を受け入れにくい。それどころか反感を覚えるのが自然だろう。こういうコメントの書き方は、相手に意味もなく不快感を与えてしまう。
(だから字数制限をなくせ、という意味ではない。文字数に見合う種類のコメントを書けばいいだけの話だ)
そこで私は対策として、論拠を十分に説明できないと判断したら、正当な異論であってもなるべくブクマ・コメントには書かないようにしている。そんなときはブログで記事にすればいい。
■コメントが揶揄や嫌味まじりになってしまう
次が問題のケースである。読んだ記事とは異なる意見を、ブクマ・コメントに書き込んだ。ここまではいい。だがそのコメントが揶揄するような表現だったり、嫌味まじりだったりすれば相手は当然反感をもつ。
たとえばブクマ・コメントを、自分のためだけのメモ用として書く人はけっこういる。もちろん正当な使い方だ。
だけどそういう書き方をしている最中には、「そのコメントが広く公開・共有されていること」や、「記事の筆者本人もコメントを読む」んだってことが頭から抜け落ちていることがある。
で、誰も読まないチラシの裏に書く感覚で、揶揄や嫌味を付け加えてしまう。そうでなくても人に読まれることを意識してなければ、ぞんざいな言葉遣いになるのはよくあることだ。
また他人に読まれることを意識している場合でも、気がつくとコメントが何の気なしに揶揄や嫌味まじりになってる場合もある(自戒も込め)。もちろん嫌がらせのためにそう書いているなら論外である。
同じ異論を述べるのでも、表現のしかた次第で生産的な議論になったり、罵詈雑言を投げ合う引き金になったりする。快適なコミュニケーションを成立させるには、「書き方」って重要なのだ。
【本日の結論】
1. はてブにマイナス・イメージを持つ人がいるのはなぜか? 理由のひとつは、単に「自分がコメントで批判されたから」。自分と異なる意見を受け入れられない人は、異論を聞くと感情的な反応をしがちだ。
2. 逆にコメントを書く側の問題もある。ひとつは文字数制限により、相手に反対意見を示すとき「結論だけ」しか書けないケースだ。論拠を示さない書き方は、相手の共感を呼びにくい。
3. またコメントが揶揄や嫌味まじりになっている場合も、説得力が低くなる。意味もなく反感をもたれ、相手が異論を受け入れにくい。
4. コメントの論旨は正しくても、表現のしかたひとつで不快感を与えることもある。快適なコミュニケーションを実現するには、書き方に気をつけることは重要だ。
【関連エントリ】
『ネガコメを元に自戒するとき、スルーするとき』
『「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか?』
コメントには、自立自足がありません。
対象のエントリーの存在がなければ成り立たないわけです。
オリジナルの存在を利用して、それ以上の利益を得ているから醜悪なのです。
利益の侵害は、文化とは呼べません。
批判やコメディにして、新たな利益が生まれるならいいのですが、
そういう傾向はまるでみえてきません。
また、システム的には、
該当エントリーに一言トラックバックを送ることもできます。
この場合、オリジナルはそのトラックバックを削除することはできます。
これからも、漁夫の利です。システムによる。
なお、オリジナルが利益を得られるならば問題はありません。
あくまで、オリジナルが利益の侵害を受けている場合です。これは、オリジナル側のいい分が優先されてもいいはずです。