命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

幸せは共鳴する

2015年07月09日 15時41分00秒 | ひと口法話

お釈迦さまの言葉に

「随喜功徳(ずいきくどく)」という言葉がございます。

これは、たとえば、「こんないいことがあった」という話を聞いたときに

「うらやましいな」「なんであの人だけ...」という嫉妬やねたみの感情を起こさずに

「よかったね」と一緒になって喜ぶ感情のことである。

 

ともに喜べば喜びは二倍に、ともに悲しべば悲しみは半分になるのである。

この共に喜ぶということが「随喜功徳」であり、徳を積むことになります。

このようにいい心掛けをしていれば、修行しなくたって徳は積めるのである。


即身成仏の道

2015年07月09日 11時51分29秒 | ひと口法話

いくら修行をしても

「大変ですね」 「ご苦労様」 で終わる人が居ます。

それは慈しみの心を育てていないからです。

慈しみの心のない人は「自分だけよければ」という

生き方の修行をしています。

こんな心掛けでいくら修行をしても自我を強化するだけの

行と成るだけであります。

だから、修行して完成された人格者となりたいと念ずる人は

慈しみの心、慈悲の実践で己の自我を破ることです。

 

慈しみの心を育てる方法

 

まず、私が幸せである様に(素直に)

次に、私の親しい人が幸せである様に

次に、生きとし生けるものが幸せであります様に

次に、私の嫌いな人々も私を嫌っている人々も幸せであります様に

 

と念じます。

この「慈悲の瞑想」を続けると無量の慈しみの心が育ってきます。

専らに、実践し続ければ確実に偉大なる人格者と成るのです。

 

ブッダの教えの一日一話より一部引用

 

 


慈しみの心

2015年07月09日 09時55分16秒 | ひと口法話

仏陀は

「今の瞬間にも慈しみの心を育てなさい、それだけでも立派なんだよ」

と説かれました。

人は本来、エゴの塊なんです。

 

何もせず、放って置いたら慈しみの心は生まれてきません。

慈しみの心は勝手に生まれるものではありません。

無理をしてでも人は慈しみの心を育てなくてはならないのです。

 

だから、一切の生命に対して慈しみの心が生まれてくると自分の

エゴの殻が破れるのです。

 

(生きとし生けるものが幸せでありますように -釈尊のことば-)

 

 


戒を守る

2015年07月09日 09時42分29秒 | ひと口法話

戒を守るとは日本的には道徳的に生きるということです。

今の教育現場ではどうして道徳を教えるのが

戦前時代の悪い教えなのか理解できません。

 

他の生命を殺してはいけない、嘘をついてはいけない、

盗んではいけない、邪しまな行いはいけない、

人の悪口を言ってはいけない、人を騙してはいけない。

 

こんなことは人間として当たり前のことなのです。

道徳は破るべきものでは決してありません。

道徳を犯す人はこの世で生きる権利すらも失い人としての価値もありません。

 

戒、つまり道徳を守る人生はごく当たり前のことをして明るく生きていくことなのです。

それを確りと守って生きることで人として人格向上するのです。